第2話 キブという少年

 山間の集落。

 その外山の雑木林を、一人の少年が竹籠を背負って歩いていた。


 太陽が昇っているにもかかわらず、あたりは暗い。

 茂みの枝葉が重なり合って、細い獣道は通い慣れた者でないと見つけられないほどだった。


「はぁ……相変わらず、きつい坂だなぁ……」


 落ち葉の積もる傾斜を登り切ると、開けた場所についた。

 切られた原木が並べられ、その表面からはキノコが伸びている。


 キノコ狩りは少年の大切な役目だった。


 真面目にキノコを育てていれば、いつか集落の外に出してやる。

 集落の村長から言い聞かされて、少年は一日も欠かすことはなかった。


「帰るとき、ハオリちゃんとこに行こうかな」


 集落の外に出て町に行ったことがあるという、同年代のハオリという少女が同じ集落にいた。

 ハオリの話によると、集落の外にはダンジョンという危険な洞穴があり、そこには財宝が隠されているらしい。

 

 この世のものとは思えない、異次元の宝。

 そして宝を守るモンスターの存在。

 

 少年は夢中になってハオリの話を聞いた。

 もしまた町に行くことがあれば、ダンジョンの話をしてくれる約束もした。

 

 少年は汗をかきながら、急いでキノコを採った。


(土産話から三日たったから、ハオリちゃん、もしかすると町に行ったかも)


 夢中で作業をしていると、隣の茂みから長身の男が突然現れた。


「え……!?」


 男は音もなく急に現れた。


 集落のどこにも馴染まない異様な容姿。


 朱色の眼帯を左目にして、右目からは冷ややかな鋭い眼光が発せられている。

 黒革のコートとブーツを履いて、集落の誰よりも背が高かった。

 

 少年は立ちすんで長身の男を見上げていると、男の胸元に鮮やかなピンク色のヒラヒラが舞った。


「あ……ゴメーン。驚かせちゃったよね」


 男と対照的に、笑顔を向けてきたのは低身長の女性だ。

 青と白の水兵服の胸元に、桃色のツインテールの毛先がかかっている。マネキンのような白い太ももを、際どいところまでみせる短いスカートを靡かせ、原色の緑の長靴を履いていた。


「あたしたち、自衛隊の調査員なんだよね。あたしは道川みちかわマルミで、こっちが吹基ふきもとレント」

「え……?」


 マルミと名乗った女性の言葉は、少年の頭の中に一言も残らなかった。

 それどころか、彼女を人間とさえ思えなかった。


 ハオリの町の話には出てこなかった奇抜な見た目。異様な雰囲気。

 

 さらに女性が装着している長手袋は、肘まで毛のようなものが生えている。猫をモチーフにした手袋なのだろう、三毛猫のリアルな毛並みと、手のひらには肉球まで見え隠れしていた。


「ハロー? 大丈夫?」


 少年の瞳に猫の手が映る。


「……え、えっと、こんにちは……町の外の人?」

「まあ、そんなところかな。きみの名前は?」

「……キブ、だよ」

「……キブ? 名字は?」

「名字? 名字って何?」


 名字を知らない少年にマルミは少し悲しい表情を見せた。


「あたしたちはね、自衛隊っていってみんなを守るのが仕事だから。キブのことをしっかり守るよ」

「守る……何から?」

「ダンジョンのモンスターから」

「えっ! ダンジョンって……!」


 二人の会話にしびれを切らしたレントは割って入った。


「集落の一番偉いやつに会いたい」

「……村長だね。分かった……案内するよ」


 少年は軽快な足取りで山を降りた。


(ジエイタイって何だろう……。僕たちを守る? もしかして、ハンターなのかな。前にハオリちゃんが、ダンジョンは突然できて、たくさんの人が巻き込まれて死んだって言ってたからな。この村にもダンジョンができるのかもしれない)


 集落の中央は小高い丘になっていて、そこに建てられた平屋は学校や集会場として利用されていた。

 学校と言っても集落では、キブとハオリの二人の生徒しかいない。


 玄関の扉を引くと、中には三人の老人が座っていた。


「村長、村の外の人が話をしたいってさ!」


 キブが玄関に駆け込みながら声を上げると、真ん中の白眉の老人が腰を上げて近づいてきた。


「おお、こんな田舎に、珍客じゃな……。どれどれ……」


 身の丈が玄関の高さを越える男は、近づいて来た村長を玄関の外でじっと見つめた。


「あんたが、村長か?」

「そうじゃ、わしが……」


 それを聞いたピンクの少女が、すたすたと土間に入るやいなや、ねずみ色の残像が村長の頭上を通った。


 人の頭ほどの大きな片手斧。


(斧? 一体どこから?)


