第4話 騎士と琥珀

「ジード! 待って」


 ジードのこんな顔は見たことがない。掴まれた手は痛いし、歩くのも早い。ほとんど走っているのと変わらなかった。

 その時、俺は初めて気がついた。ジードは騎士で、身体能力は俺とは比べものにならない。今まではずっと、俺に合わせて歩いてくれていたんだってことに。本当はもっとずっと足が早いし、歩幅も大きい。俺はジードの速度についていけず、足がもつれて転びそうになった。


 あっと思った瞬間、体がふわりと宙に浮く。驚いているうちに俺はジードの腕の中に抱き上げられていた。

 わずかに眉を寄せて息をつくイケメンは、ほれぼれするほどカッコいい。でも、このシチュはだめだ。これは、いわゆるお姫様抱っこってやつだ。俺の中のなにかが死ぬ。


「あ、ありがと」

「すまない……。驚かせた」


 ジードは俺の体を地に下ろした。見上げれば、表情が硬い。


「俺、よくわかんないまま騎士棟に行ったけど、まずかったんだな」

「……」

「昨日のお礼を言いたかっただけなんだ。ジードが来てくれるまで待っていられなくて。あのさ、昨日はすごく嬉しかった」


 ジードの青みがかった瞳が、まっすぐに俺を見る。 


「気がついたんだ。やっぱり俺、焦ってた。いつのまにか自分のやり方を通そうとしてたんだと思う。元の世界のプリンを何とか作るんじゃなくて、この世界の身近なもので、うまいスイーツを考えればよかった。失敗したプリン、たくさん食べてくれてありがとう」


 ジードは一瞬何か言いかけたが、右手を顔に当てたまま、しばらく動かなかった。その後、深呼吸をして俺の顔を見た。


「ユウは、十分頑張っている。望んでここに来たわけでもないのに、他人への感謝を忘れず、新たなものに挑戦している。懸命に生きようとしている姿が、俺はすごく……いいと思う」

「ジード」 

「だが、心配にもなるんだ。そんなに頑張らなくていいし、もっと俺を……頼ってほしい」


 ものすごく感動した。俺の人生の中で、こんなに心のこもった言葉を聞いたことがあっただろうか。じっと見つめていたら、ジードが目を逸らした。


「騎士は結構、気が荒い奴が多いんだ。客人だと聞いたら余計な興味を示すかもしれない。用心してほしい」

「そうか。俺、こっちでは小柄だし、絡まれたら反撃できないもんな」

「そうだ! そんな細くて華奢な体で目を付けられたらひとたまりもない!」

「うん? まあ、ちょっと押されただけで転がりそうだし」

「……押し倒される可能性は、十分ある」


 どんどんジードの表情が険しくなる。何だか言葉のニュアンスがおかしい気がするが、心配してくれてるんだな。騎士も色々なんだろうけど、ジードは人情に厚いと思う。


「わかった、今度から気軽に騎士棟に行くのはやめるよ」

「そうしてくれ、気が気じゃない」


 俺が頷くと、ジードは安心したように、にっこり笑った。




 先日のプリンの失敗から、俺は作りたいものよりも、この世界で作れるものを考えることにした。


『いいか。簡単にあきらめないことと同じぐらい大事なことがある。限られた時間の中で、できないことはできないと、すっぱりあきらめることだ』


 竹を割ったような性格の、家政部の先輩の言葉を思い出す。ずばずば物を言うけれど、面倒見のいい人だった。以前言われた言葉が、今ではとてもよくわかる。この世界でも作れる菓子を目指して、俺はスフェンから借りた本を開いた。

 本の解読が進むにつれ、元の世界のありがたさを痛感する。材料だけじゃない、ここに家電があったらと、つい考えてしまう。


「ジードにはあんなこと言ったけど、冷蔵庫とオーブンが欲しいよ……」

「ユウ様。先日から仰っているそれですが、魔石を使っての冷却と過熱ならできますよ!」

「温度が大事なんだ。どちらも一定に保ちたい」

「固定もできるかと思いますが、魔石を使った道具をお求めなら担当部署に聞いたほうがいいですね」


 レトは、俺の言葉を手元に幾つも書きつけた。話を聞いては次々に必要なことをまとめてくれる。とても優秀な人だとわかるのに、俺にずっと付き合ってもらっていてもいいんだろうか。


