第7話 産婆

 アイバーンが帰ってから数日後、俺は家でメイリーンの介護をしていた。


 悪阻が始まったのだ。


 脂っこいものは全部駄目で、肉が食べられなくなった。


 野菜や果物ならなんとかというレベルで、とにかく毎日グッタリしている。


「……ごめんなさい、ケンタ。アナタに迷惑ばっかりかけて」


 ベッドの上で申し訳なさそうにそう言うメイリーンを励まそうと、俺はメイリーンの手を握って励ました。


「何言ってるんだ。こんなの迷惑なんかじゃないよ。俺たちの子供のことじゃないか」

「ケンタ……」


 とはいえ、これ以上どうしたらいいのか分からない。


 俺は前の世界では高校の途中までしか行っていないから妊娠出産に関する知識がない。


 このままだと、メイリーンと子供に栄養が足りなくなるかもしれない。


 医学知識のない二人で出産を迎えるのは、相当リスクが高い。


 医者に見せる必要がある。


 しかし、町に出るのにもリスクがある。


 どうしようかと悩みに悩んだ結果、俺は医者を連れてくることにした。


 その決め手になったのは、今はもう町では俺のことを怖がっていないという話を聞いたこと。


 それを聞いていなかったら、次にアイバーンが来るまで待たないといけなかった。


 良いタイミングで教えてくれたよ、マジで。


 ということで医者を連れてくることに決めたのだが、そのために、まずはアイバーンに連絡を取らないといけない。


 町のどこに産婦人科医や産婆さんがいるのか知らないからな。


 俺は、帽子に黒縁眼鏡という、ベタな変装をして町に向かった。


 町の近くまで転移魔法で行き、そこから歩きで町に入る。


 この町はそんなに大きな町ではないので、町の出入りに検問みたいなことは行われていない。


 一応、魔獣などが入り込まないように見張りはいるけどな。


 そんな町に入り、まず向かったのは探索者互助協会。


 アイバーンたち探索者が集めてきた素材を適正価格で買い取り、それを色んなところに卸す組織。


 この組織を通さないで直接業者と取引をしてもいいけど、相手は海千山千の商人。


 学のない探索者はぼったくられたり詐欺られたりとカモにされることが多いので、ほとんどがこの協会を利用している。


 なので、ここに来ればアイバーンがいる可能性が高いのだ。


 協会に入ると、中は受付カウンターと待合所で構成されている。


 探索者たちは、まず受付カウンターで受付番号を受け取り、番号を呼ばれたら各素材提出窓口に持ってきた素材を提出する。


 そしてまた番号をもらい、支払いカウンターに呼ばれたらそこで料金を受け取る。


 なので、待合所には結構な人数が待っていた。


 待合所は、長椅子とテーブル席で構成されていて、テーブル席では待っている間に食事をとることもできる。


 長椅子にはいなかったのでテーブル席を見ると……いた。


「よお」

「っ! ビ、ビックリしたあっ!!」

「あれー? 珍しい、どうしたの?」


 俺が肩をポンと叩くと、アイバーンはまるで幽霊でも見たかのような驚き方をした。


 ユリアも驚いているけど、それはなぜ俺がここに? という驚きだ。


「なんだよ。なんでそんな驚いてんだ?」

「い、いや、だってお前がここに来るとは夢にも思ってなかったから」

「ユリアはそんな驚いてないじゃん」

「え?」

「うん。なんでここにいるのかな? とは思うけど」


 そうそう、それを伝えないと。


「アイバーン……いや、これはユリアに聞いた方がいいか?」

「ん? なに?」

「おい。なんで俺じゃなくてユリアなんだ?」


 アイバーンの目に警戒心が浮かんでいるが、そりゃそうだろ。


「じゃあお前、産婦人科の医者を知ってるのか?」

「さ……んんっ! それは確かに、ユリアの方が適任だな」

「だろ。ということで、誰か腕のいい産婦人科医か、経験豊富な産婆さんとか知らないか?」


 俺がそう訊ねると、ユリアは真剣な顔になり、小声で聞いてきた。


「……メイリーンになにかあったの?」


 ユリアとメイリーンは仲が良い。


 友人になにかあったのかと、ユリアは心配してくれているのだ。


「……悪阻がひどくてな。碌に物が食べられない。妊婦でも無理なく食べられて栄養のある食べ物が分からない。それと、本来なら定期的に医者か産婆に見てもらうのがいいんだが、それもできてない」


