2 異世界二日目

――夢を見た。


 住み慣れた国で、住み慣れた家で、着慣れた制服で、見慣れた光景で。

 当たり前の毎日を過ごす夢だ。

 何も変わらない。


 キョウヤ以外の友達はいないし、教室の隅で本を読む以外にやることはないし、誰かに話しかけられて劇的な出会いをすることもない。


 いつもどおり、くだらないことで笑って、くだらない話をして、くだらないことを考えて。きっと、いつもどおり暇なままベッドに入るのだろう。


 鮮明に覚えている。体に染み付いている。


 そんな日々が、何故かもう遠くなったような気がして――



 *********

 

 

 この世界に来て、初めての朝だ。


 見慣れぬ天井に目をぱちくりさせながら、重い体をだるそうに起こす。

 フーミアの家は案外広く、一人で住むには持て余していたようで、善にはそのうちの一部屋を貸してくれた。

 異性の家で泊まる、なんて状況であるにも関わらず、善はそれになんの感情も湧かなかった。


 昨日が怒涛の展開すぎて頭の処理が追いついていないのか、それとも善自身が異性云々の気持ちに疎いのか。

 前者はともかく、後者は善の人付き合いが少なすぎてないとも言い切れないのが怖いところ。


 ただ、生物としての本能を捨てた哀しきモンスターにはなりたくないと思う今日此の頃である。

 だからといって、衝動に身を任せて好き勝手するような人間にはなりたくないのだが――


 「すみませーん!善さん、起きてるなら少しお手伝いをお願いできますかー?」


 くだらない思考に耽っていた善を、外からフーミアの声が呼んでいた。


 外に出てみると、そこには麦わら帽子を被ったフーミアが野菜を収穫していた。

 サツマイモに似てるが、見た目は似ても似つかない。異世界特有の野菜らしく、この世界の常識など何も知らない善からすると中々シュールな絵面に仕上がっている。


「あ、善さん!おはようございます」

「おはようございます。僕は、その野菜の収穫を手伝えばいいんですか?」

「いえ、手袋が足りないので……収穫したイモをそこのかごに入れて倉庫まで運んでほしいんです。そこに、顔に傷がついた男性――ディエスさんがいるはずですので」


 フーミアが指さした場所には、地球でも農業の場でよく見た竹製らしき籠が置いてあった。

 農業なんてテレビぐらいでしか見たことないが、運ぶだけならば善にもできるだろう。


「わかりました!」


 と、善はすぐに了承の意を知らせるのだった。



 *********

 

 

 フーミアの家に限らず、この村の住人は大体が自分の畑を持っている。

 各々が好きな野菜を植えて、それを村中で分け合うのだそうだ。村単位の自給自足、と言えばいいだろうか。


 「野菜は外に生えてたりもするので、結構生活できるんですよ。近くの『城郭』に行けば、保存用の魔道具も買えますし」

「魔道具……というと、もしかして魔法が刻まれてたり?」

「魔法なんて使える人のほうが少ないですよ。私たちが使うのは魔術です」


 フーミアがイモを収穫し、善がそれを受け取って籠に入れる。

 その作業を行いながら、二人はそんなことを話していた。

 

 魔法と魔術、それらがあるということはファンタジー好きな善としては嬉しいところなのだが、素直に喜べないのが実状だ。

『変律体』の脅威が想像よりも大きそうなため、どうしても焼け石に水になっている感が否めない。

 そもそも壁に囲まれていない集落の存続が運頼りになる時点で、魔術などあっても対抗手段にならなさそうなのである。


「魔法と魔術の違いって何なんですか?」

「どちらも魔力を使って発動するという点は同じなんですけど、魔術はパターン化された術式を経由して使うのに対し、魔法は個人の魔力を変質させることで世界の法則に干渉する術法ですから、魔法のほうが希少価値は高いですね」


 何やらピンとこないが、恐らく魔術は誰でも使え、魔法は固有能力のようなもので特定の個人しか使用することができない、ということだろうか。

 浪漫があるのは結構だが、使える人間が限られるのであればこれも現実的な対抗手段にはなり得ないかもしれない。


「魔法って、大体どれくらいの人数の人が使えるんですかね?」

「さあ、私も魔法が使えるなんて人にはあったことがないのでわからないのですが……『魔力の変質』という高度な魔力制御を行えるのは戦闘職、それも相当上位の実力を持った人間でなければ不可能でしょう。この村の近くの『城郭』は大規模ですが、そこでも2,3人使えるかどうか……」


