第29話 ダンジョントイレ事件 事件編
サナのインチキにより、魔物との戦闘を大幅に減らすことに成功した私たちは、地下2階への下り階段を降りた先の通路で1日目の夜を過ごすことにした。少し行ったところに広間はあるけれど、広い場所で複数の魔物に囲まれるよりかは、前後を挟まれたとしても1対1の状況を作れる狭い通路の方がいいと判断した。そういうふうに仕向けた。
「……エイナル」
「何パルマ?どうしたの?」
「……えと、おしっこ」
ああ、そうね。おしっこね。
遂にこの時が来た。待ちに待った時間がやって来た。
周りを魔物に囲まれて、いつ襲われるか分からないこの状況ではあるけれど、人間である以上生理現象を抑える方法はない。せいぜいが水分の摂取を控えるくらいのもので、それだってトイレの頻度が減るだけで無くすことは出来ない。
空の下であれば木の影で用を足すことが出来るだろう。ほんのちょっとの時間であれば、突然の魔物襲撃に出くわす可能性なんて低い。事前に周辺を見回ってからにすればリスクは減らせるし、人目が気になるならタープなりなんなりを張って目隠しをすることだって出来る。やりようはいくらでもある。
しかし、今私たちがいるのは試練の遺跡、迷宮、ダンジョンだ。
ランタンを使っても10メートル先は薄暗く、通路は狭い。用を足している1分や2分の時間、完全な無防備になってしまう。この時間はあまりにも長すぎる。魔物が10メートルの距離を詰めるのにかかる時間はどんなに遅くても10秒程度だろう。よって見張りは必要だ。
そして、見張りがいる中で用を足さなければいけないという恥の問題。これも避けては通れない。広間ならまだしも、狭い通路で目隠し用のタープを貼れば通路が片側見えなくなってしまう。よって目隠しは却下。
つまり、パルマが用を足す姿を合法的に監視することが出来る。
なお、全ての問題を解決する手段を私たちは実は持っている。広間に場所を移し、部屋の隅に専用のスペースを作る。もしくはサナの土魔法だ。土魔法で壁を作り、用を足してから土魔法を崩して排泄物を隠して、放置すればダンジョンに吸収され跡形もなくなる。だけど私はサナが回復魔法以外も使えることをパルマには隠している。それにこれらの手段は私に得が一切ないので却下だ。
ちなみに私はサナが監視してくれるからパルマには見られることはない。小さかろうが大きかろうが、背を向けて耳を塞いで貰えればそれでいい。それに普段からサナに見聞きされ、味わい、評価されているためもう慣れた。匂いだけは恥ずかしいけどパルマが感じる恥ずかしさに比べればどうってことはないだろう。
完全に私が有利なこの状況。さあ、パルマはどうやって切り抜けるのか。
私はずっと、ずーっとパルマの恥ずかしがる表情が見たいと思っていた。いつも無表情なその顔が羞恥によって赤くなり、俯いて、それでも我慢しきれずに用を足すその姿を。いや、勘違いしないでほしい。私は用を足す姿を見たいのではなくて、恥ずかしがるパルマを見たいだけだ。決してそういう趣味があるわけではない。メインではなくオプション、添え物だ。ステーキの横のニンジン。ハンバーグについてくるポテト。メインはあくまでも恥ずかしげに俯く顔だ。
さあ、見せて欲しい、隠されたその表情を。私にだけ、私だけが、パルマの霰もない姿をこの目で……。
「サナ、こっち見てて、エイナルはあっち。耳は塞いで」
え?
♪♪♪
『残念だったね、ド変態のエイナ』
次からは広間で休もう。安全が1番だ。煩悩は2番。
パルマは用を足した後、小規模の酸魔法で証拠隠滅していた。ずるいと思います。私の時はどうすれば良いのだろうか。小はともかく大はパルマには頼みづらい。サナに頼もうかしら。でもお尻から酸魔法を出すのは怖いし、証拠隠滅したらパルマには不審に思われてしまう。うーん、どうしましょ。
ていうか早速催してきた。しかも大きい方だ。というか両方。
もしかして、私は自分で自分の首を絞めたの?
落ち着け、状況を整理しよう。勇者には戦況を見極める理知的な思考が求められる。状況を正確に把握して最適な行動を選択するだけだ。
前提として回復魔法以外は使えない。お尻から出す魔法はなるべく秘密にしたい。
1つ目、匂い問題。これは最悪諦める。
2つ目、監視問題。背後はサナに任せる。前はパルマに任せるから、これでパルマは私に背を向ける形になる。よし。
3つ目、音問題。パルマに耳を塞いで貰えれば解決する。よし。
4つ目、出したものの処理。これが厄介だ。10分くらいは残る。
1つ目と4つ目を解決するために、私に取れる手段は……。
ない。
いや、諦めるな。私はこれまでも襲いくる数々の便意を耐え切ってきた女だ。そもそもは便秘最大記録1週間の女。ダンジョンに潜っている期間は4日から5日。耐える気をすれば耐えられる。なんだ簡単じゃない!
