第6話 コンペイトウ
家の建て替えは両親の思うとおりに進められた。
新しい家をどうするかというプランを決めるのに一年半ぐらいかかった。
設計や施工の手配を建築家に依頼することになって、その建築家が決まり、ぼくも話し合いに来るように、と言われたけれど、忙しいから、と断った。でも、無視したわけではなく、その建築家さんとはメールでやり取りした。
ぼくから言ったのは、燃えにくい建材を使ってほしい、ということと、親の足腰が弱ったときに負担が少ない家にしてほしいということと、認知能力が低下してもできるだけ支障のない家にしてほしい、ということだけだった。
その結果、屋根裏部屋はなし、ということになったが、かわりに中二階のような部分ができてしまったので、あんまり変わらなかったような気もする。
ぼくが関心なさそうにしているからか、それとも、屋根裏部屋というアイデアをつぶしたのが気に障ったのか知らないが、親は、土地の売却、仮住まいへの引っ越しと、ぼくや
ぼくが家に置いていた持ち物はぜんぶ取っておいてくれるというので、ぼくもいちども家に帰らなかった。
そうこうするうちに、いよいよ新しい家の
これは神様の関係する祭りなので、たぶん、ぼくがいないと示しがつかない。
今度は立子と下の娘には山梨にシャインマスカット狩りに行ってもらった。
音楽に詳しい上の娘は家で受験勉強だ。
大学進学率とかではなく、吹奏楽の強豪校であることを基準に高校選びをして、受験勉強に励んでいる。
だいじょうぶなのか? それ。
まあ、志望校は進学実績もいいところなので、文句は言わないけど。
ともかく、その上の娘をお留守番で一人残して、ぼくは帰省した。
迷った。
道に。
どこを歩いているかがわからない。
途中までは、道の左右の景色はだいぶ変わったけど、なんとかわかっていた。ところどころに、昔からやっている散髪屋が残っていたり、娘たちが生まれる前に帰省したころに新規開店した洋菓子屋があったりして、それを頼りに行くことができた。
しかし、途中で、道の片側にだけ店が並んでいる商店街のようなところに出てしまい、そこであえなくギブアップ。
しかたがないので、自分の生まれ育った家の場所なのに、スマホのナビを頼りにたどり着いた。
父方の親類が二家族、母方の親類が一家族来て、地鎮祭というのを行い、そのあと、みんなでお食事に行く。
いつも家族で帰省したときに行っていた、駅前の見晴らしのいいレストランだ。
上の娘の進学問題は親類一同の関心を集めて、困ったような、
ともかくも無事に儀式を終えられてほっとした。
親は、駅にぼくを残して、家建て替え中の仮住まいに帰って行った。親類一同は先に帰っていたので、ぼくは一人駅に取り残された。
ぼくは、もういちど、家のあった場所、さっき地鎮祭をやった場所に行ってみることにした。
また迷うのはいやなので、家の場所まではタクシーで行った。
狭い、というのが第一印象だった。
さっきの地鎮祭のときも、隣の売り払った区画も含めて、こんな狭いところで生まれて育ったのか、と思ったものだった。しかし、それは、親類も来て、建築家も施工業者さんも来て、人数が多いからそう感じるのだ、と思っていた。
もともと、ぼくの家族が娘二人を連れて帰ると入らなくなるくらい狭い、というのは知っていた。
それでも、その場所の前に一人きりで立つと、「家ってこんな狭い場所に建つものなの?」という、さっき大人数でいたときの「狭さ感」とはまた違う、もっと根本的な狭さの感じがあった。
ぼくは、ふっ、と息をついて、帰り道に向かう。
上の娘は一人の留守番で心細い思いを……。
……いや、思いっきり
迷うといやなので、スマホでこんどは駅を目的地に設定する。
ああ。
家を出て歩く方向はこれでいいんだ、と安心した。
少し行くと、さっきの、商店街のようになったところに出た。
どうやら、大きいマンションができて、その一階の道に面したところにお店がいっはい入っているらしい。それが商店街みたいだったのだ。
オレンジ色がかった暖色の煉瓦を貼ったような外装のマンションだった。新しくできたのだろうが、まわりの街並みと違和感がなく、溶け込んでいる。
こんなところに商店街をつくって、買いに来るひとがいるのかと思ったけれど、クレープ屋さんの前で順番を待っている人がいたり、ガラスや陶器の器を売っている店に入っていく人がいたりして、そこそこ
たぶん、いろんな家が建て替えをやって、集合住宅も増えたのだろう。それで、駅から少し離れたここの区画にも買い物に来る人が増え、採算が取れるようになったのかも知れない。
昔は、駅前ではなくここがこの街の中心だった。
少しは、その中心としての地位を取り戻せるだろうか。
そう思ってスマホのナビに従ってさらに駅前へと進もうとしたときだ。
その音は。
そのメロディーは、さっ、とぼくのところに滑り込んできた。
耳より前に、ぼくのなかの何かが反応した。
チェレスタの音!