 土間にいたキブは、目の前を通り過ぎた『それ』をはっきりと見た。


「ブフゥッ!」


 村長は異音を発した。

 頭頂部と額の真ん中に斧が食い込み、頭が真っ二つにカチ割られる。──ボタボタと周りに血が飛び散った。


 キブは呆然として、マルミが引き抜いた片手斧を目で追う。間違いなく、刃渡り三十センチの手斧は真っ赤に濡れていた。


「あれれ? ボスは村長じゃないみたい」


 返り血を浴びながら、マルミは口元を押さえて驚くような仕草をした。


「な……なんで……」


 キブは血の気が引いて真っ青になり、腰が抜けた。


「残りの二人のどちらか……さっさと終わらせよう」


 玄関をくぐって入って来たレントは中央の男二人に顔を向けた。


「ヒイイッッ!」


 そして逃げようと雲散する二人を指差す。


「『ゲイン』──」


 呟いた言葉がレントの口から陽炎のように空気を揺らした。

 実体のない『それ』は、空中を伝播して蛇のようにうねる。


 窓から外に出ようとする二人に分散して、絡みついた。


「なんじゃこれは……!」

「バーイ」


 走って来たマルミは、笑顔を振りまきながら手斧を振るうと、男の首根っこが引き裂かれた。

 そして振りぬいた勢いをそのままに、体を回転させて手斧を離すと、反対側に逃げた村人の頭部を両断した。


 わずかな間に、集会場は凄惨な処刑場に変わっていた。


「どうしてこんなことを……」


 土間にへたり込んだキブの背中から、か細い声が聞こえた。


「キブくん、どうしたの……?」


 集会場の外に白いドレスを着た少女が立っていた。

 腰が抜けたキブを心配そうに見ている。


「ハオリちゃん……」


 玄関にいるレントはすぐにハオリの存在に気付いた。

 キブはレントの殺気がハオリに向かっていることを知った。


「に、逃げて! ハオリちゃん!」

「えっ?」


 立ち上がったキブは玄関の扉の前で両腕を広げた。


「キブ、説明はあとでするから、そこをどけ」

「どくもんか! あんたたちは人殺しだろ! 絶対にこの先には行かせない!」


 レントが近づく。キブがレントの接近に気付いたとき、すでに後ろに投げられていた。


「すまないな」


 レントはハオリに手のひらを向ける。

 キブは後ろから飛びかかり、黒いコートを力の限り引っ張った。


「やめろーー!」

「くっ」


 レントはキブを振り払い、首根っこに手刀をくらわせた。

 それでもコートを握り締めて放そうとしない。


「ウググッ……!!」

「相当に強いな……」


 レントは感心して頷いた。


「キブ、この人怖い! 助けて!!」


 ハオリは近づくわけでもなく、逃げるわけでもなく、その場に立ったまま声をかける。

 苛立ちで眉を曲げたレントが、ハオリにもう一度手を向けた。


「大丈夫だ、『お前』さえいなければな……『ゲイン』」


 パン、という破裂音とともに、あたりが朱色に変わった。


 赤い霧が景色を覆い隠す。

 キブの顔はすぐにドロドロした赤い液体でぬれた。


(そ、そんな……ハオリちゃんが、割れ……)


 霧が消えた瞬間、景色は瓦礫が散乱する洞窟に変わっていた。


「……え?」


 太陽は消え、鼻をつく異臭が漂う。

 かすかに水の流れる音が聞こえた。


「幻覚が消えたようだな」


 走ってきたピンクの少女は、毛布をキブにかぶせた。


「大丈夫だった!?」


 キブは裸だった。


「ハオリちゃんは……村のみんなは……?」

「……とにかく、今はダンジョンから出ようよ」

「ダンジョン?」


 あたりを見回すと、鍾乳洞のような、キブが思い描いていたダンジョンそのものだった。


「こいつがこのフロアのボスだ」


 ハオリのいた場所には、洞穴の天井まで伸びた歪な木が生えていた。

 男は落ちていた片手斧を手にすると、一撃で木を切り倒し、トドメを刺した。


「マンドレイクだ。こんな大きく育ったやつは見たことがない。人を操り、その人の生気を奪って成長する」


 キブは男に背負われて、ダンジョンから脱出した。

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