4 ぬらりと
夜も更け、窓の外は何も見えないほどの真っ暗闇に包まれていた。
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
その短いやり取りのあと、ドアが閉められる。善も明かりを消して、布団に寝転がるが……
「――寝れない」
今日は何故か目が冴えてしまい、眠気が感じられないのだ。
今日が怒涛の一日だったからかも知れないが、そのせいで睡眠不足になるのは御免だった。
なんとか頭を疲れさせようと、善は少しの間考え事をすることに決め、
「元の世界に帰る方法は、ないのかな」
と、そんなことを考え始めた。
異世界に来て数日が経過したことで、頭も冷静になってきている。有り体に言えば、この世界に慣れてきていた。
心の余裕ができたからか、それともただホームシックに陥っただけなのか、善はようやく日本に思いを馳せたのだ。
どちらにせよ、異世界に来てしまった以上この話題は避けては通れない。
問題は、彼自身帰還の方法に心当たりがないことだった。
そもそも彼がこの世界に来たきっかけはあの頭痛やめまいなど、四重苦どころの話ではないあの症状からだ。
あれはもう今は来ていないが、恐らくあれが異世界に来ることになった要因であろう。
それが直接的なものだろうと間接的なものだろうと関係ない。
「考えられる説としては、二つ」
一つは、異世界に来る瞬間、所謂『界渡り』の時に起こる症状だということ――つまり、違う次元へ渡る際にその刺激に体が慣れておらず、あのようなことになったという説だ。
これは根拠もなにもないが、状況証拠からして一番可能性が高い。
二つ目は、善の体になにか細工がされているという説。こちらも根拠はないが、善が今の身体に異変を感じないこと、善自身「何かがおかしい」と違和感を抱いていないことから、可能性は低いと考えられる。
単純に善の体調がおかしくなっただけというのも考えなくはなかったが、こちらもやはり異世界に来て以降症状が再発していないことから否定できる。
「ただどれもこれも、推測の範疇に過ぎないんだよなあ……」
この世界に来てから、気味が悪いほどに何も起こっていない。
定番の『異世界チート』とやらも善には縁がないらしく、ただ一日のルーティンが変わっただけ。
折角の異世界なんだし――なんて言う気はさらさらないが、何も与えられないのもそれはそれで文句を言いたくなる。
「……少し、外でも歩くか」
結局結論は出ず、善は眠気が襲ってくるまで外をふらつくことにした。
フーミアを起こさぬように、足音を忍ばせてドアを開けていく。
玄関のドアを開け、外に出たあとそっとドアを閉めた。
丑三つ時、と表現するべきではないのだろうが、それでもこの夜闇の中を歩くと何か悪いことが起こりそうな予感がするのだ。
「大丈夫、ほんの数分だ」
自身の本能を無視し、善は暗い暗い闇の中へ足を踏み入れた。
*********
静まり返った村の中を歩き始めてから、既に二十分が経過しようとしていた。
それほどの時間歩いても、眠気が襲ってくる気配はない。いっそ走ろうとも思ったが、それで村の誰かを起こしてしまっても迷惑だ。
欠伸の一つも出ないまま、善は歩くスピードを少し速めた。
もう少し歩こう。もう少し歩いてから、帰ろう。
そんな浅い決意を胸に抱きながら、善はフーミアの家に戻ろうと身を翻して――
「……ん?」
フーミアの家が見えたと同時に、善は家の裏、そこにある狭い雑木林の中に視線を向けた。
何か、淡い光が見えるのだ。青白く光るそれは、明滅しながら善を誘ってくる。
行ってはならない。行ってはいけない。そう思ったが……もしこれが危険なものなら、真っ先に被害に会うのはフーミアだ。
この異世界で、初めてできた友人――と言っていいのかはわからないが、彼女に救われた面も、彼女に感謝すべきことも沢山ある。
そんな彼女に危険が及ぶ可能性があるなら、その芽を少しでも潰しておくのがいいのではないか?
