三の上 奸臣どもの策謀
始皇帝は東国を
道の左右の田には、
東国はここ数年
ここで、ある百姓が、一茎に九つも穂がある
始皇帝は、この素朴な献上品を限りなく喜んだ。
「これは縁起が良いぞ。こういう
と上機嫌で、百姓に重く恩賞を
ところが……
そこから東南に進み、
天に不気味な雲気が湧き起こり、その隙間から、神々しい光が差し込んできたのである。
始皇帝は、
「
どうやら、雲気の源はこのあたりらしい。近くに必ず怪しい者がいるはずだ。よく捜索せよ。それらしい者がいたら、早く殺して後日の憂いを取り除け」
「雲気は現れては消え、時々刻々と形も変わり、一定の姿をしておりません。深くご心配なさる必要はございますまい。
今もし理由なく人を捜索すれば、百姓が不安がって騒ぎ出し、かえって災いを引き出すことにもなりえます」
*
始皇帝は巡行を続け、今度は
と。
その人混みの中から、突然、年のころ20才あまりの青年が走り出た。
青年は行列を
「始皇帝は無道だ! 俺が殺してやる!」
そばにいた大人が、青年を慌てて制止した。
「やめろやめろ!
こうたしなめられて、青年は立ち止まる。
「それもそうか」
不思議な青年である。いきなり始皇帝に単身斬りかかろうとするほど無謀で血の気が多いわりに、人の言うことには意外に素直。
良くも悪くも性根がまっすぐなこの青年……
その名は項羽。
始皇帝によって滅ぼされた
そして、彼を制止した大人は
*
項羽は幼くして父を亡くした。
親代わりとなったのは、叔父の
ところが、これがちっとも上手くいかなかった。
学問を学んでも身につかない。
剣術も試したが気が乗らない。
「学問もダメ、剣もダメ。こんなていたらくで、お前は将来なにを成しとげようというのだ!」
すると項羽は悪びれもせず言い返した。
「学問は人の名前が書けるだけ、剣は一人と戦うだけのものだ。そんな小さな武勇に興味はない。
俺は万の敵と戦う方法を学びたいんだ!」
なんと生意気な。
「面白い奴……」
とも思った。
ひょっとしたら項羽は、とんでもない大物になるやもしれぬ。
いつか始皇帝を倒すための義兵を興し、項羽を先頭に立てて大暴れさせてやろう。
そんなふうに、ひそかな計画を立てていたのである。
*
だからこそ
「さっきの項羽の放言、周りの群衆にも聞かれただろう。いずれ始皇帝の耳にも入る。奴は猜疑心の塊だ。こんな小さな出来事でも、決して許さず
こんなところで項羽を死なせるわけにはいかぬ」
そこで
胸に天下取りの志をいだいたまま、潜伏して好機を待つことにしたのである。
*
さて、そのころ。
東郡という土地に、天から隕石が落ちてきた。
なんとも不思議なことに、隕石には六つの文字が刻まれていたという。
『始皇死而地分』
始皇死して、地わかれん。
始皇帝が死んで、国が分裂するだろう……という意味である。
この話を伝え聞いた始皇帝は、もちろん怒った。
「誰だ! そんな文字を刻んだのは!」
自然に文字が現れるはずはない。となれば誰かがイタズラでやったに違いない。始皇帝は御史官(
だが、犯人の行方は
ここで始皇帝は驚くべき凶行に走った。
誰の仕業か分からない……ならば全員を罪に問えばよい、とばかりに、隕石落下地点の周辺に住んでいた民衆を、なんと、皆殺しにしてしまったのである。
「これはいかん」
主のすさまじい暴挙を知った
「陛下が諸国を
これ以上の
今はただ御車をうながして
始皇帝は、ひどく疲れた顔でうなずいた。
「汝の説く
こうして始皇帝は帰路についた。
*
夢の中で、始皇帝は東海の龍神と戦っていた。
龍神が相手では
どうすればいいのか、と恐れ悲しんでいると……
天から赤き龍が舞い降りて、始皇帝を一口に飲み込んでしまった。
そこで始皇帝は目を覚ました。
それからである。彼が急な病に苦しみだしたのは。
意識が
回復するどころか日に日に症状は悪化していき、沙丘という土地に来たところでいよいよ重態に陥った。
始皇帝は、ひそかに
「
東海は龍神の領域だ……今、龍神と戦う夢を見てこの病を得たのだから、これは龍神の
そして始皇帝は伝国の
それを
「
太子
だが気をつけよ。
そう言い終わったところで――
始皇帝は、崩御した。
在位37年、享年50。中華統一とその運営に、ひたすら打ち込んだ人生であった。
*
始皇帝の死は、固く秘せられた。
知っているものは
さらには、食事を勧めたり、物事を報告したりと、普段通りにふるまって、まだ生きているかのように見せかけた。
時は7月。
暑気に当たって、早くも死体が腐り始める。
その臭いをまぎらわせようと、後ろの車にたくさんの魚を載せたりもした。
次の日……
趙高は、
「大丈夫たるもの、一日たりとも権力を手放してはいけません。もし権力がなくなれば
ですからわたくし、
あなたのご意見は、いかが?」
「先帝はすでに
趙高が言う。
「あなたの才智と、
「それは、
趙高が言う。
「太子
そして、いつもあなたとはソリが合いませんでした。
もし
これが、おわかりになりませんか?」
「……
趙高が言う。
「
このふたつの、あなた、どちらを取るのがよいでしょうねえ?」
(つづく)
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