飼い主に捨てさせる話

九三郎(ここのつさぶろう)

飼い主に捨てさせる話

 昔から、駄目な男に引っかかりやすい人だった。

 2か月くらいでコロコロ違う男の隣に引っ付いて歩いてたり、ある時は季節1つ分”離されなくて”ヘラヘラ冷や汗をかきながらくっ付いている所をすれ違ったりもした。何度そんな事が起きても一向に慣れない風で「困っちゃった」みたいな顔をしやがるから、気付けば自分もイラっとしてそっぽを向くようになった。でも、2人の時は相変わらず頼もしい人だった。

 上京して煙のように消えてしまったのが少し許せなかったのかもしれない。自分も上京をするついでに、ついでに、どうにか聞き出したヤツの部屋の古びたベルを、ひと呼吸の後に押し込んだ。

 ジリジリと想像以上の音量で鳴ったベルに驚いた自分と同じくらい驚いた風で慌てて飛び出して来た、見慣れたおさげ髪と額の冷や汗に、なんだか落ち着くような腹が立つようなという胸の痒さもあって、促される前には靴を脱いでしまっていた。

 やはり、一匹いた。

 「え、誰?」

 「あ、えっとね!紹介するね!私の幼馴染の子なの!」

 「来るなんて聞いてないんだけど。」

 「あっ!言うの忘れちゃってた!あはは・・・。」

 「・・・マ、いいや。それより飯何?」

 「えっとねぇ、折角3人だし、なにか美味しい物でも食べに行きたいなぁって・・・。」

 「・・・俺パスで。」

 「え・・・なんで。」

 「あぁ?冷静に考えて行きたいワケないじゃん。」

 「そっか、ゴメンね。じゃあこの後は家にいる?」

 「そうだなぁ・・・まぁ、金くれたら俺が一人で食ってきてやってもいいけど。」

 「うんわかった。じゃあ・・・はい、これ。」

 「お!サンキュ!マジ助かるわ。ホント。」

 「えへへ・・・。」

 「そんじゃ君も!のんびりくつろいでってよ!」

 「・・・。」

 「じゃ、行ってきま~す。」

 スチールプレスのドアに引っ付いた新聞受けが喧しく響いた後の馬鹿みたいに居心地の悪い静寂に今日一番腹が立ったかもしれない。

 「・・・座っていい?」

 「あ、好きに休んで。」

 「うん。」

 「お昼ご飯どうしよっか。」

 「この辺ってどんなお店あるの?」

 「ううん。冷蔵庫の残りで作っちゃうから。」

 「・・・は?・・・うん。ありがとう。」

 絶対にこの部屋は姉さんが選んだ部屋だ。あんな金のない男が自分から2口横に並んだコンロの物件をわざわざ選ぶ筈ない。

 手慣れた風にウォールキャビネットから出した白い平皿には彼女好みの上品なリボン柄が焼き付けられているのが見える。さっさとシンクに置かれたステンレスボウルに溜められていく蛇口からの水を眺めて俯いている背中を見ているうちに、2本の三つ編みが掻き分けて露わになるうなじが微かに震え出したのも、別に意外な事には思わなかった。分かっていた気がするから。