脅威の対処はできなくとも、その全容を、情報を、知ることでそれは武器となる。
あの光は何なのか、何によって起こっているのか、何と関係しているのか。
今、勇気を振り絞って、進むべきではないのか。
「……フーミアさん、少し借ります」
ドアの横に立てかけてあった西洋剣を手に取り、鞘から抜いてその重みを感じながら歩を進める。
いざとなったら、これを振り回して時間を稼ごう。
その間に誰かが異変に気づいてくれれば、それでいい。
ここで他の人を起こすのは、得策ではない。
動く人数が多くなれば必然的に目立つ。もしあの光が人為的ななにかであった場合、こちらが対処しようとしているのがバレてしまう。
何より、こんな危険な役目を、他人に負わせてなるものか。
剣の柄をしっかりと握り、音を立てぬよう慎重に近づいていく。
光が強くなる。弱くなる。強くなる。
顔が青白く照らされて、善は確信した。
――このすぐ先に、光源がある。
姿勢を低くして、近くの茂みに身を隠す。
そこから、隙間を作って覗き込むと、そこには、
「――井戸?」
苔むした、明らかに古そうな井戸があった。
この村に井戸があるなんて誰にも言ってなかったので、恐らく今は使われていないのだろう。
光は井戸の中から出ているようで、木の蓋の隙間から光が漏れ出ている。
夜闇と相まって不気味な雰囲気を醸し出しているが、それが善の何かに触れたのか、少しずつ善は井戸に近づいていく。
一歩、一歩、また一歩。
少しずつ、ゆっくりと、彼は歩を進めていく。
一歩、一歩、一歩、一歩――
「――ぅ」
胸に異物感を感じ、足を止めた。――否、止められた。
どうなっているか見ようと、善は視線を落として……ぬらりと、血の色に輝くものがあった。
――西洋剣が、彼の胸を貫いていた。
それを理解した瞬間、彼は耐え難い痛み、いや、熱に襲われる。
「あ゛ああぁあぁぁっ!?」
どくどくと、血が溢れ出していく。
地面に倒れると、血は地面に染み込み、広がり、見事な血溜まりを作った。
胸が熱い。熱い、熱い熱い熱い熱い熱い熱熱熱熱熱熱熱。
尋常じゃない量の血が流れ、地面を赤く染め上げていく。善は鉄の味を噛み締め、尚も止まらぬ痛みに絶叫した。
思考が白く瞬き、意識が遠のく予感がして。死ぬ、と本能が告げている。
最後に、せめてもの抵抗として、犯人の顔に唾でもつけてやろうと振り返って――
ゴンッ。
それを許す犯人ではなかった。
ゴンッ。
頭を強い衝撃が襲い、何度も地面に叩きつけられる。
一発食らうたびに視界がぐるぐると回転して、胃の中身が逆流する。そのまま吐いてしまいたかったが、口から吹き出すのは鮮血だけだ。
ゴンッ。
体が寒い。体温が冷たくなっていくのを感じる。失血死するのか、それとも頭が潰されるのが先か。
それがわかる時は、きっと彼が死んだ瞬間だけだ。
わからない。わかりたくない。
その答えに恐怖して、その過程に絶望して、そのきっかけに後悔して。何もかも遅いと言うのに、善は悔やみ続けた。
そんなもの、犯人には知ったことではない。
ゴンッ。
ようやく、善は自分の頭が踏まれているのだと理解した。理解したところで、動かない体では抵抗のしようがないが。
自分の持っていた剣は一体何のためのものだったのか。自分で自分が嫌になるが、彼が自分を笑うことはない。
彼が彼を嘲笑う前に、次の衝撃がやってくる。
ゴンッ。
じんじんとあたまがふるえて、しかいまでまっくろにそまる。
しのけはいが、すぐそこまでせまってきていて。
しにたくないと、そういのった。そのいのりがとどくか、とどいたのか、それはさだかではない。ただ、このままふみにじられつづければ、ぜんはかくじつにしんでしまう。
それだけは、かいひしなければ――
ゴンッ。
ていこうするちからものこされていない。
ぜんにできることは、すぐにおとずれるであろうしのしゅんかんを、まちつづけることだけだ。
ふまれて、うたれて、うちつけられて。このくるしみは、いたみは、いつおわるのだろうか。
おわりがくることをのぞむとともに、そのおとずれにきょうふする。なんともむじゅんしたかんがえだが、これはきっとほんのうとりせいがせめぎあっているのだろう。
ゴンッ。
もはやなんどめかもわからない。
はやく、おわってしまえ。はやく、しんでしまえ。もう、らくになりたい。
はやく、はやく、はやくはやくはやくはやくはやくはやくはやくはやくはやくはやくはやくはやくはやくはやくはやくはやくはやくはやくはやくはやくはやくはやくはやくはやくはやくはやくはやくはやくはやくはやく――
ごん。
まちわびたおわりがおとずれる。
いたみもなくなって、ちょうかくもなくなって、ちがながれるかんかくすらもおきざりにして、いしきが、しこうが、なくなって――
――ごしゃり。
なにかがつぶれるおとが、ぁ。
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