【騎士とスイーツ】異世界で菓子作りに励んだらイケメン騎士と仲良くなりました
尾高志咲
第一章 王都
第1話 イケメンと魔獣
――なに、これ。
目の前の状況が理解できず、声にならない。
頭上二メートル位のところに、ばっくりと開いた大きな穴がある。それが生き物の口だと気づいたのは、相手が自分に向かってきたからだ。巨大な太い蛇のような白いものが、うねうねと体を揺らす。ぎざぎざの歯が口の円周上に細かく並び、中央から細長い舌がにゅるりと伸びてくる。
どうして俺はこんなものを見ているんだ。ついさっきまで、部活に出ようとしていたのに?
◇◇◇
中間テスト前で一週間、部活動は休みになる。テスト前最後の部活があるからと、土曜の朝、いつも通りに家を出た。
俺の入っている家政部は、男子校にも関わらず活発な活動で近隣に名を知られている。家政部は料理班と手芸班に分かれているが、俺は料理班だ。
今日は入部したばかりの一年生たちにフランボワーズのムースケーキを披露する日だった。高校の駐輪場に着いてチャリを停める。前カゴから下処理済みの材料の入った保冷バッグを取り出して、部室である家庭科室に向かった。
その時だ。踏みしめていた大地が、そして空気が、ぐらぐらと揺れた。
「地震?」
慌てて周りを見ても、休日の為に人はいないし、スマホの緊急地震速報も鳴らない。
もしかして、揺れているのは俺? 貧血だろうか?
昨夜遅くまでケーキのレシピを確認していたし、連日寝不足だった。揺れはおさまらず、耳の奥と胃がおかしくなる。とりあえずしゃがみこんだ。うー、と唸ってうつむいていたら、誰かが俺の肩を掴んだ。
「*******」
聞いたこともない言葉が降ってくる。
目を上げたら、少しくすんだ金髪と碧の瞳が目に入った。あれ、うちの高校、交換留学生なんて来てたっけ? 日に焼けた肌に、彫りの深い顔立ち。思わずまじまじと見れば、眉が少しだけ下がって、二重瞼のくっきりした瞳が綺麗だ。
「**** !」
目の前のイケメンが弾かれたように真上を見る。続けて、大声で何か叫んだ。つられて見上げればそこに、丸い穴があった。
「え?」
穴だと思ったのは、化け物の口だったようだ。衝撃で動けずにいると、強い力でぐっと腕を掴まれて、思い切り放り投げられた。一瞬、宙に浮かんだ体が、すぐに地に転がる。
「……いってぇ」
草の上だったとはいえ、力任せに投げつけられれば痛い。何とか起き上がって振り返ると、先ほどの男が白い生き物を剣で真っ二つに薙ぎ払ったところだった。
「すご! 本物の騎士みたい!!」
そう叫んだ瞬間、俺は脳天を突き抜けるような腐臭に総毛だった。腐敗した魚をぎゅっと集めたような悪臭。斬られた生き物の体液が盛大に飛び散り、切り離された体がびくびくと地面に蠢く。だめだ。もはやキャパオーバーだ。そこで俺の意識は、ぷつりと途切れた。
目覚めた時には、見たこともない広い部屋のベッドに寝ていた。
すぐ側の椅子に座っていた人が、俺を見てぱっと顔を輝かせた。俺を化け物から助けてくれた男だ。彼は、黒の縦襟の服にマントをつけていた。余程動揺していたのか、その格好がまるでファンタジー映画に出てくるようだと今になって気づく。
彼が立ち上がって部屋を出ると、入れ替わりに何人もの人が並んで入ってきた。イケメンに負けず劣らずの中世ヨーロッパ風コスプレ御一行という顔ぶれだ。その中では比較的地味な格好の一人が、人々に一礼して前に出る。俺の隣にやってきて、ずいと四角い箱を差し出した。男が何か言葉を発した途端、箱が銀色に光った。
「ようこそ、異世界からの
耳に入ってきたのは、確かに俺の聞きなれた日本語だった。
あれから三か月が経った。俺は今、エイラン王国の王宮に保護されている。
元いた世界と時間の流れが同じなのかは、よくわからない。ただ、制服の胸ポケットにたまたま入れていた生徒手帳には、カレンダーが付いていた。こちらに来る前は見もしなかったそれに、俺は一日の終わりの〇をつけている。それがちょうど三か月目になったのだ。
朝起きて、この世界のことを学んで、夜が来れば眠る。それが今の俺の一日だ。この世界は元居た世界によく似ていた。しかし、俺の世界に魔法はないし、魔獣なんてものもいない。
