第5話

 観客席から先輩の勇士を見届ける。

 ゼッケン番号1番は3人の背中を追って、4着となった。

 「終わっちゃいましたね」

 椎名がポツリと言う。

 「うん。でも楽しそうだったよ」

 「元気が一番です」


 空は青く、ジリジリと我々の肌を焼く。

 文化部にとっては新鮮な感覚だ。


 「それで」

 「なんだよ?」

 「告白するんですか」

 椎名は視線をトラックに向けたまま、何でも無いように言う。

 麦わら帽の隙間からこぼれた光が、ぽつぽつと彼女の顔に光のそばかすを装飾する。

 「それはずるだよ」

 「ずるくても良いんじゃないですか」

 「......」

 「頑張った人には頑張った分、報われないといやです」

 「もう報われてるよ」


 表彰台の下で先輩は我々に手を振っている。

 その顔に後悔はなさそうだ。


 「そうですね」



  〇


 「あー負けた」

 石田先の清々しい敗北宣言がドーナツ屋の店内に響く。

 我々は負けたその足でお疲れ会を開催したのだ。

 「陸上部の打ち上げは大丈夫なんですか?」

 ドーナツを注文し、着席してから心配する自分がひどく浅はかに思える。椎名はストローを咥え黙っている。ねぎらいの言葉を譲ってくれているのだろう。

 「大丈夫さ。そんなに仲よくなかったからね」

 「寂しいこといいますね」

 

 「何はともあれ、お疲れ様でした」

 「お疲れ様でした」

 椎名も続く。


 「おいおい、やめろよらしくない」

 「今日は俺達のおごりです。こころゆくまで食べてください」

 おそらく、椎名は聞いてないぞ!って顔してるだろう。だって言ってないもの。

 「運動部の胃袋を舐めるなよ後輩ども」

 「甲斐性の見せ所ですね」


 先輩は初めに購入した分のドーナッツを食べを終わると再び、陳列棚に並び大量のドーナツをトレーに乗せる。初めの倍だ。我々は恐る恐る財布を開き、会計を済ませる。

 椎名を巻き込んでおいてよかった。


 ポン・デ・リング、オールドファッション、フレンチクルーラー......。

 星座を数えている気分だ。それら全ては何億光年という役目を果たし、彼女の胃の中に収められていく。陳列されていた輪っかも、先輩を構成する一部になれるとは思いもしなかっただろう。


 もしかしたら、またおかわりを要求してくるかもしれない。

 運良くこのドーナツ屋は複合施設の一角にあり、1階にはATMがあったはずだ。少し下ろしてこよう。

 「ちょっとトイレいってきますね」


 

  〇


 一樹先輩が離席して、石田先輩と私が取り残された。

 正直気まずい。向こうは知らないだろうが彼女は恋敵なのだ。

 私は相変わらずハムスターのごとくストローをカジカジしていた。


 「椎名ちゃん」

 「はい!」

 突然話かけられ、声が裏返ってしまった。

 改めて先輩の顔を見る。先輩のご尊顔を拝見させていただく。これはずるいですよ。頬にドーナツのカスが付いているというのに一切凜々しさが損なわれていない。それが可愛さとかあどけなさに転じることはなく、ただただ美しい。

 

 「私のおごりだ」

 そう言って先輩はポン・デ・リングを一切れちぎって私に渡す。私の財布から作られたそれを受け取り、「ありがとうございます」と小さく礼を言う。


 「あの......」

 何となく、この人に質問をしてみたくなった。尊敬する年上として教訓を頂きたくなったのだ。 この人が間違えたことを言っていたとしても――地球は平らだと言ったとしても、きっと私はそれを信じるだろう。

 「どうして先輩はそんなに頑張れるんですか?」

 「報われぬとしてもか」

 「あの、いや、そういうつもりじゃ......」

 「分かってるよ。一応中等部から椎名ちゃんのことは知ってたからね」

 先輩は人先指と親指の間に顎を乗せ考える。そう言えば、陸上部にも入っていたっけ。

 少しして、

 「意地になってるだけだよ」

 「意地ですか」

 「うん。何時ぞやの私がした選択が正しかったのか間違えていたのか、その落としどころを探してるんだ」と先輩は言う。それから、落としどころは間違えたかもだけど、と一人ごとの様に言う。実際、それは一人ごとなのかもしれない。だから、私はその"間違え"について言及することはしない。


 「誰になんていわれようが、有識者になんといわれようが総理大臣にどういわれようが、選択は選択だ。間違いも正解もない」

 先輩は少し間を置き、私の目を見る。私が理解しているか、どれだけかみ砕いて説明すべきかを確認しているのだろう。なので、頭の中で自分なりにまとまりをつくる。

 「正しい選択をしたからといって、正しい結果がついてくるわけではない」

 「そう。選択が正しいかどうかは結果によっていくらでも変わる。どれだけ間違いに見えても、その実、正しい結果に行き着くかもしれない。もちろん逆もしかりだ」

 「正しい結果って何なんですかね」

 「知らないさ。勝手に決めれば良い。それが落としどころだ」と先輩は言う。「世の中は自分勝手だ。好き勝手動いて、満足したら止まればいい」

 先輩はニヤリと笑い、説得力あるだろと言う。

 ええ、っと私も笑う。


 「まあ、質問とはずれちゃうけどさ、選択は選択でそれ以上も以下もない。あまり気負わずに選びたまえよ」

 「選んだら、あとは走るだけですね」

 「いってくれるな後輩」

 先輩は快活に笑う。


 

 

 

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