第一章 Torch ⑨

 その後はエレフェリアの希望で書店に寄ることになった。

「エルって本好きだよね」

道すがらアデオナが聞いてくる。石畳で舗装された道は、歩く度に靴裏に一定の衝撃を伝えていた。


「まあ、施設だとまともな娯楽は本しかなかったからね。本棚にある本を片っ端から読んでってたら、気づいたら好きになってた、のかも」

「そっかー。私はそういうの全然だから、すごいなーって思うよ」

「別にただの趣味だからすごいとかないんだけどね。でも、最近だと絵とかが入った読みやすい本も沢山出てるから、そういうのから始めてみてもいいかもしれないね。後はミステリーも良い作品を読み終えた時の多幸感がすごいから、ハマったら癖になるかも。後は雑誌とかでも……ってアデオナ?」


ふと横のアデオナを見ると、なんだか真剣な面持ちでエレフェリアの方をじっと見ていた。少しこそばゆい気持ちになる。ただよくよく目線を追ってみると、目線の先はエレフェリアに向いてはいなかった。エレフェリアを挟んだ先にあったのは小さな店。野菜と値札が並んでいることからおそらく八百屋だろう。あまり大きなお店ではないようで、店の奥には店主と思しき老婆とそれと談笑する客。他にもう一人、フードを被った客が手前にいる。エレフェリアにはよくある個人経営の商店にしか見えなかった。


「アデオナ、どうかした?」

「……あの子、今盗った、かも」

「え?」

「盗み。カゴから、レモンかな? 袖の中に隠したと思う」

 アデオナの目線の先にはフードをかぶった人間がいた。棚の方を向いているため顔立ちは分からないが、背丈はそんなに高くない。おそらく、エレフェリアよりは年下だろう。

「本当に?」

「多分。あ、また盗りそう。……ほら」

 今度はエレフェリアも目撃してしまった。値札を見るふりをしてそのままレモンを袖の中に。奥の店主はお喋りに夢中で気づいていなさそうだ。冷静に見ると、この季節にフードを目深に被っているのは確かに少し変ではあるが、人ごみの中で周りの人々も気づいていないようだった。


「あー、やっちゃったね……」

「捕まえないと!」

 そのまま駆けだそうとするアデオナを手振りで制する。

「いや、サンダルにワンピースじゃ追うの大変でしょ」

「……でも!」

「ああもう分かった。いいよ私が行くよ」


アデオナに代わってその盗人の所に近づく。接近を気取られないように、自然に慎重に。くだんの盗人は三つ目のレモンを袖に入れていた。そして、それで目的を達成したのか、足早にその場を去ろうとする。万に一つでもそこで思い直してくれていれば良かったのだが、現行犯が成立してしまった。


「ハロー、そこの君、ちょっといい?」

素早くエレフェリアが声をかけると一瞬全身がビクッとしたように震える。そして一瞬の後、脱兎のごとく走りだした。

「あ、待ちなさい!」

言葉を発した時には、エレフェリアももう走り出していた。訓練では対人の立ち振る舞いも最低限は経験している。それに人の往来がある場所では中々全速力で走るのは難しそうだ。盗人が人混みにまごつく。その数秒のロスがあれば十分だった。エレフェリアは走った勢いそのままに、肩から身体をぶち当てた。バランスを崩した盗人は、つんのめって派手に転ぶ。


「エル、もうちょっとマイルドな手段で止めてあげなよ……」

「獅子は兎を狩るのにも全力を尽くすらしいから、ね」

 後ろから遅れてアデオナもやってくる。盗人は転んだ衝撃でフードが取れて顔が露わになっていた。予想通り、かなり若い。盗人は十代前半くらいの線の細い少年だった。盗みがバレた悔しさからか、唇をふるわせてキッとこちらをにらんでいた。懐からは転んだ衝撃でレモンが散らばっている。そして、その瞳はくすんだ緑色をしていた。つまりモスの少年だった。びっくりしたような表情のアデオナと、どこか諦めたような顔でその様子を斜めに見るエレフェリア。


万引きするのはモスが多い。差別のための悪評のように聞こえるかもしれないが、実際統計的に見ても多いらしい。施設でも、万引きをして警察の世話になる子どもが数人いた覚えがある。欲しいものをねだれる親がいないのは確かにつらい。でもそれとこれとは話が別だ。どうあっても盗みは良くない。少年を物陰の方に連れて行った後、ため息をつきながら、ゴーグルを外す。


 こちらの眼を見た少年は嬉しそうに言葉を発した。

「あ、アンタ、スフェーンなんだ。良かった、お願い見逃して!」

「……ダメよ。盗んだものを返して謝ってきなさい」

 冷たいエレフェリアの返答にモスの少年が不満そうに口を尖らせる。

「なんで。仲間じゃん。……それに母さんにレモン買って来いって言われたんだよ」

 現行犯で捕まっておきながら、いい態度をしている。隙があればまた逃げ出そうとするかもしれない、と思った。それとなく襟元を掴んでおく。ちなみに少年の裾からこぼれたレモンはアデオナが回収していた。後で返品するかもしれないし、地面にずっと転がしておくのは良くない。こういうところは気が回る。アデオナの様子を横目に見つつ、エレフェリアはさらに少年に質問する。