 つまり、上澄みの上澄み、それこそ一線級の実力者でないと魔法を習得できないようだ。


「……じゃあ、俺には無理かな」

 

 善は自分を評価しない。

 自分はなにかができるなどという勘違いはせず、ただ『可能』と『不可能』の二つに分類していた。

 可能ならば努力を惜しまず、不可能ならば諦める。そういう人生を送ってきたのだ。

 『不可能』に絶望するのは、もう飽きた。


 そのうえで、善は魔法の習得を『不可能』だと断定する。

 

 善は自分に期待しない。

 自分が自分に失望しないために、最初から自分は凡人だと思い続ける。

 一体何度、余計な期待を抱いて余計な絶望を繰り返したのか。


 だから、善は今日も自分自身を貶め続ける。


 「……善さん」

 「あ、はい!」

 

 「籠、もういっぱいになっちゃってます」



 *********

 


「おお!持ってきたか!」


 五分ほどかけて、倉庫に到着した善を出迎えたのは、まだ若そうな印象を受ける中年だった。

 その顔にはシワこそあるものの、顔の厳つさやガタイの良さは衰えを知らぬようだ。

 目付きが鋭く威圧感がある上に頬につけられた傷が彼の印象を更に悪くしているが、彼の纏う雰囲気には優しさが感じられる。


「あなたが、ディエスさんですか?イモ、持ってきまし――」

「善、だったか?俺はディエス!こんな顔だから、覚えやすいだろ?」

「……ええ、まあ……」


 案の定彼がディエスだったようだが、善は既に彼に対して苦手意識を持っていた。

 子供が見たら泣き出してしまいそうな顔もそうだし、アスリート顔負けの体つきもそうだし、何より――


「フーミアから聞いたぞ。旅人なんだってな!」

「ええ、まあ、はい……」

「こんな辺鄙なところによく来たよ!歓迎するから、土産話でも聞かせてくれ!」

「ははは……」


 彼のノリに善がついていけない。

 善は、幼い頃から陽気でテンションが高い人間が苦手だった。悪い気はしないのだが、一方的な好意がダイレクトに伝わってくるせいで、どう対応すればいいのかわからなくなるのだ。

 その人に悪気がないことくらい、わかっているのだが。


「土産話はまた今度するとして、倉庫にこれを入れたいいのですが……」

「おお!そうだな!」


 元気の良い返事をされ、善は少し暑苦しさを感じながら倉庫の中へ入った。

 

 埃っぽさも何もなく、衛生面に配慮しているのが見て取れる。中には、様々な種類の野菜と、予備だと思われる剣も幾つか備えてあった。

 やはりというべきかここも木造なのだが、他の建物と比べて違和感を感じる。

 何か、得体のしれない力で守られているような――


「なんか、ここだけ雰囲気?というか、違うような気がするんですけど……」

「するどいな。ここは結界で覆われていてな、この中のものは腐敗の進行が遅くなったり、細菌が繁殖しにくくなったりする。奥に、ランタンみたいな道具があるだろ?」


 言われるままに目を向けると、そこには確かにランタンのような形をした装飾品が多いてあった。ランタンと違うのは、光を発していないのと、本来電球があるべき場所に謎の水晶らしきものがはまっているくらいか。


「あれが結界の『核』でな、あの中の魔力結晶がなくなるまでは稼働し続ける。あれが無くなったら、『城郭』で買ってきたり、俺達が人力で魔力を流したりしてるんだよ」

「あの魔道具は『城郭』の中で……少し気になってたんですが、なんで皆さんは『城郭』に住まないんですか?そのほうが安全なのに」


 『城郭』の話が出たところで、善は疑問に思っていたことを言った。

 話を聞いたところ、『城郭』の存在はこの村にとって必要不可欠。保存用の魔道具に武器など、大抵の物資は揃っているはずだ。

 となると、安全面からも『城郭』に住んだほうが襲撃されるリスクも減るし、わざわざ資源を買いに行く手間も省ける。

 壁がない村に住むより、そちらのほうがはるかにメリットが大きいはずだが――


「金が無いんだよ。『城郭』の中は皆が挙って住もうとするような楽園だ。その分、地価とかが高すぎて俺達は住めねえんだよ。家もないのに壁の中でじっとしていても、殺されるか奴隷に落とされるか……どちらにしても、俺はゴメンだね」


