第13話 穏やかなひとときは戦いのあとで

「強くなりましたね、翡翠」


 橋の欄干に腰掛け、止まらない涙をぬぐってくれる光さまのお声は優しく心地よい。


「も、申し訳ございません……し、忍びが泣くなんて、なんとも不甲斐ない……」


「あなたは人の心の闇や憎しみを一心で浴びてくれたんです。心が追いついていないのも無理はないです。むしろ我々は感謝しなくてはならないくらいですよ」


「……こっ、光さまは本当にお優しいですね」


 月のない夜は様々な憎しみと向き合うことになる。


 思った以上に相当の負担があり、自分自身でも感情をコントロールできなくなる事が多い。


「あなたの本当の強さを知ったら、隼も驚くでしょうね」


「隼は無敵です」


 いつか見た背中を思い出し、ぐびっと鼻をすする。


「誰も敵わない、無敵の忍びだったんですけど」


 今と同じくらい容赦はなかったですが。


 そう言いかけて、また胸が痛くなった。


「でも、背中ばかりを見ていたら、越えられませんね」


 今度は本当に鼻の頭がツンと痛くなり、先ほどとは違う意味で涙が溢れてきた。


「光陽さまには申し訳がないと思っているのに、わたしは未だに勝てなくて……本当に、情けなくて……忍び失格です」


 いつ見放されてもおかしくない。


 本気を出せば、人ならざる力を出すことができる。


 それでも出すことができなかった。


「もう少し……もう少し人として戦いたいんです」


「あなたは人ですよ、翡翠」


 ごめんなさい……と繰り返すわたしの頭を光さまはポンポンと撫でてくれる。


「覚えていますか? あなたが初めてこの任務に就いたときのこと」


「……もう、そのお話はやめてください」


 苦言せずにはいられない。


「なんてたくましいくノ一なのだろうと、わたしは感動しましたよ。そして、しっかり光陽さまにも報告をすると、あの方も同じように感心しておられました」


「はっ、恥ずかしいです……」


 初めてこの任務に就いた日のことだった。


 人の憎しみと向き合うことなんて今までなかったものだから、それはそれはもう心の負担は大きく、今日よりもさらに感情が乱れてしまって戦いながら心が追いつかず大声を上げて泣いてしまった。


 だけど、感情を露わにするなと厳しく鍛えられ、ましてや泣いてしまうなんて……と、思っても見なかった自分自身の姿に大きく混乱して、『もう大丈夫だよ』と光さまに声をかけられた瞬間、自ら鴨川に飛び込んだのだった。


 光さまは人の悪意に心を奪われ、自ら命を絶ってしまったのかと言葉を失ったそうだ。


 それでも鴨川から這い上がってきた異様な女ときたら、それはそれは散々で惨めな姿になっていて、さすがの彼も刀を抜きかけたという。


 頭には大きなたんこぶはできるわ鉄漿水かねみずで染めた黒髪は流れ落ち、中途半端に色の落ちた金色の髪はさぞかし不気味だっただろう。わたしだってわからなくもない。


 一瞬、唖然とした様子でこちらを眺めていた光さまだったけど、すぐにお腹を抱えて笑い出したのだ。


 所作も見た目も何もかもとても美しくて何事にも動揺しないまさに完璧なお方だと思っていたのに、そんな彼が顔をくしゃくしゃにして笑ってくれた。


 おかけでわたしも笑ってしまったし、その髪の毛で活動するのはどうかと提案してくれた。


 とても綺麗だよ、と。


 そう言ってくれたのだ。


 これがどんなにわたしの心を深い傷を慰めてくれたことか。


 いつも綺麗な髪色だと褒めてくれる。


 だからこそ、妖鬼と向き合っている時にこの姿を見た人が絶叫することはあったが、わたしはわたしでこの姿で戦うことを誇りに思えるようになった。


「ありがとうございます」


 また笑顔にさせられてしまう。


「ありがとうございます。光さま……」


 そして、わたしは知っているのだ。


(ありがとうございます、光陽さま)


 あなたが本当は光陽さまで、心良親王しんらしんのうであるということを。

 

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