「要はお使いってことでしょ、それ。じゃあ買うためのお金は?」

「……無くなった」

「何で無くなったの?」

「関係ないだろ、そんなこと! 先生ぶるなよな!」

 急にむきになって反論してくる。こういう反応をする人間は施設にもいた。疚しいことがあるときの態度だ。

「盗まれたの? それか落とした?」

「…………」 

 少年は答えない。となるとエレフェリアの経験から考えられるのは一つだった。

「はあ……。使い込んだのね?」

「違うってば! それに別に、いいじゃんレモンくらい! ブリアの連中は普段散々いい思いしてるんだから! それにスフェーンの待遇が悪いのも、俺たちのせいじゃなくて全部あの事故のせいじゃないか!」


「ミレニアム・レクイエム」によって採掘可能な魔導石鉱山が大幅に減少した結果、少ない採掘可能地域に大勢のモスが集まる状況が生み出されていた。それが元々低い生産性に拍車をかけ、貧困を招いているという声もある。それはエレフェリアも理解していた。確かに事故についてはカルマン魔導ホールディングスの責任も重い。ただ、それを言い訳に、自分が純粋な被害者であるかのような主張はシンプルに気に食わなかった。

「確かに事故を起こした点は糾弾されるべきかもしれない。だけど、カルマン魔導ホールディングスはその清算をするために今も戦っている。そもそもセルウスは私たちスフェーンの解放を目的としたものだし、スフェーンの地位を引き上げようと今一番頑張ってるのもカルマン魔導ホールディングス。ちゃんと歴史の勉強を、しなさい」

 エレフェリアの迫力に気圧されたのか、少年は口をつぐむ。畳みかけるようにエレフェリアは続ける。


「はい、じゃあ後の文句はお店の人に言いなさい。行くわよ」

 エレフェリアは少年の首根っこをつかみ、ズルズルと引きずって連れていこうとする。しこたま怒られるだろうが、それもある種の教育だろうと思っている。

 エレフェリアが毅然と少年を連れて行こうとしたところ、ちょいちょい、と左袖をつまむ手があった。アデオナの手だ。


(……エル、ちょっと)

「何、アデオナ?」

(このレモン、真ん中の辺りが凹んでる)

ひそひそと話しかけてきたアデオナからレモンを手渡される。検分してみると、確かに真ん中の辺りが不自然に凹んでいた。指でなぞるとよりはっきり分かる。

(たぶん転んだ時の衝撃で付いたんじゃないかな……?)

「…………」


 エレフェリアとアデオナの間に気まずい沈黙が流れる。少なくとも、もうこのレモンが売り物にはならないことは確かだった。商品を返せば許してもらえるものでもないにしても、この分だと、商品を買い取る必要があるだろう。エレフェリアは少し考えた後、

「……いや、関係ない。そもそも盗みをしたこいつが悪い」

 そう口に出した。誰が悪いのかと聞かれたら、それは商品を盗んだ少年が絶対に悪い。転ばせた結果、商品を傷つけ、返すという選択肢を奪ったのはエレフェリアだったかもしれないが、それも少年が逃げ出さなかったら起こらなかった出来事だ。

 漏れ聞こえている会話で大体の内容は察せられるのであろう、少年の表情が不安げなものへと変化する。そして隙を見つけて再び走り出そうとした。……が、当然、エレフェリアの手は少年の首元を放さない。逃走はあえなく失敗する。


 そんな様子を気の毒そうな目で見ていたアデオナが口を開く。

「……私、払うよ」

「何で」

 エレフェリアの声が固くなる。盗人を捕まえておいて、その埋め合わせを自分でするとはとんだ茶番だ。

 意味が分からないと眉間にしわを寄せるエレフェリアの顔を見て、アデオナは困ったような笑顔を浮かべている。


「なんだろ。その、このままにしておくのはちょっと気持ち悪いなー、って思って」

「そんな義理、一ミリもないと思うけど」

「まあそうなんだけど……ね? なんかその、放っておけない、って気持ち?」

「そもそも捕まえたいって言ったのはアデオナじゃん。こいつを許すなら最初から何もしない方が良かったんじゃない?」

「うーん……。そう、そうなんだけど! やっぱり怒られるのはかわいそうだよ。スフェーンの子ってこういう時、人一倍怒られるし。だから、同族のよしみっていうか、……その、そんな感じで~」

「……何? 私がスフェーンの気持ちを分かってないって言いたいの?」

「え? いや、そんなこと言ってないよ、全然!」

「私が、中途半端なスフェーンだから、間違ったことしてる、って言いたいの?」

「いやいやいや! そんなことないよ。エルは私たちの立派な仲間だし、今は厳しくした方がいいと思ってる。それが違うだけ、ってことだよね」

「そっか、分かった。じゃあ勝手にしたらいいよ。……本屋行ってる」


掴んでいた少年の襟を放す。目をぱちくりさせて慌てているアデオナを横目に、少し早足でその場を離れる。アデオナに悪意がないのは理解していた。だからこそ、今すぐこの場を去りたいと思った。少年の襟を握っていた右腕は、肩からピリピリとしびれていた。きっとずっと握っていたことだけが原因ではなかったと思った。去る時に、少年の表情は見ていない。見たらきっと今の自分がみじめに感じるような、そんな気がした。


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