 ユリアは俺の言葉を聞くと、少しホッとした様子を見せたあと、すぐにキリっとした顔になった。


「分かったよ。ウチのアパートの大家さんが腕のいい産婆さんだって言ってたから、その人紹介するね」

「すまん。助かる」

「じゃあ、早速行こっか」


 ユリアが俺の手を取って立ち上がると、アイバーンが慌てて止めてきた。


「ちょっ! 今精算待ちなんだから、少し待ってくれ!」

「もーう! 早くしてよね!」

「いや、俺に言われても……」


 そんなやり取りがあったが、程なく清算も終わり、俺たちはアイバーンとユリアが同棲しているアパートに向かった。


 到着したアパートは、日本だとマンションと呼ばれる位広そうだった。


「ここの一階が大家さんなの。すいませーん! 大家さーん!」


 ユリアは到着するなり、大家の家のドアをノックしながら声をかけた。


 するとすぐに中から「はいはい」という声が聞こえ、しばらくするとドアが開いた。


「はいはい。どちら様……って、ユリアちゃんじゃないか。どうかしたのかい?」


 出てきたのは優しそうな初老の女性。


 その女性にユリアは早速用件を話した。


「ベネットさん、こんにちわ! 実は、今日は産婆さんとしてのベネットさんに力を貸してほしいんです」


 ユリアがそう言うと、ベネットと呼ばれた女性は目を見開き、ユリアとアイバーンを交互に見たあと、優しく微笑んだ。


「そうかい、そうかい。アンタたち、ようやく授かったのかい」

「……ん?」


 ベネットさんの言葉を理解できなかったアイバーンが首を傾げているが、ユリアはすぐに分かったようで「あはは」と笑い出した。


「ベネットさん違うよー。私じゃなくて、友達のことなの」

「おや、そうだったのかい」

「うん、そう。それで、この人はその友達の旦那さん」


 旦那さん。


 初めてそう紹介された。


 なんて擽ったい響きなんだ。


 ユリアにそう紹介されて、ようやく俺の存在に気付いたベネットさんは、一瞬大きく目を見開いた。


 だがそのあと、すぐに落ち着きを取り戻し、冷静に話しかけてきた。


「アンタ、例の子、だね?」

「ええ。ケンタ=マヤです」

「そうかい」


 ベネットさんはそう言うと、ジッと俺の顔を見つめた。


 その顔は真剣で、口を挟むことが出来ず、されるがままになっていた。


 しばらくすると、なにかに納得したのか、うんと一つ頷いた。


「それで? アンタの奥さんがどうかしたのかい?」

「悪阻がひどくて、今のところ果物くらいしか食べられていません。それで栄養が足りているのかどうか、今の母子の状態がどうなっているのか、俺にはなにも判断できません。どうか、力を貸してください」


 俺はそう言ってベネットさんに頭を下げた。


 その様子に、一番驚いていたのはアイバーンだ。


「ケ、ケンタが頭を下げている……」


 メイリーンのことを診察してくれる人なんだぞ? 頭を下げるのは当然だろう。


「頭をお上げ。私は産婆だ。妊婦が苦しんでいて助けを求めているのなら、手を貸すのが当たり前じゃないか」


 ベネットさんは俺を安心させるように、柔らかく微笑んだ。


「ありがとうございます」


 俺がお礼を言うと、ベネットさんはアイバーンを見た。


「礼儀正しいし、奥さんを大事にするいい子じゃないか。なんで指名手配なんてされてるんだい?」

「それは……ここではちょっと……」


 アイバーンがチラチラとこちらを見ながら言うので、俺がベネットさんに答えた。


「俺の家で話しますよ。そこでならどんな話をしても大丈夫なんで」


 俺がそう言うと、ベネットさんは怪訝そうな顔になった。


「アンタの家って……確か、森の奥だろう? すぐには行けないよ」

「あ、移動はすぐに済みますから大丈夫です。必要なものだけ持ってきてくれませんか?」


 ベネットさんは怪訝そうな顔のまま、診察の用意をして戻ってきてくれた。


「それでは、行きましょう。ベネットさん。俺の腕に触れて下さい」

「こうかい?」

「あ、私も行っていい?」

「俺も行くぞ」


 ベネットさんと移動の準備をしていると、ユリアとアイバーンも俺の身体に触れてきた。


「行きます。転移」


 俺がそう言うと、景色が一変し、俺の家の前の庭に着いた。


 ポカンとして呆然としたままのベネットさんと違い、ユリアはすぐに家の中に入って行った。


「メイリーン!」


 ユリアは俺たちの家の間取りは全て把握しているので、真っすぐ寝室に向かって行った。


「ベネットさん、こちらです」

「あ、ああ。……これって、転移魔法かい?」

「はい」


 ベネットさんの質問に答えると、ベネットさんは呆れた顔になった。


「そんな伝説級の魔法をこんな簡単に……」

「だから、各国がケンタのことを狙うんだ」


 アイバーンが言ったその一言で、ベネットさんは大体察したのだろう。


「……アンタも大変だね。さて、それはともかく妊婦さんの診察を始めようかね」


 ベネットさんはそう言って、俺のあとを着いてきてくれる。


 こうして、この世界で数少ない味方がまた一人できたのだった。



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