……尿意は耐えられない。物理的に。
前だけ出して後ろは出さないなんて器用な真似が出来るか?
もとより食生活の改善によって私の鉱石は丹精込めて固めた泥団子くらいまで柔らかくなった。ニュルニュル動くはずだ。とても我慢できるとは思えない。
……別の方法を考えよう。そうだ、困った時のサナだ。
「サナ、静かに、私だけと話そう」
『何?内緒の話?』
「証拠を残さず排便排尿する方法を考えて」
『馬鹿なの?』
「大真面目よ、あなたならなんとか出来るでしょ?」
『無理だよ、諦めなよ』
「そこをなんとか」
『……空間魔法を使えば、あるいは』
「空間魔法?」
なによそれ。
『使い方によっては、物質を消滅や、転移させたりも出来る魔法だよ、今回の場合はエイナのうんちやおしっこを転移させることになるね、おなかの中から、外に出さずに直接ね』
なんでそんな便利な魔法を知っていて黙っていたのよ!それを使えば今回に限らずわたしはトイレに行かなくても良くなるじゃない!
『空間魔法は高度な魔力操作を要求されるし、発動だけでも大変なんだよ。エイナが今までで1番辛かった魔法は何?』
「1番か……ヒールウォーターかしら?パルマの攻撃が無かったとしてもあれが1番辛かったわ」
他の魔法は性質上お尻から外に出るけれど、回復魔法は中で膨れ上がるのでとても辛かった。
『空間魔法も今回の使い方だと回復魔法と同じようにおなかで魔力が満ちるから、あれと同種の苦しみだと思ってくれて良い。回復魔法は癒す目的の都合上、時間がかかったけど、空間魔法は一瞬だ。苦しむ時間は短くて済むと思う』
それならなおのことやるべきよ。リスクはあるけれど一瞬であれば耐えることが出来る。
『ただし、魔力は回復魔法の5倍は消費する。一瞬でだ。この意味が分かるかな?瞬間的に5倍の腹痛がエイナを襲うってことだよ』
あれの、5倍?一瞬とはいえ、5倍……。
いけ、そうな、無理そう、な。
いや、私なら、エイナル・アヌスティアなら出来るはず。
私は勇者になるのよ、これくらいの逆境を乗り越えなくて、何が勇者よ!
それに、挑戦しなくても、挑戦して失敗したとしても、どちらにせよ出さざるを得ない状況なのだから、実質やり得、ノーリスクと言える。であれば挑戦するべきよ。失敗したとしてもお漏らしにはカウントされない。しない。
「……やるわ、失敗してもノーリスクな状況なのだから」
『わたしの計算だと99%失敗するから、実質はリスクしか無いんだよね。無駄におなかを痛めるだけだよ』
「苦しんでも、手に入れたい未来があるの。諦めたくないのよ」
『なんかカッコつけようとしてるけどうんち我慢するだけだからね?』
立ち上がり、パルマへと声をかける。万が一のためだ。
「パルマ、あっち側の見張りをお願い。恥ずかしいから耳は塞いでね。終わったらサナが声をかけるから」
パルマは無言で頷いて、通路の一方向へ体を向けた。私は万が一のために処理するための紙なりなんなりを手に、反対側へと向かう。
『万が一なのは成功確率なんだよね』
心を読むな。
万が一のため、下着をずり下げ、しゃがみ込み、スカートを捲り上げる。あとは心の準備だけだ。
「ふぅ。それじゃあ、やってちょうだい」
私は万が一のために、悲鳴をあげないように口に布を咥えて歯を食いしばる。
『断頭台に立った処刑人ってこういう気持ちなんだろうね。胸が痛いよ。じゃあ行くよ、バニシュデジョン』
ぴゅ。めり。シュンッ!
