第2話 公爵令息とレシピ
「私はユウ様が十八だということに驚きますが……」
それは散々言われてきたことだから、よくわかっている。もっと年下に見えるらしい。
この国の人たちは総じて背が高く、体つきもがっちりしている。俺は身長が一八〇センチあるが、ここでは成人女性と同じぐらいだ。男性は二メートル前後で、騎士なら大抵はもっと高い。
中学時代はバスケ部だったし、高校で念願の家政部に入ったとはいえ筋肉はそこそこ付いている。別に貧相な体つきだとは思わないが、こちらの女性の方が俺よりよほど逞しく見える。おかげで、日本なら背が高めの男子高校生のはずが、ここではまるで女子のような扱いだ。仕方ないとは思っても、ため息が出てしまう。
昼食後は昼休みが終わるまで、ジードと二人で庭園を散歩した。王宮の庭園は広すぎて、毎日散歩しても全部見終わることはない。俺たちは大抵、噴水の前の芝生に腰を下ろして話す。
あたたかな陽射しの中にいると、まるで全てが夢みたいだ。
朝起きてスマホのアラームが鳴ることも、母や姉たちの声が聞こえることもない。懐かしい家に帰れることは二度とないんじゃないかと思う。
それでも、あきらめるのはまだ早い。途方もない金がかかるとしても、魔術師に頼めば、いつかは帰還術を使って帰れるかもしれないんだ。
こちらで通用するかはわからないが、俺には特技があった。それでうまく金を稼げれば……。そう思ってからは、少しずつ前向きに物が考えられるようになった。
「……ユウ」
「ん? 何、ジード」
「さっきの……、後見の話なんだが」
「ああ。レトはたくさんの貴族が、って言ってたけどまだ何も決まってないんだ。ただ、王宮から出ろって言われたらさっさと出ないとな。正直、後見を引き受けてくれるなら誰でもいい」
「ユ、ユウ! それならッ!」
ジードが、ぐっと体を近づけてくる。鼻先が触れそうな勢いだ。いくら何でも、近すぎるだろ。
「ちょ、ちょ……」
「ユーウ!!」
思わず芝生の上を後ずさると、自分を呼ぶ声がする。晴れやかな声の主は、後ろに供を連れて庭園を歩いてくる。
「あ、スフェン様」
「嫌だなあ、ユウ。様はいらない、スフェンでいいって言ったじゃないか。おや、ジード」
「久しぶりだな、スフェン」
俺が目を
「ユウはどうして、スフェンを知っているんだ?」
「スフェン……には、本を借りているんだ」
輝くような笑顔の若者はルブラン公爵家の令息だ。俺は料理の本が見たくて、王宮の書庫に入る許可を取り付けた。しかし、書庫でも目当てのものは見当たらない。司書長に相談すれば、南に広大な領地を有する公爵家の話をしてくれた。当主は代々美食家で、領地からはたくさんの穀物がとれる。公爵家の書庫には、国中の料理のレシピを集めた本があると言う。
『丁度、公爵家の令息が王宮勤めをしております。ご紹介致しましょうか?』
一も二もなく、親切な司書長の言葉に飛びついた。
スフェンは公爵家の三男で、いかにも育ちのよさそうなお坊ちゃんだった。恐る恐る話しかけると、満面の笑顔で話を聞いてくれる。彼が気前よく実家から取り寄せてくれたおかげで、俺は貴重な料理本を借りることができたのだ。
「ユウの頼みなら、いくらでも聞こう」
「ほんと? めちゃくちゃ助かる。この世界の穀物を実際に見てみたいんだ」
「ああ、それなら仕事の後にでも、ゆっくり話をしないか? 何なら今夜、夕食を一緒にどうかな?」
「ありがとう。でも今日は、調べたいことがあるから」
「……残念だな。また今度、誘ってもいいだろうか」
「うん。楽しみにしてる」
正直、本の内容だけではわからないことだらけだ。レトに説明してもらっても、イメージさえわかないものもある。何よりも、まずは実物を目にしたい。
王宮中に大聖堂の鐘の音が響き渡った。もう昼休みは終了だ。
「それじゃあ、ユウ。また次の機会に」
スフェンは俺の手を取って、甲に軽く口づけをした。ぞわわっと背に何かが走り、全身に鳥肌がたった。思わず振り払いたいところを必死で堪える。
……だから、そういうのは男じゃなくて、きれいなお姫様相手にやるんじゃないのかよ。確かに、こっちのデカい男たちからすれば、俺の手でも華奢に見えるのかもしれないけどな!
