第3話 プリンと失敗
公爵家の料理本を見るうちに、手始めにプリンを作ってはどうかと考えた。
こちらでも卵と動物の乳を料理に使うと知って、何とかできそうだと思ったのだ。特別に王宮の厨房を借りて、料理人にも協力を頼み、俺は異世界で初めてのスイーツに挑戦することにした。
昼食時に話すと、よほど心配だったのか、ジードもやってきた。王都にいる間も第三騎士団は訓練があるはずだが、こんなところにいていいんだろうか。
「これ、大きすぎない? 色もすごい」
「この大きさが標準です。これ以上小さいのは、手に入れるのが難しいですね」
レトの言葉に、ジードも頷く。
俺は目の前の卵を見た。欲しかったのは鶏卵の大きさだが、目の前に何個も並んでいるのはダチョウの卵ぐらいだ。長さが二十センチで、殻の色は青紫。
「こっちの人は体格がいいから、食材までデカいのか?」
「ユウは体が細いからな。いつも少ししか食べないだろう?」
「いや、そんなことないから! 俺たちの世界では、こっちみたいに皆、体が大きくないんだ。俺は十分食べてるし!」
ジードは頷きながらも、どこか心配そうだ。昼食のたびにもっと食べろと言ってきたのは、心配からだったのか。わかりあうって難しい。
向こうでプリンは散々作ったから、レシピは頭に入っている。問題は、こちらの材料で応用できるのかどうかだ。記録は全てレトがとってくれる。
厨房の人々に作り方を説明すると、ジードは自分も手伝うと言った。
「じゃあ、まずは卵だな。俺が刃を入れよう」
ジードの言葉に、料理人が持ってきたのは細長い
「……なに、それ」
「殻を切らないといけないからな」
「切るの? 割るんじゃなくて?」
「割るのは硬すぎて無理だ。どこでも卵は切るものだ」
料理人が卵をしっかりと支え、ジードが殻の上部に触れている。何でも、殻を切る位置を間違えると、ひどくまずいものになるらしい。ジードが刃を入れる位置を定めたかと思うと、光が一閃して上部の殻があっという間に切り落とされた。
料理人たちが感嘆の声をあげ、とろりとした中身を巨大ボウルのような桶に入れる。黄身は、黄色じゃなくて鮮やかな青。そして、少しだけ味見をしたら、ものすごく淡泊な味わいだった。
「ユウ様。こちらがサグの乳です」
サグというのは、こちらでたくさん飼われている動物で、主に乳を搾るのだという。初めて見たサグの乳は卵とは逆に、ものすごく濃厚だった。乳脂肪分たっぷりの生クリームって感じ。
そして、こちらの世界には砂糖がない。甘みの中で一番強いのは花の蜜で、他には樹液や果汁を煮詰めることが多い。今回は花の蜜を使うことにした。材料を混ぜ合わせ、少しずつ味を調整して器に入れる。オーブンはないから、大きな鍋に器と水を入れて、まずは蒸してみる。
それから、半日。……惨敗という言葉が頭に浮かんだ。
目の前には水色の茶碗蒸しみたいな食べ物がいくつも並んでいる。やはり卵の味が薄くて甘みの感じも違う。
「……プリンじゃ、ない」
うまく火が通らなかったり、逆に固まりすぎたり、配合を変えて何回もやってみた。それでも、プリンとは違うものしかできない。砂糖がないからカラメルを作れないのもつらい。
何よりも、見た目だ。視覚って大事なんだな。水色ってだけで俺の中ではプリンじゃなかった。
「ユウ様、何でも一度でできるわけじゃありませんよ。材料も違いますしね」
「これはこれで、味わい深いと思うぞ」
「うん。……ありがと」
レトとジードが慰めてくれる。俺は、二人と厨房の料理人たちに礼を言った。貴重な時間と材料を使ってくれたことに感謝して、またお願いしますと頭を下げた。
「俺の世界の食べ物にはならなかったけど、どうしたらいいか、一から考えます。失敗した分は俺の食事にするので、持って帰っていいですか?」
そう言うと、皆、ぽかんとした顔をしている。通常、厨房から出た失敗作や残飯は家畜の餌にする。俺は形になっているものを厨房にあった籠に詰めた。
「俺は食べるぞ」
「私も今夜、いただいていいですか」