しかも、メロディーも、忘れはしない。
「コンペイトウの踊り」。
振り返り、顔を上げた、その動きで、ぼくは一瞬でいろんなことを思い出した。
いま足を止めている場所。
そこは、これまでも足を止めた場所。
あの「お屋敷」の、あの鉄の門の前だった場所だ。
つまり、あの「お屋敷」が取り壊されて、このマンションができたのだ。
ぼくは道をまちがってはいなかった。ただ、「お屋敷」があるはずの場所がこのマンションと商店街になっていたから、道に迷ったと思ってしまったのだ。
ここがあの広大な「お屋敷」の跡だとすると、このマンションが大きい理由もよく理解できる。
一街区まるまる「お屋敷」だった。
それが一街区まるまるマンションになったのだから。
しかし。
じゃあ、なぜ、チェレスタで、「コンペイトウの踊り」?
やっぱりあの少女の霊が、と思って顔を上げると、そこには
「コンペイトウの店」
と書いた愛らしい小さな看板が出ていた。
ピンクと、グリーンと、水色と、黄色と、白と。
コンペイトウと同じような色で文字ごとに色を変えたビニールのチューブに、LEDを入れて光らせている。
音楽は、その上につけた小さいスピーカーから流れているらしい。
なるほど。
コンペイトウの店だから、「コンペイトウの踊り」がBGMなのか。
店のなかにも入れるようだったが、外向きにカウンターがあって、そこに赤地に白の水玉の三角巾をかぶり、赤いエプロンを着けた女の人が立っていた。
若く見える。
けど、奥の店のほうから、同じ三角巾とエプロンを着けた二十歳ぐらいの女の子が出て来て、
「お母さん」
と呼びかけているからには、その人はその少女よりずっと歳上だ。
たぶん、ぼくと同じくらいの年ごろなのだろう。
ぼくの娘の歳と、その二十歳ぐらいの娘さんとの対比からすると、その女の人のほうが上かも知れない。でも、歳上には見えなかった。
その子は、「お母さん」から何か指示を受けると、また店に戻って行った。
あらためてその「お母さん」のほうに目をやったとき、ぼくの目は、その「お母さん」に釘づけになった。
頬の色。
赤が細かいまだらになって浮き上がるような頬の色。
それに、髪の毛。
三角巾の下に見える、黒と茶色の中間で、その軽くウェーブのかかった髪。
けれども。
似ているのは、それだけだった。
あの少女は少し顎の張った丸顔だったけど、この人はどちらかというと
服が違うのは当然で、いまは赤いエプロンの下は白のTシャツらしいけど。
身体全体、色白ですらっとしている。
この人には、あのオレンジがかったベージュのワンピースは似合わないだろう。
ぼくがじっと見ているのに気づいたのだろう。
その女の人は、ぼくに向かって
「いらっしゃい」
と親しげに声をかけてくれた。
ぼくは、ちょっとためらったけれど、その声にこたえてカウンターのところまで行った。
「コンペイトウのお店なんですね?」
と、
「はい」
と、女の人も屈託なく答えた。
少しざらっとした声。
あの少女の声の印象もそうだったけど。
でも、少女の声はもう記憶があやふやだ。
それに、この人のように高い声ではなかったと思う。
「このお店は、新しく始められた?」
「はい」
女の人は、「くすん」と笑うように口を動かした。
「わたし、学校でいっぺんドロップアウトして、就職した会社でまたドロップアウトして、京都……京都っていうか、京都と大阪の境目ぐらいの街の和菓子屋さんで拾ってもらったんですけど、そこでコンペイトウの作りかたを習って。それで、ずっとその店で働いてたんですけど、わたし、この街の出身だったから、ここで店を開きたくて。で、師匠に相談したら、行ってきなさい、って送り出してもらえて」
そして、今度は目を細めて笑う。
この街の出身で……。
それに、あの少女は、大きい辞書はもっていたくせに、学校の教科書も、通学鞄も持っていなかった。
それが、ドロップアウト?
でも、あの大きい屋敷のお嬢様が、就職した会社でドロップアウトするだろうか?
というか、「お屋敷」のお嬢様が、就職なんか、するのか?
もしかすると、あの一家が「お屋敷」を捨てて、荒れ果てさせていなくなってしまったのは、破産したからだろうか?
少女は破産した家の娘で、苦労して、就職してドロップアウトして大阪と京都の境目まで流れて行ったのか?
ぼくは、小さく首を振った。
この女の人があの少女に似ているのではない。
あの少女のおもかげを、ぼくがこの女の人に求めている。
それだけのことだ。
それに、あの少女が「初恋の相手」だったのかというと、それもおぼつかない。
もう、頬の色とか、来ていた服の色とか、声がちょっとざらっとしていたこととか、切れ切れの記憶しかない。
むしろ、「ふしぎな時間を共にした相手」?
じゃあ。
思い出は思い出にしてしまおう。
だから、ぼくは、その女の人に、こんどはほんとうに屈託なく言った。
「ところで、うちで一人で留守番している、中学校三年生の受験生の娘がいるんだけど、そんな子に買って行くには、どんなのがいいかな?」
「はあい」
女の人はまたスマイルしてうなずいた。
カウンターの下のショーケースに並んでいた商品のなかから、そのどれかを取り上げようとしている。
その女の人を上から照らす、まぶしい電球色のLEDの照明の下で、あの「コンペイトウの踊り」のチェレスタの音は鳴り続けていた。
(終)
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