第4話 ラジオ革命

 一応、立花の両親も紹介しておく。

 立花の父親は裁判官で、母親は元弁護士であり、今は自分で開いた英会話教室で講師を務めている。

 立花は小さい頃から、「偉人か、そうでなければ死になさい」という無茶苦茶な教育方針のもと育てられた。その結果として、あまり要領のよくない、情緒の不安定な、思い込みの激しい人間になった。もちろん、今死んでも偉人にはなれまい。

 凄まじく過酷な日々の中で、立花にとって唯一の希望であり癒しであり光であったのが、誰あろう、宇賀雪子である。二人の家と家はほふく前進で三十秒ほどしか離れておらず、端的に言えばこれ以上ないくらいの幼馴染であった。立花は何か嫌なことがあると( 嫌なことのない日などなかったが) 宇賀の家に行っては慰めてもらっていた。宇賀家の皆は立花をずいぶん可愛がった。立花が宇賀を好きになるのは必然であった。

 運命、というにはいささか風情に欠けるが。

 そんなこんなで立花は、愛する宇賀を射止めるために、関西弁の人間とラジオをすることにした。それに巻き込まれたのが三國であった。三國にとって関西弁であるということは、今のところ損害しか計上していない。

 とはいえ、巻き込まれた三國もなんだかんだで楽しみであった。人生で初めての友人、しかもその友人は明るくて人当たりもいい。灰色の海を遭難するかのような日々は終わりを迎え、今日からはこの友人と楽しい毎日を過ごすことになるのだ。そんな期待に胸がはち切れんばかりであった。いっそのこと本当に胸がはち切れて病院にでも担ぎ込まれていれば、まだマシな未来が待っていたかもしれない。

 昼休みに学校でラジオをするということは、当然色々な手続きを踏んで許可を得る必要がある。三國はそれくらいのことはわかっていた。しかし、立花があまりにも堂々としているため、そういう手続きは既に済んでいて、許可ももう下りているのだと思ってしまった。立花のことを知っていくにつれて、あの日の自分の間抜けさを恨まずにはいられない。

 五月の一日。この日に起きた人生最大とも言える汚点を、三國は生涯忘れないだろう。そして人生最大の汚点は立花との日々の中で、しょっちゅう更新されていくということを、三國はまだ知らなかった。

 まず放送室の占拠から始まった。立花が箒とガムテープを持っているのを見て、三國は当然違和感を抱きはしたが、ラジオの企画か何かで使うのだろうと納得してしまった。

 放送室の分厚い扉を開けて、立花が勢いよく飛び込んだ。三國も後に続いた。立花は箒で放送委員の男子を引っぱたき、怯んだ隙を突いて地面になぎ倒し組み伏せた。その光景は今でも鮮明に覚えている。

 呆然とする三國に立花は、「早く!ガムテープ!」と叫んだ。三國はわけもわからずにいたが、もう引き返せないところまで来たのだと感じると、思いのほか頭は冷静になった。

 男子生徒をぐるぐる巻きにして掃除用具入れのロッカーに押し込むと、二人はまるで何もなかったかのように息を整えてマイクの前に座った。

 ラジオ開始から教師連中の突入まで約ニ十分あった。その二十分の間、二人の繰り広げた会話はほとんど下ネタとブラックジョークだった。二人は、特に立花は、面白いことを言わなければならないという個人的な使命感に駆られていたせいで、口走る内容はどんどん加速していく。三國は三國で、これまで他人とそういう話をしたことがないため、その辺の線引きがよくわかっておらず、立花の加速を助長してしまった。

 二人の下ネタは生々しく、笑えるラインを超えていて、ブラックジョークはただブラックなだけであり、最後の方はただの政治批判とアダルトビデオの批評であった。

 セックスという単語が意味もなく二十回ほど出て、セクシー女優の名前が十一人ほど出て、ある政治家が公用車で風俗に行ったというスキャンダルを笑い、倫理的に問題のあるジョークが( ジョークになっていなかったが) 三つほど飛び出したところで、ようやく教師連中は扉をこじ開けて中に踏み込んだ。