「レト、本当は俺、もっと違うことを勉強した方がいいのかな。こんな……実現できるかもわからないようなことじゃなくて」

「いいえ、そんなことはありません。ユウ様の目標は明確ですし、先々に繋がると判断しています。客人の中には将来を思い描けないまま、儚くなった方もいます。ユウ様は、エイランでの生活を真剣に考えてくださっているでしょう?」

「うん。折角ジードに命を助けてもらったんだし、ここでやれるだけのことはしたいんだ。それに、生きていれば、いつか運よく帰れるかもしれないし」

「そうそう、その意気ですよ! ああ、もうすぐ、約束のお時間ですね?」


 そうだ、今日は公爵令息のスフェンと夕食を約束した日だった。王都の公爵家の屋敷にはジードと一緒に行くことになっている。


 俺は慌てて支度をした。レトのアドバイスで、絹のシャツに上下揃いの華やかな花の刺繍が入った服を着る。耳には琥珀のピアスだ。明るい茶が入った俺の瞳を見て、まるで琥珀のようだと言ったのはジードだった。


 支度をした俺を、レトがため息をついて見つめた。


「よくお似合いです。特にその琥珀は見事ですね」

「この間、誕生日だったって言ったら、ジードがくれた。気い遣わせて悪かったよな」


 レトが何か言いかけた時に、扉がコンコンと鳴った。


 目の前に立つジードは、騎士の礼装を身に着けていた。体にびしっと合った黒の上下は筋肉質な体を見事に浮き上がらせ、金髪は後ろに流している。


「うっわ、カッコいい!」

「ユ、ユウこそ」

「ああ、派手だよなー、こっちの服って。今まではどこに行くにも制服だったけど、レトが用意してくれたんだ。この琥珀もさ、初めてつけたんだけど、どうかな?」


 ジードは目を瞠り、なぜか耳の先まで真っ赤になっていた。


 公爵家の屋敷に着くと、スフェンが玄関に出迎えてくれた。美しく整えられた庭も豪華な屋敷も、まるで映画の世界のようだ。


「ようこそ、ユウ! ジード、君も一緒とは嬉しい限りだ」

「こちらこそ、貴殿の厚情に心から感謝する。……だが、少しは言葉に合った顔をした方がいいぞ、スフェン。笑顔は大事だからな」

「その言葉を、そっくりそのまま君にお返しするよ。今にも噛みつきそうな顔をしているじゃないか。最近は、ユウの行く場所には必ず君がついてくると評判だ」


 玄関前に、緊迫した空気が流れた。確か貴族学校の同級生同士だって聞いてたけど、あんまり仲が良くなかったのかな。


「スフェン、今日は招待してくれてありがとう。すごく楽しみにしてたんだ」

「ユウ! ああ、その華やかなコートはすごくよく似合ってる。ユウの愛らしい顔立ちや繊細さを引き立てているね」


 今日も勘違いだらけの発言が、いっそ清々しいな。俺の手を取ろうとしたスフェンとの間に、すかさずジードが割り込んできた。スフェンは、ジードに向かってこれ見よがしにため息をつく。思わず笑うと、こちらを見たスフェンの目が大きく見開かれた。


「ユウ? ……その、耳につけた琥珀は?」

「ああ、ジードが誕生日のプレゼントにくれたんだ」


 そう言った瞬間、スフェンは眉を寄せて唇を噛み締めた。


「まさか、本気だったとは……」

「本気?」

「ユウ、何も聞いていないのか? それは」

「スフェン!」


 ジードの他を圧するような低い声に、スフェンは黙った。


「琥珀は、ユウの誕生祝に贈ったものだ。それだけだ」


 琥珀のピアスを身に着けることにどんな意味があるのか、この時の俺は何もわかっていなかった。

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