 「・・・なんで来るって言ってくれなかったの。」

 「言ったら、色々隠されると思って。」

 「隠すって何を。」

 「色々。」

 「・・・。もっとちゃんと上京のお祝いとかしたかった。」

 「嘘付くなよ。」

 「嘘って何よ。」

 「あの男とはいつから付き合ってるんだよ。」

 「大学に入ってから割とすぐに仲良くなって、賑やかでいいなぁって思って、それで、料理とか作ってあげたら凄い喜んで、美味しそうに食べてくれるから。」

 「なに作ってあげたの?」

 「・・・ハンバーグは好きみたい。あとは・・・なんでも美味しいって言ってくれるから・・・。」

 「きゅうりの漬物は?」

 「お漬物は・・・彼、あんまり和食とか好きじゃないって言うから。」

 「・・・へ~。じゃあ、あいつは姉ちゃんの漬物食った事ないんだ~。」

 「そういえば、好きだったよね。私が作ったお漬物。」

 「だって姉ちゃんち行ったら冷蔵庫から出てくるんだもん。」

 「・・・あはは。そうだったね。」

 「俺、ねーちゃんの漬物食べたーい!」

 「えぇ?でも無理よ。2日は漬けたいもの。」

 「やっぱりもう漬けてないの?」

 「・・・うん。」

 「じゃあ俺明後日も来るよ。」

 「いや。もう来ないで。」

 「なんで?」

 「うるさい来ないで。」

 「・・・さっきの男にも、嫌な事があった時はそう言えてる?」

 「・・・。」

 ステンレスボウルから溢れていた水道がバシャバシャ言っていたのを締めた後の部屋には、窓から射し込む気怠い午後の日と元気な小鳥の家族がお出かけをしている声が零れ落ちているだけだ。

 「・・・じゃあさ、俺んちで、作ってよ。」

 「え?」

 「だから、俺んちの冷蔵庫に入れといてよ!俺が食いたい時に食うから!」

 「えぇ!?うーん・・・。」

 「作り方忘れちゃった?」

 「そんな訳ないじゃない。」

 「じゃあウチ来なよ。」

 「もう部屋の片付け終わったの?」

 「いいや?段ボールの山。」

 「きちんと片付けて、人を招いても良くなってから誘いなさい!」

 「もう!相変わらずカーチャンみたいな事言うよな!」

 「当たり前でしょ!」

 「懐かしいなぁ。姉ちゃん、昔っから俺にばっかり厳しいんだもん。」

 「それは・・・」

 「姉ちゃん。実は俺、今日は姉ちゃんにお願いがあって来ました。」

 「なに?」

 「部屋の片付けを手伝ってほしくて・・・。」

 「・・・もう。・・・馬鹿。」

 「姉ちゃんが手伝ってくれれば2日で終わって、今週末にはきゅうりも漬かると思うんだ!」

 「あはは。もう!馬鹿!」

 「いひひ・・・。馬鹿です。」


 「ねぇ、お金どれくらい持ってる?」

 「今は・・・2000円くらい。」

 「そっか、よし!家の近くに100均ある?」

 「あるよ!」

 「じゃあ胡瓜とタッパーは買えるね!あとは調味料は・・・。」

 「まだあんまり揃ってなくて。」

 「そっかぁ・・・。・・・よし、今ウチの調味料まとめてあげるから、持ってきてくれる?」

 「え、あ、うん!任せろ!」

 「ヨシ来た!じゃあ私ちょっと支度するから待っててね。」

 「うん。」

 部屋を見渡してみる。小さい頃からよく遊びに行っていた部屋の雰囲気をそのまま3倍に広げたような空間に、なんだか鼻に付くわざとらしい香水の香りが乗っかっている。机の上に数冊積まれた男性向け雑誌の隣に置かれている浮いた存在感の灰皿は、どう見たって彼女のセンスじゃなかった。

 「はいよ。お待たせ―!」

 「別に待ってないよ。・・・なんか多くない?」

 「女の子には色々と要り用なの!ふふ。」

 「はは、そうだね。・・・急ご!」

 「うん!」

 「ほら、荷物持つよ。」

 「え?ありがとう・・・。」

 「忘れ物ない?」

 部屋の方を振り向く事はなかった。

 「・・・うん!大丈夫!」


 真昼が作った電線の影は、だらりと垂れながら時折絡まる奇妙な人工物の風情をまるで路地に架かった吊り橋のように足元に落として見せた。来る時に頭に叩き込んだ駅までの道は、緊張する自分を助ける為の筈だったのに。

 「背、伸びたね~!」

 「そうかなぁ?」

 「うん!おっきい背中になった。」

 「そう?」

 「ふふ。嘘!昔っから私の中じゃ小っちゃいまんま!」

 「なにそれ~?」

 「あはは。」


 自分を見上げる彼女のキラキラした額の汗を、今度は僕が見下ろす番だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

飼い主に捨てさせる話 九三郎(ここのつさぶろう) @saburokokonotsu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