こちらに来て少し経った時に、手の甲だろうが頬だろうが、キスは男女関係なくする挨拶の一つだと聞いたけれど、ちっとも慣れやしない。
俺の心も知らず、にこりと笑って公爵令息が去っていく。鳥肌は少しずつ治まってきたが、体が寒気でぶるりと震えた。さて、俺も午後の勉強と振り向くと、ジードの突き刺すような瞳があった。
「……スフェンと一緒に夕食?」
「うん、前から誘われてて」
「ユウ。あいつはだめだ! 絶対にダメだ。一人で夕食に行くなんて食われにいくようなもんだ!」
「食われに? ……聞き間違いか。じゃあ、ジードも一緒に食べる?」
「えっ?」
「食事は大勢の方がうまいし。俺、実家では六人家族だったから、人が多い方が好きなんだよ。同級生なんだから、たぶんスフェンだってジードが一緒でも構わないだろ?」
「う、あ、まあ……」
「二人きりになって、スフェンにまた手にキスされるのも困るしなあ……」
ジードは俺の言葉に、眉を顰めて考え込んでいる。
「それに俺、ジードの食べっぷりが好きだ」
「す、すき……」
「うん。だから今度一緒に夕飯食べよう」
ジードは真っ赤になって、こくこくと頷いた。ジードって結構、照れ屋なところがあるよな。
俺は、午後の勉強時間にレトに頼みごとをした。
スフェンに借りた本の中には、わからないところがたくさんある。その本の解読と、そこに載っている材料の入手法を教えてほしいと。
この世界で普通に
俺の世界のスイーツの話を聞いたレトは、興味深いと言った。
「その昔、我が国の食卓にパンを普及させたのは、異世界人だと言われています」
「え、そうなの?」
「元々、私たちの祖先は穀物を粉に挽き、水と共に捏ねて伸ばしたものを焼いて食べていました。そこにパン職人だという異世界人が揺れと共に現れたのです」
最初はひどく落ち込んでいた職人は、保護された田舎で人々と一緒に農業に従事した。心身が回復するにつれ、彼はパンを焼きたがった。この世界に馴染めば馴染むほど、その気持ちは膨らんだ。
自分が焼いたパンを世話になった村人たちに食べてもらいたい。ここには、粉も水も
彼は日々、研究を重ねた。
「何年もかかったそうですが、果実からとれた酵母を増やしてパンを発酵させ、焼き上げることに成功しました。その技術は少しずつ国中に広まっていったのです。パン職人のおかげもあって、この国では異世界人は新たな技術をもたらすと言われています」
レトの話に、俺はすっかりやる気になった。
俺は昔から、菓子作りが好きだ。家族が喜ぶのでどんどん作っていたら、コンクールで入賞したこともある。高校卒業後は、パティシエを目指して専門学校に進もうと決めていた。
……菓子を作ることができたら、まず誰に食べてもらおうか。
ふっと、大きな黒い瞳が浮かんだ。華やかな顔立ちの、誰よりも優しい心を持っている人。胸の奥がズキンと痛む。ぶんぶんと、思いきり首を振った。異世界に来てまで失恋の思い出を引きずるのは、我ながらどうかと思う。
「違う違う。この世界で食べてほしい人だ、この世界で!」
深い碧の瞳が浮かんだ、ああ、そうだ。一番に、彼に食べてもらいたい。この世界に来てすぐに命を助けてくれた騎士。ジードに俺の作ったスイーツを食べてほしい。
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