第4話 幻聴か

 ぼくは、二度と「お屋敷」に少女を訪ねることはなかった。

 このあと、ぼくの中学生・高校生時代を通じて、この「お屋敷」の門の扉が開いているところなど、見たことがなかったからだ。

 それだけではない。

 それまでは、高い塀に囲まれて、その中が鬱蒼うっそうとしたちでも、だれかは住んでいるんだろうな、という気配は、なんとなく感じていた。

 その気配が、消えた。

 たくさんのお客さんが車で来て、なかから音楽やざわめきが聞こえる、というようなことも、まったくなくなった。

 少女のことは、何度も思い出した。

 でも、いまのように、携帯の番号を交換したわけでも、SNSのアドレスを交換したわけでも、メールアドレスを交換したわけでもない。それどころか、たがいに、名まえさえ知らないのだ。

 もしかすると、その「お屋敷」に電話をして、「お嬢様をお願いします」と言えばつないでもらえるかも知れない。

 その確率は低い。たぶん、その悪の大金持ちに

「だれだねきみは?」

とか言われて電話を切られるのが落ちだっただろう。

 しかし、何かがとてもうまくいって、少女に電話がつながったところで、「あの日、「コンペイトウの踊り」を聴いて別れた男子です」と言って、わかってもらえるかどうか。

 試してみる自信はなかった。


 高校を卒業したぼくは街を出て大学に通い、就職し、結婚した。

 子どもも、娘が二人いる。

 「クシコスの郵便馬車」というタイトルはいまは使わない、と教えてくれたのはその娘たちのうち上の娘だった。

 その上の娘は音楽が好きだという。たまたま、だけど、その娘と話をしていて、あの「コンペイトウの踊り」が、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」という曲の一曲であることも知った。

 「じゃあ、チェレスタって楽器は知ってるか」と聞こうかと思ったけど、やめた。

 あの少女以外のだれかにチェレスタについて聞くのは、何か罪悪のように感じてしまったのだ。

 その上の娘は十二歳になり、中学校に進んだ。ぼくがあのお屋敷に侵入した歳だ。

 下の娘は八歳。

 その年になって、ぼくが生まれた街に住み続けていた両親が、家を建て直すと言い出した。

 その言い分。

 「おまえも仕事を引退したらこの街に帰ってくるだろう? いまの家は古すぎる。孫娘二人は結婚して家を出るだろうし、歳を取ってから立子りゅうこさんと二人で暮らす場所として、ちょうどいいじゃないか」

という。ちなみに立子というのは妻の名だ。

 ちょっと待て。

 「ぼくが引退する、って何年先なんだよ?」ということもある。

 そのころ何歳が定年になっているかによるが、まだたぶん二十年以上先だ。

 それに、娘二人が結婚して家を出るとは限らないし、だいたい、神奈川県の星川ほしかわというところには、立子が相続するはずの、いや、立子以外にはだれも相続しないはずの、けっこうりっぱなマンションの部屋がある。

 だから、ぼくがここに帰って来るとは限らない、と言った。

 ことばは「限らない」だったが、「帰って来ないつもりだ」と伝えたつもりだった。

 それがぜんぜん通じない。

 親は、父も母も、「旧弊きゅうへい」な人ではない。若いころのことを思い出してみると、親類のあいだとか近所のおじさんおばさんたちが、しきたりではどうこう、と言っているときに、そんなのはもう考えないで合理的に行きましょう、などと言っていた。むしろ「進歩的」な考えの持ち主だったと思う。

 でも、女の子は結婚して「家を出る」もの、男は仕事を退職すれば「故郷ににしきを飾る」もの、妻は夫について来るもの、というところはかたくなに信じているらしい。

 始末が悪い。

 しかも、あの少女の部屋より一階の面積が狭い家を取り壊して、土地の半分を売りに出し、その残った土地に屋根裏部屋付き二階建てを建てるという。

 その土地の半分を売った金で、老後をらくに暮らしたい、という。

 どちらでもいいけど!

 二階屋根裏を含めて実質三階建て。

 そんな垂直移動が必須の家を建てて、この両親、足腰が弱って階段を上れなくなったらどうするつもりだろう?

