五の中 戦神項羽、ここに立つ!



 みんなで連れだって山を下り、古いびょうの前にやってきた。

 びょうの前には、たしかに大きなかなえが設置されている。

 高さは7尺(160cm)。

 周囲は5尺(115cm)。

 その重さは、なんと5000きん(1.1t以上!)であったと伝えられている。


 普通に考えて、人力でどうこうできるような代物ではないはずだ。

 ところが項羽がかなえに歩み寄り、ひと押しすると、かなえはコロッと倒れてしまった。


 さらに項羽は、かなえの縁に手をかけて、少しばかり力を込めた。ただそれだけで、5000きんかなえがいともたやすく元通りに引き起こされたのである。


「なーんだ、こんなもんかあ」

 あんまり簡単すぎて張り合いがなかったのだろうか? 項羽はまたかなえを倒し、起こし、それを無邪気に3回も繰り返した。


 于英うえい桓楚かんそはビックリ仰天。

「あなたの力は、万の軍勢どころか、天下全てをたばにしたものにさえ匹敵します!」


 項羽は笑った。

「このくらい、まだまだ大騒ぎするほどのことじゃないぞ」


 そう言うと、衣服の裾をまくりあげ、かなえの足の下へ手を突っ込んで、かなえを宙へ持ち上げた。そのままびょうの周りを3周も走り回り、また軽々と元の場所にかなえを戻した。

 なんたる剛力。これだけのことをやってのけてなお、項羽は顔色ひとつ変えていないのだ。


 于英うえい桓楚かんそは地にひれふした。

「あなた様は本物の天神です! 我ら二人、命を捨ててあなたに従いたい」


 かくして二将軍は項羽を連れて山上へ戻り、酒宴を開いて彼をもてなしたのだった。



   *



 翌日。

 項羽たち一行が人馬を引きつれて出発しようとしたところへ、百姓数十人が慌てふためき駆けてきた。


「どうしたのだ?」

 と問うと、百姓たちが答える。


塗山とざんの沢の中に黒い龍が住んでいたのですが、これが馬に化け、毎日南の丘の村にやってくるのです。その吼える声で大地をも動かし、走り回って田を荒らします。

 我々には、どうすることもできません……

 幸運にも、将軍様がここへ来てくださいました。どうか、民のために害を取りのぞいてくださいませ」


「よし、まかせろ!」

 項羽は、みなを連れて沢のほとりへ向かった。


 すると話のとおり、馬が水中からおどり出た。

 馬は吼え、怒り、こちらへ接近し、前足を上げて立ちあがり、人を噛もうと挑みかかってくる。


 と。

「うおりゃぁあ!」

 項羽は雄叫おたけびをあげて馬に駆け寄り、あっというまにたてがみつかんで馬の背に飛び乗った。

 暴れまくる馬をたくみにぎょしながら、沢ぞいを走らせること10往復以上。

 馬はしだいに弱って汗を流しはじめ、やがておどり跳ねることもできなくなった。


 しばらくして……

 項羽は馬をしずしずと歩かせ、2里(約800m)ほどの道を戻ってきた。


 あの獰猛どうもうな龍馬をぎょしきってしまった項羽に、百姓はみんな驚き、地にひれふして再拝した。彼らの喜びようといったら、歓声かんせいが村に鳴り響いて、しらばく静まらなかったほどだ。


 村人の中から一人の老翁ろうおうが進み出て、丁重に礼をした。

「項羽将軍。わたくしどもの耳にも、あなたさまの威名は聞こえておりました。その将軍がみずから民の害を取りのぞいてくださるとは、なんたる光栄でしょう。

 どうか少しのあいだ人馬を留めて、わたくしの家へお越しください。粗末な家ではありますが、御酒ごしゅをおすすめし、将軍様を慕う気持ちをお伝えしたいのです」


「そうか。じゃあ遠慮なく」

 項羽は諸将を引き連れて、その家に入った。

 老翁ろうおうは喜んで酒をすすめた。


 項羽が

「ご老人、お名前は?」

 と問うと、老翁ろうおうが答える。


「わたくしはと申します。村の寄り合いではいつも一列目におりますので、人からは虞一公ぐいちこうと呼ばれております。

 将軍のお歳はいくつでいらっしゃいますか? もう奥様はいらっしゃるので?」


 項羽が言う。

「俺は満24歳。妻はまだいないよ」


 虞公ぐこうが言う。

「わたくしには、年老いてできた一人娘がおります。

 頭は聡明、心は貞淑で物静か。軽々しく笑ったりしゃべったりしない子です。幼い頃から書物を読んで、大義というものをよく知っています。

 その子の母親は、5羽の鳳凰ほうおうが家で鳴いている夢を見て、娘を産みました。きっとゆくゆくは高貴な位に登る子なのでしょう。

 長いあいだ婿むこを選ぼうとしていましたが、今に至るまでとつぐことはなく……

 いま将軍を拝見しますに、力はかなえを持ち上げるほど、勇気は万の軍勢に匹敵するほど。つまり、世をおおうほどの意気を持つ英雄でいらっしゃいます。

 そこで、わたくしの娘を妻として差し上げたいと思うのですが」


 虞公ぐこうは娘、虞姫ぐきを呼んだ。

 その姿を一目見て、項羽の心は――ざわめいた。


 らんの如きあでやかさ……

 かおりぐさの如き美しさ……

 傾国の色香をぷんと漂わせ、これ以上の女性はこの世に存在しない、と無邪気な確信を男に抱かせる……

 それほどの――ひと


 項羽は虞公ぐこうに再拝した。

 婚約した。

 持っていた宝剣を証拠として渡した。

 「長居して軍勢が迷惑をかけたらいけないから」と早々に別れを告げ、会稽かいけい城に飛んで帰った。



(つづく)

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