第3話

 週末、退屈な会社の仕事から解放された男はいつもの様に自らの求めるものを探しに、例の森へ来ていた。

 車を駐車上に停めると、男はそこから降りて後部座席からこの間と比べて少し大きなリュックを取り出し背負った。


(やっぱり荷物が増えると重いな。まぁ仕方がない。今日は仕込みの日だからな……)


 そして男は、いつもの様に森の奥深くへと入っていく。


 男が森へ入るのはいつも朝の時間を少し過ぎた午前中から、夕方に差し掛かる午後までと決めていた。

 それ以降は、視界が暗くなって危ないし、何よりもし誰かに見つかった時に不審に思われる。山の保全団体の見回りもいる為、言い訳できる事に越した事はない。

 ほんとうはもっと長い時間をここで過ごしたいと思っている男だったが、この様な理由で、男は限られた時間で、自らの趣味を楽しんだ。


 気の抜ける様な青い空に浮かんだ太陽が、秋の優しげな光を森に差し伸べている。それに当てられた森林は、鬱蒼とした葉と葉の間に光を携え、まるで飾り付けられたツリーの様に輝いた。

 しかし男が向かうのは、いつもの様に光の届きにくい、冷ややかで静かな……暗い森の奥深くなのだった。

 

 男は進んで行く中で、いつもの巡回ルートに新たな死体があるのを確認した。大学生の様な簡素な風体の若者の男と、初老を迎えたくらいの年齢のスーツに身を包んだ男だった。

 男は手慣れた手つきでカメラでその死体達を撮影し、その後どの死体にもする様に優しく、かつて肉体だったものを愛撫する。


(若い男の方は、死んでから少し経った今でも肉を押すごとに跳ね返すような肌の密度や張りが、生きていた時の活力を隠している様だ……。

 反対に老いた男の方は、身体はたるみ切りシワがより始めているものの、それが死後の硬直によって固まって、触るとまるで木の年輪の様に味わい深い……。

 そしてその二つとも、夜に浮かぶ月の様にただ冷たい……)


 男はこんな事などを思いながら、死体達との触れ合いを堪能した。

 もちろん、痕跡を完璧に残す事なく……それも優秀な男だったから可能な事だ。


 

 死者と対峙し男はいつもこう思った。

 いずれ自らに訪れる、しかし決して今は自分とは切り離された死骸を見つめる事で自分の生を実感できる、と。

 死は全く理解できるものでないに関わらず、少なからずとも己の内に秘め続けているものだった。

 そしてそれこそが男が緩慢な日常の中で追い求めついに見つけられないものだった。男はそれを死者の亡骸に見出したのである。

 しかし、男はこの死者との触れ合いに満足感と共に少しばかりの孤独を感じていた。

 男は死に触れる事は出来ないが、同時に死も男に触れる事が出来ない。だからこそ生まれる未知の隔絶があると男は思っていた。

 だからこそ男は熱心に死体を観察し続けた。それが自分の求める生きがいなのだと信じていた。

 この時はまだ……。


 

 そうして、巡回ルートを巡り終え、男はここに来るまでにしていた予想が当たっていた事も確認した。


(……ああ、やっぱりそろそろ死体が減らされる頃だと思ったんだ)


 そして男は、背負っていたリュックを下ろし、中身を漁り始める。

 

 山の保全団体の見回りの場所に、この森も含まれている。元々自殺スポットとして有名な森だから、そういった人を止める為の巡回は必須だ。だから、森に死体があったとしても見つかれば回収されてしまう。

 そしていくら自殺スポットとはいえ、見つかりにくい森の奥深くまでいく手間をおかしてまで自死するものは少なかった。


 それを考慮した男は、ある事を思いついた。


(ーーよし、準備完了だ)


 そういって男が取り出したのは、大量のロープだった……。

 男は、それを巡回ルートの一つである大きな杉の大木の枝にくくりつける。

 そして男は巡回ルートを回り、幾つもの木に同じ様にロープをくくりつけていく……。


(今回は何人くらい死んでくれるだろうか? 沢山死んでくれるといいな。その分、出会いが増える)


 男が思いついたのは、自殺者を増やす為の後押しだった。

 ……男の異常な趣味から勘違いするかも知れないが、この男には殺人をしたいという欲求も、そのための度胸も備わってはいなかった。

 男が心を惹かれるのは、ただ死体そのものだったのである。他人を死に至らしめる動機や欲望に、男は興味を持たなかった。

 そんな生きた動機よりも、死者の静けさの方が何倍も男に多くの事を語ってくれた。

 だから男は直接手を下す事なく、死者を増やす方法を思いついた。


 ーー自殺スポットにロープを沢山吊るしていけば、死に迷う人も偶々紛れ込んでしまった人も、みんな死にたくなってくるのではないか? とーー。


 滑稽で突拍子もない事に聞こえるが、実際自殺スポットに行った人がロープの準備をしたが思いとどまり、そのままロープを片付ける事を忘れて帰ると……後日そのロープで別の人間が首を吊ってしまうというのは事例のある事である。

 男がこの事を思いついたのも、そういった経緯があるから、むやみに森に物を放置するのは止めろ、という注意喚起を見たからだった。

 

 ーーならば反対に、沢山ロープを吊るせば、そのロープで首を吊る人が増え……死体に出会える機会が増えるのではないか?


 つまり男はそう考えたのである。

そしてそれは実際に成果があり、男がロープを吊るす様になってから、森の死体が増え始めたのである。


 男は満足げに、その場を跡にする。

 次はどんな死体との出会いがあるだろうか……そんな事を胸に秘めながら。


 ーーパキッ! 


 すると、男の後方で、枝の折れる音がした。その音を聴いた男は、硬直し、ゆっくり振り返った。

 先ほどロープを吊るしたばかりの大木の裏の方から、今の音は聞こえてきた。

 

(今のは明らかに何かの足に枝が踏みつけられた音だ……)


 音の正体を頭の中で模索していると、不意に音のした方向で、木の向こう側に、男と反対方向に走って逃げ去る音が聞こえてきた。今度は明確に人の足音だった。


(ーー見られたっ!)


 男は直感し、そして何故かは自分でもわからない内に、その足音を追いかけ始めたのである。



 ……もう夕暮れが近くなった森の中で、男は追いつきそうで中々追いつけない足音を追っていた。

 

(こんなに必死にならず諦め逃げた方がいいか? 第一、追いついてどうすんだ? 何を弁明するんだ……)


 そう思っていた男だったが、追いかけている内にある事に気がついた。


(あの足音……俺のペースにずっと合わせて逃げていく……。俺が走れば向こうも走り、歩けば歩く。まるで俺を誘い込んでいるみたいに……。

 そしてなぜか足音の奴の、影も形も一向に見えない)


 その事柄が気になった男は足音を追い続けた。


 すると追いかけている中で、足音と男は緩い勾配になった道を登っていく事になった。

 木々の隙間から差す夕日の茜が、緩い斜面の砂利をまばらに照らしている。

 そしてその勾配を登り切ると、眼前に急に立ち塞がる様に切り立った岩壁が現れた。行き止まりだ。

 そして足音も、ついにピタリと止まったのである。


 ーー行き止まりだ! あいつも止まった! さぁ、どんな奴なんだ? 一体俺を追いかけていたのはなんだ?


 男が勾配を登り切り岩壁に近づいた。

 そこには……人の影一つなく、何もいなかった。


「え? だって……」


 そう呟いた男は、辺りを見回してみた。

 しかし人影など一つも見当たらず、眼前にあるのは荒い岩肌ととそれを包み込む様な森ばかりだ。

 もし追跡者が男の進行方向を横に外れて逃げたとしても、男の目には真横に横切って逃げていく人の姿が見えるはずだ。

 それがなければ、後はこの岩壁を登るしかないが……足音が止んだのと男が勾配を登り切ったのはほぼ同時で、もしそんな一瞬でこの高い岩壁を登りきれる人間が、いや動物であってもいるはずはない。


(なんで? 俺の気のせいだったのか? いやそんな筈ない、足音は確かに……)


 すると、また足音が男の耳に届いて来た……しかし今度は岩壁とは真反対の、男の後方からそれは聞こえて来た。ザッ……ザッ……と。

 今まで男が足音を追って歩いて来た道の勾配の少し下の方から……。


「ーーっっ!」


 この瞬間、男は未だこの森で抱いた事がなかった恐怖を抱いた。


 あの足音は今自分が追っていて、目の前に捉えたのに、姿形も見せずに、今度は自分の後ろに回り込んでいる。その事に男は得体の知れないものを感じた。


 男は、急遽その足音から離れた方向から、森の外へと急いだ。

 冷たい、しかしまとわりつく様な冷気が男の身体を包んでいた。

 

 そして先ほどまで追いかけていた何かは、今度は入れ替わった鬼ごっこの様に追跡してくる。

 男の耳には、森を出るまで足音が響き渡った……。

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