第8話 似たもの夫婦

「メイリーン、大丈夫?」


 俺たちが寝室に到着すると、ユリアがベッドの上で上半身を起こしているメイリーンの手を取って心配そうに語りかけていた。


「ええ。悪阻でちょっと気持ちが悪いけど、大丈夫よ」


 メイリーンは、青白い顔をしながらもユリアのことを心配させないように微笑みながらそう言った。


「ホント?」

「ホントホント。だから、あまり心配しないで?」

「うん……あのさ」

「なに?」


 ユリアが、なんかメイリーンに聞きたそうで、でも聞きにくそうにしている。


 いつもはそんな態度を見せたことがないので珍しいな。


 なにを聞こうとしてるんだ?


 そう思ってユリアの動向を見守っていると、ようやく話し出した。


「……悪阻って、つらい?」


 その質問を聞いたとき、俺とアイバーンは二人揃って頭に「?」と疑問符を浮かべてしまったのだが、ベネットさんは理解したようで「あっはっは」と笑い出した。


「なんだいユリアちゃん。具合が悪そうなお友達を見て悪阻が怖いとか思ったのかね?」

「あ、そうなの?」

「う、うう……だ、だって! メイリーン、いつも元気なのにこんなに青白くなって、具合も悪そうで……」


 あ、そういうことか。


 ユリアは、悪阻に苦しむメイリーンを見て、自分が妊娠したらこうなるのかと怖くなってしまったのか。


 それを理解したのでアイバーンを見ると、奴の顔は真っ赤になっていた。


 同棲までしてんだからやることやってるだろうに、なにを照れてんだコイツは。


「ふむ、ちょっと失礼するよ。アタシはベネット。産婆をしている。アンタはメイリーンさんでいいのかな?」

「あ、はい。メイリーンと申します。よろしくお願いしますベネットさん」

「うん。それで、今のところ、気分が悪くなる以外に別の症状とかはないかね? 例えば、お腹が張るとか、痛みがあるとか、不正出血があるとか」

「あ、いえ。今のところ気分が悪いだけで、他は特に異常ありません」

「そうかい。どうやら、アンタは悪阻が重い体質のようだ。母親からそういう話は聞いたことはないかい?」


 ベネットさんのその質問に、メイリーンは苦笑した。


「すみません。母とは殆んど話したことがないのです」

「……そうかい」


 べネットさんは、多分メイリーンの母が亡くなっていると勘違いをしてると思う。


 そうじゃないんだよなあ……。


 メイリーンは少し迷う素振りを見せたあと、ベネットさんに話しかけた。


「あの……これから言うことは内緒にしてもらえますか?」

「ああ、患者の秘密を守るのはアタシらの義務だからね」


 そう言うベネットさんに、メイリーンは自分のことを話し出した。


「あの、私の母は、魔族国の王妃なので、私の養育には殆ど手出しできなかったのです。私を育てたのは、乳母と侍女、それと家庭教師たちです」


 その告白を聞いたベネットさんは、大きく目を見開いたあと、メイリーンのお腹を見た。


「……ってことは、そのお腹の子は、魔族国の王女と召喚者の子、ということかい?」

「あ、一度は女王に即位したので、元女王ですわ」

「……」


 メイリーンからの追撃に、ベネットさんは座っているのにフラフラとよろめいた。


「だ、大丈夫ですか? ベネットさん」


 俺がベネットさんを支えると、ベネットさんは肩を掴んだ俺の手をガッと掴んだ。


「アンタ……この子はとんだ爆弾じゃないかい! 人族、魔族、どちらに知られても奪いにくるよ!」


 ベネットさんは、怖い顔をしてそう叫ぶが、そんなことは百も承知だ。


「そんなことはさせませんよ。もし、奪いに来るようなら……」


 その時を想像すると、俺の心がスンと冷えていく。


「皆殺しにしますから」


 俺がそう言うと、ベネットさんが「ヒュッ!」と息を呑んだのが分かった。


「なので、このことは内密にお願いしますね」


 ちょっと怖がらせてしまったようなので、極力笑顔でそう言ったのだが、ベネットさんは青い顔のままコクコクと頷いた。


 そんなに怖っただろうか? 精一杯の笑顔だったのだが……。


「ちょっとケンタ、ベネットさん怖がってるじゃん」

「ええ? 笑顔で対応したろ?」

