五の下 戦神項羽、ここに立つ!



 于英うえい桓楚かんそを連れて帰ると、項梁こうりょうは限りなく喜んだ。

 いや、喜んだのは項梁こうりょうだけではない。于英うえい桓楚かんその二将軍は雄々しく勇敢で、それに従う8000の軍勢もみな精鋭。これが味方についたと知って、心が奮い立たない者はいなかった。


 また、沢の中から出てきたあの馬を引いてきてみると、体長は前後1丈(180cm)、体高は上下7尺(126cm)。これぞまことの龍馬りゅうめと言うべき見事な馬であった。

 これを名付けて烏騅うすいと号した。


 さらに、項羽が氏と婚約してきたことを語ると、項梁こうりょうは微笑んだ。

「義兵を起こしてからというもの、人々の心はお前に従い、英雄も集まってきた。天下を平定するのも難しいことではない。

 もうお前は立派な大人だ。結婚くらい好きにすればよい!」


 そこで、吉日を選んで虞姫ぐきめとった。

 その一族の虞子期ぐしきという者を、大将として取り立てもした。


 こうして勢力が増せば増すほど、四方から集まってくる兵の数も増えていく。それから10日が過ぎる頃には、軍勢は10万を超えるまでに膨らんでいた。

 これはもう地方の反乱軍という規模では収まらない。しん本国の軍勢とさえ正面切って戦える数である。


「今こそ長江の北へ渡って、しんを討伐する時だ!」

 かくして、ついに項羽たちは出陣を決断したのだった。



   *



 その出陣の日。

 会稽かいけいの百姓が、項羽たちの行く道をさえぎって嘆いた。

「お待ちください。あなた様がこの郡を捨てて去ってしまったら、誰が民を治めてくれるのでしょう?」


 項梁こうりょうは言った。

「先日私がこの城を取ったのは、一時的に軍馬を駐屯させて、しんを討つ大事業の準備をしようという考えだったのだ。

 大軍をここへ長く留めていると、莫大な食料や物資が必要になって、百姓に負担を強いることになる。だから早く長江を渡ってしんを討ち、天下のために残虐暴虐を取りのぞくほうがいい。

 いつかそれを成し遂げたなら、会稽かいけいの住民は、向こう千年のあいだ税を免除してやろう。

 お前たち、みな安心して家業に励んでいなさい。賢く徳のある太守がやってきて、この街を治める日が必ず来るから」


 百姓はこれを聞いて、喜んで帰っていった。



   *



 さて、項梁こうりょうが人馬をうながして進発すると……

 ほどなくして、こんな報告が飛び込んできた。


「正体不明の軍勢が、我らの行く先で道を封鎖しております」


「一体何者であろうか?」

 項梁こうりょうと項羽は、みずから出ていって様子を見た。


 すると、行く手をふさぐ軍勢の中から、一人の大将が進み出てきた。

 先頭に軍旗を進ませ、馬をおどらせで来たる……その姿は風神ふうしん峻烈しゅんれつ威武いぶ雄健ゆうけん。並の男でないことは一目で分かる。


 項羽が大声を張り上げた。

「貴様は何者だ! なんで俺たちの邪魔をするんだ!」


 相手が答えて言う。

「俺は六安りくあんの英布という者だ!

 いにしえの昔から、れっきとした名前を持っている軍隊を正兵せいへいと呼ぶ。

 お前たちは無名の軍勢だ。

 ひそかに淮南わいなんの地を通り抜け、ちゅうを助けて悪を為そうというのだろう。だから俺が貴様らを止めるのだ!」


 ちゅう紂王ちゅうおう、古代中国にあったいん王朝の、伝説的な悪王である。ちゅうを助けて悪を為す、とはつまり、悪人に味方して悪事を働くというたとえなのだ。


 項羽は毅然きぜんとして言った。

「俺はの大将項燕こうえんの孫で、項羽、名はせきという者だ。

 しんの無道を見て会稽かいけいに義兵を起こし、8千の子弟を配下に加え、10万の軍勢を率いて、のためにあだを討ち、残虐暴虐を取りのぞいて天下の苦しみを救おうとしている。

 これのどこが無名の軍勢だっていうんだよ!」


 その言葉を言い終わるより先に、桓楚かんそが馬で走り出た。

「英将軍! はやくこちらの仲間に加わりなさい。私はもう服従したぞ」


「おお、桓楚かんそか!」

 英布は急いで馬から飛び降り、道の脇にひれ伏した。


 項羽がたずねた。

桓楚かんそよ、この人を知ってるのか?」


 桓楚かんそが言う。

「はい、私の友の英布です。六安りくあんの出身で、若い頃に罪を犯し、罰としてひたいいれずみを入れられたので、黥布げいふとも呼ばれております。

 彼は昔、驪山りざんで始皇帝びょうの工事に駆り出されていたのですが、そこから脱走し、長江を渡って私の家に逃げてきたのです。そのとき、賢明で徳のある主君を探し、一緒に功を立てて富貴の位に登ろう、と約束しました。

 近ごろ彼が淮南わいなんに兵を集めていると耳にしたので、使者を送って我が軍に招こうかと思っていたのですが、運よくその前に出会えましたな。

 英将軍の武勇は、まさに天下無敵ですよ!」


 項羽は限りなく喜んで、英布を連れていき、項梁こうりょうに引き合わせた。


 そこで英布が言う。

「それがし、長いあいだ良い主君を探し求めておりました。今より項梁こうりょう将軍に従い、力を尽くしたく思います」


 項梁こうりょうは喜んだ。

「『千の軍勢を得るのは簡単だが、一人の将を求めるのは難しい』という言葉がある。いま御辺ごへんを得たことが、万里の長城をったかのように心強いですぞ」


 そして酒宴を開いて英布をもてなし、その後、兵をうながして出発したのだった。



(つづく)




■次回予告■


 一騎当千の猛将たちがずらり居並ぶ項梁こうりょう軍。来たるべき戦いに備えて名高き老賢者・范増はんぞうにも出廬しゅつろを促し、力と知恵をともに揃えた。

 だがそのとき、彼らの前にはいの軍勢が現れる。

 ここに初めて顔を合わせた二人の英雄、項羽と劉邦――やがて天下の命運をかけて相争うことになる虎と龍とが、今、しん討伐のため手を握る。


 次回「龍虎戦記」第六回

 『集結、反しん連合軍』


 う、ご期待!

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