・・・・・・※・・・・・・
陽が暮れて、ランプの灯りが部屋を照らす中で1人酒を
詰所の周辺には魔物避けの薬を撒いているから、1人でも安心して酒を楽しむことが出来る。クソみたいな僻地勤務の、唯一の救いだ。これが無かったら兵士なんてやめてしまっていただろう。
「あの2人、無事に帰って来ると良いが……」
8人の勇者候補のうち、最後の2人はどちらも年若い少女だった。自分の娘ほどの年齢の少女たちが今朝方、遺跡の中へと向かってしまった。
他の帰還した勇者候補たちはそれぞれ3人以上でパーティを組んでいたし、おそらくは資金に余裕があるのだろう。装備も充実していた。貴族などの有力者出身なのは見れば分かった。だからこそ試練を乗り越えて帰って来ることが出来たはずだ。
しかしあの2人は人数も少ないし、最低限は準備していたようだが目を見張るほどの装備とはいえなかった。平民出身で伝手も資金もないのだろう。仮にこの遺跡を無事に攻略したとしても、後にはまだ7つも試練が立ちはだかる。道行は険しいだろう。
若い奴を早死にさせちまう、勇者選定の儀式。こんなものを続けるのに金を使うくらいならば、魔族の拠点を潰す軍の遠征費にでも充てた方がよっぽど良いのに。そう思わざるを得ない。
「……まあ、こんな僻地に赴任した俺が考えても仕方がないことか……」
酒を呑むと気が落ち込む。良くないとは思っているが、やめられなかった。
そういえば、今日の昼間は天気が良かった。外はさぞや星が綺麗だろう。落ち込んだ気分を吹き飛ばしたい。外へ出て星空を眺めるのも一興だ。俺は酒瓶片手に詰所を出た。念のため腰には剣を差している。薬が撒いているとはいえ、万が一があるからだ。
外に出ると、涼しい風が俺の火照った頬を撫でた。熱い体で、冷たい風を楽しむのも、俺のささやかな贅沢の1つだ。
上を見上げると、満天の星空が視界を埋め尽くしている。俺は星の名前に詳しくないが、1つだけ知っている名前がある。他の星と比べて、一際強く輝く、大きな星。その名はエイナル。あの生意気な勇者候補の名と一緒だ。
今日はいつにも増してエイナルが輝いて見える。あの女も夜空に輝く星のように、俺たち平民の道標となってくれればと。そう考えていた時だった。
ガサガサ、パシャア。
詰所の裏手から奇妙な音がした。驚いてそちらの方を振り向く。
まさか魔物か?いや、薬の効かない動物の類だろうとは思う。だが念のため調べておいた方が良いだろう。そうでなければ、この後安心して眠ることが出来ない。
酒瓶を地面に置き、剣を抜いてから詰所の裏手に向かう。あれから物音は聞こえないが、それは逆に何かがまだそこにいることを証明している。獣が動けば、もう一度音が鳴るはずだからだ。
詰所の横を進んでいたところで、刺激臭を嗅ぎ取った。
これは、クソの匂いだ。生き物のクソの匂い。
不快な匂いが、詰所の裏の方から風に乗って漂ってくる。酒を呑んで火照った頬を、生暖かい悪臭が撫でる。最悪の気分だ。
だが、これではっきりした。やはり先ほどの音は、生き物が動いた音だろう。そして今は呑気にクソをして、これからお帰りになるんだろう。
ふざけるな、この詰所は俺の家のような場所だ。詰所の裏は食料を自給するために畑になっている。俺の家の庭とも言える場所に、縄張りを主張するかのようにクソを垂れてはいさようならだと?絶対に許さない。クソをしている最中に斬り殺してやる。
俺は足音を立てないようにしながらも、足早に裏手へと回った。そこには……。
巨大な一本グソが鎮座していた。
推定だが直径5センチ。長さは40センチは有るだろうか。
窓から薄らと漏れたランプの灯りが、巨大なクソに影を作っている。湯気がもわもわと立ち昇り、小便と思わしき水たまりの中でその存在を主張している。
どう見ても、小動物のそれとは思えない。形状から言って、おそらくは人型の魔物のクソだろう。それにしてもデカすぎる。この辺に出る魔物で、人型はホブゴブリンしかいない。だがホブゴブリンであれば体格からしてもっと小さめになるはずだ。奴らは人間と同じようなクソをする。途中途中で切れるはずだし、肛門の直径から判断しても、このようなバカでかいクソはしないだろう。それに魔物避けの薬を撒いているからここには近寄れないはずだ。
いつのまにか俺は冷や汗を掻いていた。
こんな立派なクソをする魔物、体格は3メートルを超えるだろう。それでいて人型。とすればそれは……魔族しかいない。悪魔、悪魔族とも言われる、人語を話す魔物もどき。人類と敵対する種族。魔族の見た目は様々だ、小さな子供の見た目だったり、5メートルの巨人であったり。魔族であれば、この超巨大で立派な、絵に描きたくなるような一本グソにも説明がつく。
……周囲の気配を探るが、悪臭以外に感じ取れるものは何もない。魔族がいきなりここに現れ、クソをして、去っていった。どうしてそんなことをしたのか理解に苦しむが、そう考えるしかない。
よりによって、なぜこんな時に。試練への挑戦者が遺跡に入ってしまっている。街に戻って兵を呼び、このクソを証拠に魔族の出没を証明しなければならないというのに、俺はあいつらが戻ってくるか、1週間経っても戻らずに死んだと判断するまでここを離れることが出来ない。
気が付けば酔いはとっくの昔に覚めてしまっていた。空を見上げると、さっきまで澄んでいたのにいつの間にか分厚い雲がかかっていて、俺には輝くエイナルを見つけることは出来なかった。
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