この世界には、時折、揺れと呼ばれる地震と共に異世界から人や物が現れる。どうしてそんなことが起きるかはわからず、日々、原因究明に励んでいるそうだ。それぞれの世界は隣り合って存在し、揺れの頻度はまちまちだ。俺はどうやら、その揺れに巻き込まれたらしい。
今、俺が知りたいのは一つだけ。元の世界に帰れるのかどうかだけだ。
「帰れるとも帰れないとも言えません。『揺れで現れた者は揺れで戻る』との言い伝えがありますが、そもそもやってくる客人が少ないのです。ただ、他国では、魔術師が客人の帰還術を行う国もありますよ」
俺の付人で担当教師でもあるレトが穏やかな口調で答える。レトは俺よりも少し年上の物腰柔らかな男性だった。
「じゃあ、そこに行けばいいのか? 帰還術なら俺も帰れるってこと?」
「うーん、客人は、現れた場所が一番元の世界に戻りやすいと言われています。帰還術を使うなら、魔術師に来てもらう方が確実です。ただ……」
「ただ?」
「帰還術は、途方もなく高額です」
俺は机に顔を伏せた。……無理だ、金なんか財布にあった小銭しかない。この世界では何の役にも立たないし、金の稼ぎ方も知らない。そもそも言葉だって、エイラン以外で通じるのかもわからない。初日に見せられた四角い箱の中には、小さな真珠があった。飲んだ途端、人々の言葉がわかり会話ができるようになったのだ。真珠はこの世界の女神からの加護で、異世界に体を馴染ませるためのものらしい。
せめてもの救いは、俺が揺れと共にやってきた国が、異世界人に優しかったことだ。王宮で保護してくれるし、専属の教師をつけてくれる。この教師とは、勉強を教えるのではなく、この世界の成り立ちや生活の仕方について教えるのだ。実践的で助かる。レトはずっと親身になって、不安で落ち着かない俺の話を聞いてくれた。
午前の授業を終えて、昼食の時間になった。
レトと共に部屋を出て、食堂に向かう。最初の頃は与えられた自室で食べていたが、ここの暮らしに慣れるために、最近は王宮職員たちの食堂を使っている。
「ユウ!」
「ジード」
「今から昼食だろう。一緒に食べよう」
「……毎日毎日、騎士棟から来られるとは、甲斐甲斐しいことですね」
レトが目を細めてぼそりと呟く。ジードは気にする様子もない。
前に聞いた話だと、騎士たちは本来、騎士団専属の食堂を利用するものらしい。騎士が王宮職員の食堂で食べていけないことはないが、提供される食事の量が一般人とは全然違うのだそうだ。確かに、ジードはいつもあっという間に食べ終えてしまう。
初日に俺を助けてくれた金髪に碧の瞳のイケメン、ジード・センブルクは本物の騎士だった。王国の騎士団の中でも辺境専門の第三騎士団の所属で、久々に王都に戻ってきたと言う。一年のうちの大半は辺境で魔獣を相手にしていると言っていたから、俺の頭の中では遠洋漁業の漁師と同じような認識になっていた。
「ジードは、まだ当分王都にいる?」
「もう一か月は王都暮らしだ。その後はまた辺境だが」
そう言って、ちょっと眉を
レトが俺たちを交互に見ながら言った。
「第三騎士団はなかなか王都に戻れませんから、こうしてご一緒に食事をされるのも貴重な機会でしょう。ジード様のおかげで、ユウ様もだいぶこちらの生活に慣れてこられましたし」
「うん……。ねえ、レト、俺ずっとここにはいられないよね?」
「そうですね。客人の様子や希望次第ではありますが。王宮で一通りの知識を身に付けた後は、王室から委託を受けた後見人の元に移ることになります。ユウ様のご後見には、何人もの貴族が名乗りを上げておられますよ」
ガタッと音がして、ジードが立ち上がった。
「……片づけてくる」
ジードはようやく食べ終わった俺の食器と自分の食器を手に取った。食堂を大股に歩いていく騎士の背に、ちらちらと熱い視線が送られる。イケメンはやはり、どの世界でもモテる。
「ジード、どうしたんだろう?」
「ユウ様のご後見を心配しておられるのだと思います。ジード様はまだ十九。身分はまだしも、ご自分が後見人にはなるには年が足りませんしねえ」
「えっ! ジードって十九なの? 俺と一つしか変わらないの?」
まさか、そんなに年が近いとは思わなかった。顔立ちも体格も全然違うし、自分よりもずっと落ち着いているように見えたから。
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