 よく考えれば、壁に囲まれ限られた立地で、人を住まわそうとするとやはりそれ相応の値段が必要になることは自明の理だ。

 そんな中で金を持たない人間は、やはり淘汰されるのみ。

 資本主義の世知辛さは、ここでも対して変わらないようだった。


 ここだけは地球と似てなくていいのに、と思いながら善は籠を置いた。

 額に滲んだ汗を拭って、倉庫から出ようとした。すると、予備の剣が立てかけてある前で腕を組んでいたディエスと目があった。


「どうかしましたか?」

「いや、ここに置いてある剣、こんなに少なかったか……?一本足りない気がするんだが――」

「最初の本数を知らないので、わからないんですが……誰かが盗ったんですかね?」

「だとしても、この村の住人は全員自分の剣を持ってるしなあ。見張り番も、この倉庫に誰か来たなんて言ってなかったし……あんたは、フーミアの家で居候だろ?あんたが盗んだとしたら、フーミアが気づくだろうし――一体誰が……」


 ぶつぶつと独り言を言い出すディエスを尻目に、善は一層険しい目つきをするのだった。



 *********



 盗まれた剣の行方。

 憂慮すべきことがまた一つ増え、善はため息を付いた。

 倉庫を離れてから、ずっとその事を考え続けている。

 

「知らないほうがいいこともあるって言うけど、知らない恐怖ってのも面倒なもんだよなあ……」


 この世界が善にとって未知数の場所であるせいか、いつもよりずっと警戒心が研ぎ澄まされている気がする。

 この村に危険はないと言い切れないが、それでもフーミアやディエスを信じたいと思う気持ちもあった。

 彼女らを疑う気にはなれない。


 このまま何も起こりませんように、なんて信じたこともない神に祈ってみる。しかし、多分効果はない。

 今が安息の日々とは言えなくとも、命が脅かされたりするよりは遥かにマシだ。


 それこそ、日本で過ごしていた毎日が戻ってくればそれで――


「……ん?」


 そこまで思考が行き着こうとした瞬間、近くの茂みから物音がした。

 ――いや、物音ではない。


「鼻歌……?」


 どこか上機嫌に、鼻歌を歌っている人物がいる。

 お世辞にもうまいとは言えない、というか下手な鼻歌だ。即刻やめてほしい。

 『変律体』の脅威に支配されているこの世界で、茂みで一人下手な鼻歌を歌う。あまりにも怪しすぎて、逆に疑う気が失せてきてしまう。


しかし、確認しないわけにもいかないのだ。


「何かいいものは……これでいいか」


 なにか武器をとあたりを見回し、丁度真っすぐでそこそこ丈夫そうな木の枝を見つけ、手に取る。

 これが対抗手段になるわけがないと自覚はしているが、ないよりマシだと判断して善は枝を握りしめた。


 音を立てないよう足音を忍ばせ、じりじりと音の方向へ近づいていく。

 鼻歌がよりはっきり聞こえ、その不快な声音が不安と緊張を助長した。だが、ここで戻ればフーミアたちが危ないかも知れないのだ。


 そうならないためにも、善は木の枝を構えて、低木の隙間から覗き込んで――


「「――え?」」


 冴えない見た目をした青年と、目があった。

 猛々しく燃え上がるような赤い髪色とは裏腹に、タレ目がちな翡翠色の瞳。

 見ていて悲しくなるような容貌の青年が、木の枝を持ってなにかしていた。


「うわああああっ!?」

「あー……」


 その青年は善に気がつくが否や、事件性の有りそうな絶叫を上げ後ろに飛ぶと、背後の木へ思いっきり追突した。

 その様子に、善は何故か親近感を覚えてしまう。


「少なくとも『変律体』ではない……のか?」

「いってぇっ……っ、お、お前初対面から失礼すぎだろぉっ……人を、人をあんな化け物と一緒に……っぐう……」

「……驚かせてごめん、大丈夫?」


 あまりの情けなさに善は警戒心を解き、木の枝を放り捨てながらその青年に歩み寄った。

 善の差し出した手を痛みに震えながら取ると、その青年は少し潤んだ目で善を見て――


「……はッ!?」


 その目に、強い敵愾心を灯した。


「お前!昨日村に来たっていう旅人だな!」

「ええ、まあ……」


 何が起きてるかわからないまま、善はなんとなく腑抜けた返事をすると、


「ぶっ殺してやる!」

「……は?」


 涙の滲んだ目で、木の枝を突きつけてきた。

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