第一章 Torch ⑦

 その夜、エレフェリアは夢を見た。正確に言うと夢を見たような気がした。脳がはっきり覚醒する前に、夢の内容が記憶から零れ落ちてしまったようで、はっきりとは内容を思い出せなかった。憶えているのは、何だか無性に悲しかったことだけであった。その記憶が、ちぎれた雲のように心に残っていた。しかしどういう話の流れだったのかは、まるで思い出せなかった。


 飛び起きると全身が汗でびしょぬれだった。最近は悪夢のせいで夜中起きることもなかったのだが、今日は色々あったからそのせいかもしれない。窓から外を見ると暗闇に星が見える。残された記憶から物語を復元する作業は、何だか星々から星座を作る作業みたいだと感じた。そんなことをとりとめもなく考えていたら、気づけば再び眠りに落ちていた。


 翌朝、目が覚めた時には、エレフェリアは昨晩の夢のことなんてすっかり忘れていた。今日は休日で、アデオナと買い物に行く。少なくともこの後の行動を決めるにはその情報だけで十分だった。


 アコードの街を訪れるのは二ヶ月ぶりだった。アコードには四階建ての大きな書店があり、昔からしばしばそこに通っていた。最終試験前後はバタバタしていて中々行けなかったが、せっかくだし今日時間があったら行こう、と思った。

 手早く朝食を済ませ、服を着替える。着ていく服は、白いシャツに淡いベージュのジャケットを羽織り、ジーンズにスニーカーという動きやすさ重視の格好にした。そして頭に帽子を被る。


 寮長に外出の旨を伝え、駅まで歩く。アデオナとの待ち合わせ場所は駅の降車口だ。アデオナは列車で来る予定だが、行き先的に乗り換え駅なのでちょうどいい。予定時刻より早く着いてしまったので、何の気なしに空を見上げる。東に浮かぶ太陽が眩しい。この季節にしては少し暑いくらいだが、それを差し引いても絶好のお出かけ日和だ。駅舎の壁に背中をもたれさせながらしばらく待っていたら、アデオナがぱたぱたと走りながら来た。

「……お待たせ、ごめん待たせた?」 

「ううん。大体時間通りだから大丈夫」


 アデオナは腰に大きなベルトを巻いたネイビーのワンピースに、花の装飾のついたサンダルという姿であった。こちらも頭には帽子を付けているが、エレフェリアのものより、ややふんわりした形状になっている。訓練生女子の休日の服装は主に二パターンに分かれる。慣れているから、という理由で動きやすい恰好を選択するタイプと、「せめて休日くらいは……」と思ってフェミニンな服を着るタイプだ。この場合エレフェリアが前者、アデオナが後者ということになる。そしてもう一つ特徴的なこととして、二人とも頭の帽子と一緒に、目を隠すゴーグルをつけていた。


 最近はファッション性の高いゴーグルがよく売られるようになってきた。ゴーグルを目に付ければ、自然に目元を隠すことができる。もっとも目的が目的なので、街中でゴーグルを付けている者は大方モスである。だが、それでも目元を隠すと周囲の視線を感じることが減った気がする。なので、効果はあるのだと思う。

「ごめん、服選んでたら遅くなっちゃった。気を付けるね」

「別に、気にしなくてもいいよ。ただのプライベートだし」

「ありがと、じゃあ行こう!」


 列車に乗ると、中には人がまばらにいるだけだった。これだけ人が少なければ、昨夜のような無用なトラブルに巻き込まれることはないだろう。空いている席の端の方に座る。板張りの長椅子の軋む音が二人分聞こえた。

「エルは行くところ決めてるの?」

 横に座ったアデオナが訊いてくる。

「えーと、とりあえず服、見に行きたいな。後、時間があったら本屋にも寄りたい。アデオナは?」

「私も服買いたい!」

「じゃあ、とりあえず最初は服屋とか行こっか」

「うん!」


 アコードに着いたエレフェリアたちは早速ブティックに寄った。安さとシンプルさを売りにしつつ、バリエーション豊かな商品を展開している店で、以前も何度か来たことのあるお店だった。今年のトレンドカラーは青系の色らしく、寒色を基調とした衣服が目立つ位置に並べられていた。


 エレフェリアは店内のカゴに無造作に積まれた中から、セット売りされているシャツや靴下を買う。こういう量産品が安価で買えるのは都市部の強み、らしい。物心ついた時からほとんど都市部で生活してきたので人づての情報だが、流通網の整備の度合いには地域差があるらしく、日用品が中々手に入らない地域もあるという。ベトーネン鉱山付近の状況はよく分からないが、備えあれば憂いなし、という気持ちで多めに買い込んだ。


 アデオナは色々試着してチュニックの色違いと小物を数個選んでいた。早めに買い物が終わったエレフェリアは、ベンチに座ってコロコロ変わるアデオナの服装を眺めていた。レジから帰ってきたアデオナを見て、そろそろ終わりかなと思ったら、今度は「これ、エルに多分似合うから着てみてよ!」と言って山ほどの服を持ってきた。そんなわけでしばらく着せ替え人形にされ、最終的にアデオナ的ベストチョイスの服、上下一式をお勧めされた。ちょっと迷ったが、これから遠方に行くのに、これ以上荷物を増やしたくなかった。なので、結局何も買わなかった。アデオナは口をヘの字にしながら、ちょっぴり悲しそうな目で、服を返すこちらを見ていた。

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