 体育教師であり生活指導担当でもある、ほぼイエティのような大男が二人にビンタを見舞った。そしてすみやかに保護者へと連絡がいき、三國の叔母はその圧倒的な人間的度量の壮大さでもって「若いっていいねェ」と笑い飛ばした。立花の父はいかにも裁判官らしいしかめっ面で、「射殺してください」と言い放った。そばで聞き耳を立てていた母親も同意見であった。

 間抜けな二人によるろくでもないカスみたいなラジオは全校生徒から大いなる反感と嘲笑を買い、イタい奴ら、という称号まで賜ることとなった。一部の生徒にはアダルトビデオの批評が刺さったらしいが、もちろんそんな好評が海面に姿を見せることはなかった。二人は未知の深海生物のように忌み嫌われることとなった。憐れといえば憐れ、しかし自業自得である。

 学校側からしたら、なかったことにしたいくらいの珍事であったが、生徒の間では、これら一連の騒動は〈ラジオ革命〉と称され、冗談半分に今でも語り継がれている。

 なぜ〈革命〉と称されるか。

 実はあの事件以来、その高校の校則がずいぶん緩くなったのである。なぜなら、多感な時期の生徒をあまり締めつけすぎると、こういった蛮行に及ぶ輩がまた現れるのではないかとの意見が多数出たのである。それにより、登下校時は制服でなくとも学校指定のジャージなら可となり、部活動に入っている生徒を喜ばせ、靴下や髪飾りの色も自由となり、髪色も茶髪の範疇に収まるものであれば許可されるようになり、化粧もある程度までは社会勉強という名目で許されるようになった。だから、〈ラジオ革命〉を口伝でしか知らない下の世代は、三國と立花を英雄として崇めている。

 まあそれはそれとして。

 二人はずいぶんな目に遭った。体育教師からのビンタはもちろんのこと、大声と強面と獣じみた口臭でお馴染みの担任と、多くの生徒からロリコンと罵られている教頭からの説教は、大動脈損傷と骨盤骨折のオペを同時に行うかの如き長丁場に及び、二人の耳は茹で過ぎたパスタでも詰まっているかのように、一時的にだが何も聴こえなくなった。その後、三國は叔母から「面白いラジオだったら許されたかもねェ」というおおらかな助言を受けた。

 立花の方は家に帰ってからが悲劇であった。二人とも二週間の停学だったのだが、立花は父に命ぜられ、さらに二週間、自主的に停学した。その四週間の停学中、立花は父に連れられて四国八十八か所を巡ることとなった。しかも徒歩で。とんでもない反省の仕方である。

 裁判官である父の下した判決であり、逆らう術はなく、控訴という選択肢もなかった。

 四国八十八か所を徒歩で巡礼するのは、言うまでもないが計り知れない苦行である。たとえばヒゲのディレクターやマイケルジャクソンのモノマネが巧いモジャモジャの男でもいればそれなりに愉快かもしれないが、それだって車で巡った場合の話である。立花たちは徒歩。しかも、息子の愚行に憤慨している裁判官と二人きりである。

 怒髪天を衝きそうな勢いの裁判官の父と二人。世にこれほどウキウキしない旅があろうか。まあそもそ巡礼であり、反省のためだから楽しくある必要はないが。

 五月の終わりに、立花はようやく登校してきた。既に停学明けで学校に来ていた三國と宇賀は、立花の変わりように大層驚いた。

 何回かハエ叩きで叩かれたハエのように弱々しく、顔色は不出来な柴漬けのようで、ビーフジャーキーのように肌が荒れ、干からびたミミズのようにやせ細り、目は蜂に刺されたあのゲームの村人のように腫れていて光がなかった。

 四週間に及んだ巡礼について、立花は一言も語らず述べず、しばらくは「我、咎人なり」としか言わなかった。

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