第4話

 努力が好きだ――走ることが好きだ。

 好きこそ物の上手なれ、というが現実はそんな単純ではない。平等ではない。


 いくら走ろうが、いくら練習しようが、フォームを直そうが、才能には勝てない。そして私にはその才能がない。だけど走るのだ。報われないかもしれないが、無駄かも知れないが走らずにはいられない。現実逃避ではない。いいや、もしかしたらそうなのかもしれない。しかし、走らずにはいられないのだ。負ければ悔しいし、負けた事実が知られれば恥をかく。ただ、止まれば一生後悔する。後悔に比べれば恥も悔しみも安いものだ。


 冗談だ。

 何となく理由を付けているだけで、実際はただ走りたいだけだ。だってそうじゃないか、理由がなければなんだかバカみたいじゃないか。バカがバレないように幾つかのブラフを立てているのだ。自分で言うのもなんだが、私はわりと美人だ。かなり美人だ。おまけに寡黙。ブラフさえ作れば誰も本質にたどりつくことはできない。親に感謝だ。出来ればもっと足が早ければ最高だったのだが。うん、まあ、天は二物を与えないというし仕方ないか。


  〇


 地面を蹴れば、前に進む。砂埃は軌跡を残す。

 パート練習の管楽器の音は不可思議にノスタルジックを感じさせる。

 だから私は走る。

 理由がなくとも走る。

 一つ青春を蹴って走る。


 捨てたものが頭に浮かぶ。

 確か、雨の日だったか。

 校庭はずぶ濡れで走れそうになかった。だから、図書室に行き、憂鬱な気持ちから太宰に手を伸ばす。そして触れた。温かく柔らかい指だった。


 こんな指の人物が太宰をみるのかと、不思議に思ったのを覚えている。

 それから、彼が体育館裏の教室で本を読んでいる少年だとわかった。いつも小さく可愛いジャージ少女と楽しそうに話している少年だ。


 水曜のある日。

 教室には少年一人で、少女の姿はなかった。なんとなく(普段はそんなことはないのだが)、活字に視線を下ろす彼と語りたくなった。仲良くなるのに時間は必要なかった。


 男の子に告白されるのには慣れていた。

 普段なら嬉しさはあるものの、それは自分の魅力の再確認であって、それ以上もそれ以下もなかった。ただ、その時は自分の人生が報われたような気がした。きっと、私は彼のことが好きだったのだ。柔和な笑顔も、困り顔も、下らないジョークまでもが。


 今ならわかる。

 青春を選べば、きっと今より幸せだっただろう。報われていただろう。それでも後悔はない。走りきったのだ。やりきったのだ。



 ――表彰台には立てなかった。

 きっともう走ることはないだろう。

 だってそう。私はやりきったのだから。


 


 

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