「その笑顔が怖いんだよ、もう!」


 凍り付いてしまった部屋の空気がユリアの言葉によって溶けていくのが分かった。


「すみませんベネットさん。ベネットさんになにかするわけではありませんから、ご心配なく」

「あ、ああ……アタシが、約束を守っているうちは……だろ?」


 物分かりの良いベネットさんに、俺は笑顔で頷いた。


「はぁ……とんでもない依頼を受けてしまったよ」


 溜め息を吐きながらそう言ったベネットさんは、俺を見るとニヤッと笑った。


「こんなにヒリ付いた依頼を受けるのは、若いときに王族の隠し子を取り上げたとき以来だよ」


 おっと、意外と修羅場を潜ってるんだなベネットさん。


 その言葉で、俄然信頼度が高くなった俺だったが、アイバーンは初耳だったようでメッチャ慌ててた。


「王族の隠し子!? なにそれ!? 聞いたことない!!」

「私が若いころだって言ったろ? その子供と母親は、とっくの昔にどこかのお貴族様の後妻に入られて、今は当主になってるはずだ」

「……ということは、今の国王陛下の御兄弟がどこかにいるってことか……」


 アイバーンのその言葉を聞いて、俺はある疑問が浮かんだ。


「なあ、今更だけど聞いていいか?」

「なんだ?」

「俺がいるこの場所って、ワイマール王国なの?」


 俺がそう訊ねた瞬間、またしても部屋の空気が凍った。


「……え? もしかして、今までそれすら知らなかったのか?」

「あはははは! さすがケンタ!」


 アイバーンやベネットさんは呆れた顔をして見てくるし、ユリアは爆笑してるけど、それはしょうがなくない?


「俺、この世界の人間じゃないんだぞ? 散々あちこち逃げ回ったんだ、ここがどこの国かなんてもう分からねえよ」


 俺がそう言うと、アイバーンは一度「あっ」という顔をしたが、いやいやと頭を振って突っ込んできた。


「ワイマールの王女様が二人も続けて来たんだぞ? その時点で気付けよ」

「マジウザい、としか思ってなかった」


 俺がそう言うと、アイバーンは「はぁ」と溜め息を吐き、ユリアはまた爆笑した。


 ベネットさんはちょっと苦笑したあと、メイリーンを見た。


「アンタ、こんな男が旦那でいいのかね?」

「ちょっとベネットさん、どう言う意味ですか?」

「そのままの意味さ。王族に対する敬意もないし、この世界に興味はないし、敵は皆殺しにするとか言う。こんな危ない男でいいのかってことさ」


 なんか、ベネットさん、急に遠慮がなくなったな。


 さっきのアイバーンたちとの会話を聞いて、俺が怒らないラインを見つけたのかも。


 裏切らない限り、俺がなにかすることはない、ってラインを。


 ベネットさんに質問されたメイリーンは、一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑みを浮かべて答えた。


「はい。私には、ケント以外の男性は考えられません」


 メイリーンが微笑みながらそう言ったからか、ベネットさんは虚を突かれたような顔になった。


「私は、ケントに何度も助けてもらいました。父に命を狙われたとき、魔族国を追放され絶望に打ちひしがれていたとき、助けてくれたのはケントなのです」


 メイリーンはそう言うと、俺に向かって微笑んだ。


「ケントは人族の国に裏切られ、私は魔族国に裏切られた。私は愛するケントを裏切った人族の国を許せないし、私を愛してくれるケントは私を裏切った魔族国を許せない。だから……」


 少し間を置いたメイリーンは、飛び切りの笑顔で言った。


「全てを蹴散らして私を守ってくれると断言し、愛してくれるケントのことを、私は心の底から愛しているのです」


 そう言って俺に笑顔を向けるメイリーンが、途轍もなく愛おしくなった。


「メイリーン……」


 俺はベッドに腰掛け、メイリーンの身体を抱きしめた。


「ふふ。愛しているわ、ケント」


 そう言って抱きしめ合う俺たちに向かって、ベネットさんが言い放った。


「こりゃ、とんでもない似たもの夫婦だ」


 その言葉に、ユリアがまた爆笑していた。


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