四の中 劉邦おじさん、なんか、立つ
押し切られて結婚してしまった劉邦は、戸惑いながら、ひとまず帰ろうと門外へ出た。
そこにちょうど、一人の男が訪ねてきた。堂々たる体つきの、威風
勇士は、劉邦に向かって
「おう、劉邦兄貴! ここ数日、
その声のよく響くことは、まるで雷のようだ。
劉邦を見送りに来ていた
「おお! この男は、真に盛んなる世で諸侯になる運命の人だ!」
そこで、勇士を招き入れて劉邦ともども家に引き返し、
「劉邦を
と名を問うた。
勇士が答えて
「それがし、
……そういう貴殿こそ、一体どなたです?」
「私は
故郷を離れ、長いこと
「君は、もう結婚しておられるか?」
「いや。それがし幼いころから貧乏で、父母も無けりゃ妻子も無し」
「ならちょうどいい。私には二人の娘がいる。姉の方は、さきほど劉邦に
妹は
突然の申し出に、
劉邦が苦笑して口を挟んだ。
「呂公は、今日一日で二人の娘を俺たちにくれようとしてる。これはホント、
まあ金が無いのは俺も同じだけどさ。呂公の人相判断が正しいとしたら、俺らが妻子を養えるように天の助けが降ってくる運命なのかもしれねえぞ。
なあ
「そうかい? まあ、兄貴がそう言うなら……」
かくして
*
そのころ
権力者が自身の墳墓を造営した例は無数にあるが、中でもこの始皇帝陵は世界最大級の規模を誇る。着工は
これほどの巨大建築であるから、工事にたずさわる人夫の数も並大抵ではない。
そして、その人夫を現場まで引率する任務が、他ならぬ劉邦に課せられたのである。
だが、行った先でおそろしく過酷な労働が待っていることは、もう中国じゅうに知れ渡っている。生きて帰れるかどうかも怪しいのだ。
当然ながら道中で脱走が相次ぎ、人夫の数がどんどん減っていく。
劉邦は心に思った。
「こんな勢いで逃げていくんじゃあ、
こりゃあ俺も罰せられるなあ。
だったらいっそ……俺も逃げちゃお!」
というわけで、
「おい、お前ら。お前らは県令の命令で
逃げた奴らは生きながらえるだろうが、逃げずに俺についてきてるお前らは、疲れて苦しんで虚しく死んじまう運命だ……
だから、もういい! お前ら、みんな逃げちまえ! 逃げて人生を
それを聞いて人々が言う。
「
劉邦は、さっぱりと笑った。
「気にすんな。みんな好きなように逃げろ。俺も今から身を隠すよ」
*
劉邦とは、こういう男であった。
だからこそ、であろう。
大半の人々は限りなく喜び、劉邦を
「劉邦さんは、なんだか放っておけない」
と、深く感じ入る者たちもいた。
そういうわけで、働き盛りの男十数名が、逃亡者となった劉邦にくっついてきたのである。
その夜。
劉邦一行が酒を飲んで眠りに落ちると、行く先の安全を確認するため、一部の者たちがひそかに夜道を駆けて行った。
翌日。彼らは大慌てで走り帰ってきて報告した。
「劉邦さん、大変だ! この先で、長さ十丈(約18m!)もある大蛇が寝そべって道を塞いでる! 別の道を通りましょうぜ」
十丈の大蛇とはただごとではない。とんでもない怪物である。
ところが劉邦は、この報告と進言を、ろくすっぽ聞きもしなかった。
「なぁーにぃー!? 蛇だぁー?
大の男が我が道を行くんだ! 何が怖いことがある! みんな俺について来ぉい!」
酔っているのか? 寝ぼけてるのか? 劉邦はいきなり衣の
彼に付き従っていた者たちも、これにはビックリ仰天である。
「劉邦さんは、ふだん臆病で、ものの役に立つ人じゃないと思っていたが、本気を出せばこれほど勇敢だったのか。とても凡人の及ぶところじゃない」
こうして無事に逃げおおせた劉邦一行は、
*
さて、この大蛇について、ひとつ奇妙な話が伝わっている。
劉邦が大蛇を斬った翌日。
近所の百姓たちが死体を見物に来てみると、死んだ大蛇のそばに見慣れぬ老婆がいる。
老婆は大蛇の死体にすがりつき、大声で嘆き悲しんでいるようである。
その次の晩も、また次の晩も、休むことなく老婆は現れ、途切れることなく泣きわめき続けた。
人々は怪しく思って、老婆にたずねた。
「大蛇を殺して民の害を取り除いたのに、あんたはなぜ泣いているんだ」
すると老婆が答えて言った。
「この子は、わしと白帝との間に生まれた子だ。大蛇に化けて道へ出てきたところを、赤帝の子に斬られてしまった。
わしは頼るべき息子を失った……それで泣いているのだ」
白帝は、西と秋をつかさどる神。
赤帝は、南と夏をつかさどる神である。
老婆の話を聞いた人々は、ますます怪しんだ。
「こいつ、妖怪じゃあるまいか?」
怖れた百姓たちは、老婆を杖で殴ろうとした。
ところが老婆は、杖が命中するその直前、すぅっ……と姿を消してしまった、というのである。
*
こんな神秘的な噂話がたちまちのうちに広がって、
「劉邦という男は、ただものじゃないらしい」
と、
ふと気がつけば、配下の兵力は実に数百人。いつのまにやら劉邦は、ちょっとした軍勢の親玉になってしまっていた。
(つづく)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます