第18話 隼と翡翠
新緑芽吹く初夏の昼下がり。
ずいぶん強くなってきた日差しを感じながら、青々とした木々の中を駆ける。
六条にある右大臣家の別邸の前に到着し、一度深呼吸をして一息で兵を飛び越えると、そこにはすでに仁王立ちをした男が立ちはだかっていた。
「隼……」
表情のないその顔は、何を思っているかまったくもって読めない。
こういう人間が忍びに向いているのだろうなと脳裏に浮かんだところで頭をふる。
いきなり弱気になってどうする。
「わが名は翡翠。このたび、月子姫様に主からの手紙をお渡しにやってきた。今日こそはそこを通してもらおう」
何度目になるかわからない決まり台詞を大声で述べ、身をかがめる。
「こりないやつだ。月子姫様には一歩も近づけん」
低い声がぐっと胸に刺さるようだ。
隼のまとう空気が変わった。
戦闘体制に入ったであろうことを悟り、そのときを待つ。
しん、と静まり返った世界の中で、一瞬が永遠に感じられた。
音が止んだ。
さらっと風が吹いた時、どちらからでもなく、双方が地面を蹴った。
次に感じたのは、何かにぶつかった感覚で、目のまえに隼がいて彼の刀がわたしのクナイを受け止めたところだった。
隙を作ってはダメだ。
距離を取りつつクナイを投げるもすぐに交わされる。
ぶつかり合うときは圧倒的な力で攻め込まれ、気を抜いたらふっとばされてしまいそうに思う。
拳を打ち込んでも足技を使っても難なくよけられ、クナイの連続技を使ってもすべて弾き飛ばされる。
(な、なんでこんなに強いの……)
この前対峙した妖鬼の方がまだ可愛く見える気がする。
忍びはとにかく、おもち丸のような咄嗟の判断が大切で、いかにすばやく逃げおおせるか、正確な情報を守れるかだと言われ続けた。
だから、本来は忍びというのはこうして相手を前にして戦うものではない。
進行方向に敵がいるのであればきるだけ避けて通るし、もし出くわしてしまったとしても短期戦で一瞬でも逃げ仰せる時間を作って、その場を去る。
そのために強さが必要だと日頃から修業に励んできた。
でも、刀を操り、長期戦も難なくこなそうとするこの男はもう忍びの域を超えている。
戦えば戦うほどその現実を感じることが増え、認めたくはなかったが悔しい気持ちでいっぱいになる。
これ以上長引いたら、こちらはなすすべがなくなる。
すなわち、負けを意味してしまうのだ。
こんな気持ちになっている時点で、わたしの負けは確定している。
でも、まだ諦めるわけにはいかない。
信じて待ってくださる光陽さまのためにも、どうしてもこの文を届けなくてはならないのだ。
キーン、と音がぶつかり合うごとにわたしだけが息が上がっていく。
『やーい、ちびっこ翡翠は弱いんだ~』
里で言われ続けた言葉と、血を吐く思いで地面に倒れ込んだあのときの記憶が蘇る。
少しずつ、少しずつ体力が消耗していく。
何か……何かいい手はないかと考えるもすぐに次の一手が飛んでくるため考えている暇もない。
こんな風に、無敵の男に守られている姫がいる。
この背を見て、月子姫は何を思っているのだろうか。
こうして他の男に守られている姫を見て、光陽さまは何を思うのか。
考えてもわからなかった。
わかったことはただひとつだけ。
他ごとを考えるべきではなかったのに。
この男を前にそんな余裕なんてなかったのに。
こうなってしまったのは、わたしの弱さだろう。
集中力の切れたわたしは、正面に風を切るように飛んできた鉄拳をよけるのに精一杯でバランスを崩し、そのまま後ろにあった池に背中から飛びこむ形になった。
言い訳をさせてほしいのだけど、いつもだったらもっとうまく対処できただろうけど、今日はまだ体が癒えていない状態だったため、足も使い物にならず、水面歩行は愚か、バランスをとることさえできなくなっていた。
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