ジードとレトがそう言って、厨房にあった籠に器を次々に詰めた。鼻の奥がツンとする。料理人たちに片づけを手伝うと言ったら、とんでもないと断られたので、今日はここまでと決めた。
自分の部屋に戻るために廊下を歩く間、ずっと黙っていた。騎士棟に戻るはずのジードが部屋まで送ると言い、さりげなく歩調を合わせてくれる。何か話そうと思っても言葉は浮かばなくて、手に持った籠がやけに重い。
部屋の前まで来て、ジードに今日の礼を言おうと振り返った。ジードが俺を見て真剣な顔になる。
「ユウ、大丈夫か?」
何で? と明るく言おうと思ったら、ぽろっと涙がこぼれた。
「え? あれ?」
何だ、これ。おかしいだろ。泣きたいなんて思ってなかったのに。
一旦泣き始めたら、少しも涙は止まらなくて、幾らでも出てくる。ぼろぼろ泣き続ける俺の頭の上に、大きな手が置かれた。まるで小さな子を慰めるみたいに、よしよしと撫でてくる。撫でられれば撫でられるほど、涙は止まらない。
大丈夫じゃない。
本当は、そう言いたかった。
頭の中では、食材も環境も違うんだから、失敗して当たり前。何回でもやり直せばいいと思っていた。でも、できなかったことは想像以上にショックだった。元の世界の材料を思い出して、普通の鶏の卵があれば、砂糖があればと、どうにもならないことを思う自分が嫌だった。
「プ、プリンは、得意なスイーツ……なんだ。何回も……作って、失敗なんてずっと……、したこと、なくて。父さんたちは硬めの、姉さん……たちは、とろとろが……好きだ」
好みに合わせて作れば、みんなが喜んでくれた。だから。
「ほん……とは、こっちの人にも、食べ……て、ほしくて」
失敗作でも捨ててしまったら、もっと惨めになるような気がした。
ジードは、黙ったままずっと頭を撫でてくれた。涙はきっと、プリンもどきの上にも落ちている。しょっぱくなるなあ、なんて思ってはまた泣けた。
「これは、ユウの大事な食べ物なんだな」
「……うん」
ああ、そうか。プリンを作ろうと思ったのは、作れそうだったからだけじゃない。俺が、作りたかったんだ。俺の世界の、大事なもの。大切な人たちが喜んでくれたものだから。
ジードの右手が、俺の肩を抱き寄せた。左手にはたくさんのプリンもどきが入った籠を持っている。失敗作の大半はジードが引き受けてくれたのだ。
俺が泣き止むまで、ジードは優しく背を撫でていた。俺よりずっと背の高い騎士が、身を屈めて黙って付き合ってくれる。大きな手の平から伝わる優しい温もりが、何よりも俺の心を温めた。
翌日は予想通り目が腫れていた。濡らした布で目を冷やしていると、レトは俺を見て微笑む。
「また違う方法を考えましょう。ユウ様は頑張りましたよ」
「……ありがと。ジードも、たくさん慰めてくれたんだ。迷惑かけちゃったな」
「それは、まあ。……役得でしたね」
最後の方は、小さな声でよく聞こえなかった。今日会ったら、真っ先に謝っておこう。
俺は午前の勉強を早めに切り上げて、騎士棟に向かった。王宮と騎士棟は、渡り廊下で繋がっている。騎士棟に向かうほど、体の大きな人が多くなる気がする。騎士棟の入口の大扉を見て立ち止まり、中まで進むかどうか悩んだ。
すると、扉がバンと開いた。中から若い騎士たちがぞろぞろと出てきて、俺を見て口笛を吹く。
「ねえ、おちびさん。こんなところでどうしたの?」
「さっきから、ここにいた? 誰かに用事?」
「俺たちが一緒に探してあげようか」
ちゃんと答えなきゃ、と思うのに声が出なかった。相手がデカいってのは無意識に怖いことを、こっちに来て初めて知った。
「おい、何してる!」
怒りを含んだ声が響き渡る。
「ジード!」
「ユウ! 何でこっちまで来たんだ?」
ジードは、騎士たちと俺の間に割り込むようにして入ると、ぐいぐいと俺の手を引き、王宮に向かって歩き出した。
「なあ、今の子ユウって言った?」
「え? じゃあ、あれが異世界から来た客人?」
後ろで騎士たちの話し声がする。すぐ隣を見れば、見たこともないほど険しいジードの横顔があった。
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