 そんなことで、十月の終わりの週末、立子と娘たちには八戸にホッキ貝を食べに行ってもらって、ぼくだけが両親のところに話し合いのために帰って来た。

 家に帰ったのは七年ぶりか八年ぶりだった。

 下の娘が生まれてからは、この家に子ども二人を連れて帰って来ると入りきらないので、盆正月の帰省のときにも、親にも出て来てもらって、駅前で一緒にお食事をするだけにしていた。だから家には帰っていなかったのだ。

 帰ってみて、親が家を建て直したくなった理由もわかった。

 まわりの家が続々と建て直しているのだ。

 「うだつ」のついた家も、馬をつなぐ輪っかのついた家も、もう、ない。

 どこにあったかさえわからない。

 それでもあの「お屋敷」は残っていた。

 ただ、鬱蒼うっそうとした木々はさらに鬱蒼として、コンクリート塀の外にいっぱい落ち葉を降らせていたし、塀の外からも枯れた木が倒れて隣の木に寄りかかっているのが見えた。

 なかが荒れ果てているのはすぐにわかった。


 親とは激論を交わすつもりだった。

 だが、実現したのは、激論というより「のれんに腕押し」だった。

 「定年退職するのは二十年以上も先」、「娘が結婚する話をするのは早すぎる」、「立子が相続しなければならないマンションがある」という話をすると

「うんうん、そうだよね。わかった」

とは言うのだが、そのすぐ後から「おまえと立子さんが帰って来たら使いやすいように、ここはこうしようかねぇ?」とかいう話をする。

 ぜんぜんわかっていない。

 そんな話を夕方近くまで続けた。それで、晩ご飯を作るということになったのだが、そのときになって買い物をしていなかったことが判明した。

 ぼくが買い物に行くことにする。

 父が自分で行くと言ったのだけど、雨が降っていた。

 このとき父は七十五だった。その父が、雨のなか外出するのはよくないとぼくは言った。

 父は

「そうか? いつも買い物ぐらい行ってるけどな」

と納得しない。

 「いつもはともかく、息子が帰ってるんだから息子に行かせなさい」

と言って、強引にぼくが行くことに決めた。

 クールダウンしたかった、というのが、大きな理由だ。

 家の外に出てから、考えた。

 まあ、建て替えるのは本人たちの自由だし、お金も自分らで出すという。

 だから、一人息子のぼくの家族のことをあれこれ言うのは、むしろ、「自分たちだけいい暮らしをするために建てるんじゃない、おまえたちのためなんだ」と言って、ぼくを安心させる、または、牽制するためかも知れない。

 建て直す金があるのなら、そのぶんは使わずに残してくれよ、とぼくに言わせないための牽制……。

 そんなことを考えて「お屋敷」の横を通りかかった。

 通り過ぎようとして、ふっ、と引き戻される。

 だれに引き戻されたわけでもないけど、そこで足が止まった。

 鉄の扉が開いている。

 扉のなかは雨が降っていることもあって暗い。

 ただ、木が倒れていたり、木は倒れていなくても大きい枝が落ちたままになっていたり、草が伸び放題になっていたりで、たしかに荒れ果てているのはわかった。

 もちろん、向こうに明かりが灯ったりはしていない。

 あの「お屋敷」が、こうなったのか。

 そう思って、そのまま買い物に向かおうと足を踏み出したときだ。

 耳に響いた。

 チェレスタの音色。

 また足が止まる。

 最初に思ったのは、もちろん、幻聴だろう、ということだった。

 ここに来たら、扉が開いていたら、あのチェレスタの音が聞こえるという思いこみ。

 または、聞こえてほしい、という願望。

 それが、この音を耳に届けてくれている……。

 いや。

 聞こえる!

 あのときのように、曲を弾いているわけではないが、こん、こん、きん、と、切れ切れに、だけど音がする。

 いや。

 ときには和音が響き、和音から次の音へと音が跳ぶ。

 ぼくにはよくわからないけど、「現代音楽」なら、こういう曲もあるかも知れない。

 それでも、まだ、信じられない。

 雨だれの音かも知れないと疑ってみた。

 水琴すいきんくつというものは知っている。地面にかめを埋めて、そこに水が垂れる音が、金属的な音になって響き渡る。

 雨だれが、何か響きを増幅させるところに落ちて、そんな音がしているのかも知れない、とも思った。

 でも、それにしては、鳴る音に幅がありすぎる。

 水琴窟の音はきれいだけど、高い音、低い音がこんなに自在に出るわけがない。

 見に行ってみよう、と思った。

 ぼくは中学一年生のときのように無鉄砲ではない。

 見つかって、何か言われたら、音がしたのでだれか侵入者が入り込んでいるのかも知れないと思ったから見に来た、と言うことにした。

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