第一章 Torch

第一章 Torch ①

 動き出した列車の煙突から黒煙があがり、やがて白煙に変わる。

 ガタゴトと揺れる車内でエレフェリアは板張りの椅子に座り、向かいの窓から外を眺めていた。オレンジとピンクが混じり合った夕空に、ちぎれて漂う雲が浮かんでいる。


 列車内は中々混みあっていた。作業着姿の男性や、子どもの手を引く母親や、酒をあおっている老人やら。飾り気のない車内の雰囲気も相まって、そのまま下町の通りのようだった。かくいうエレフェリアはといえば、襟のついたシャツに薄手のジャケットを羽織り、下は七分丈のトラウザーといった服装だった。この中にいる者としては、少しかっちりした服装といえるだろうか。


 この列車にはもうかなりの回数乗っていた。寮と訓練場の間の移動のため、一年間毎日のように使っていたからだ。列車通勤と最初聞いた時は、少し予想外だった。訓練場併設の寮も本来候補だったのだが、そちらには女子寮の空きが無いとかで結局、訓練場から少し離れた社員寮があてがわれたのだった。住み始めるまでは繁華街に近いし、それもいいかなと思っていた。しかし、朝は早起きしないといけないし、列車の中はすごく混むし、煙で顔や服が煤けるしで、いいことは全然なかった。ただ、帰りにこうして周りの景色を眺める時間だけは加点していいのかもしれない。それが一年の訓練期間を終えての感想だった。


 あの後。発表された試験結果はやはり合格だった。予想通りといえば予想通り。ただ、意外なほどに喜びや嬉しさも大して感じなかった。何というか、喩えるなら信号機にかからず目的地まで行けたくらいの感慨だった。まあ、そんなものなのかもしれない。実際、直ちに何かが変わったわけではなかった。最終試験後も、しばらくは同じような訓練が続いていたし、生活面の変化はない。せいぜい真新しい制服が支給されたくらいである。だから何も思わないのも無理ないのかもしれなかった。


 車輪とレールが擦れる甲高い音とともに列車が止まり、ドアが開く。そして待ちわびたように、ホームから一気に人が入ってくる。この駅は乗ってくる人が多い。人の流れに合わせて入ってきた煤交じりの空気に思わずせき込む。大規模な鉱山の多くが、セルウスによって閉鎖、ないしは大幅な縮小を余儀なくされている中、魔導石は深刻な供給不足に陥っている。故に、未だに大型機械には石炭を動力としたものも多い。この列車もその一つだった。


 人の出入りを受けて、前の車両からもぽつぽつ人が流れてくる。それを見たエレフェリアは何も言わずおもむろに立ち上がり、閉まっている側のドアのそばに移動した。外の景色がより近くから目に入る。この辺りは山がちな地形で、駅舎の奥には山林が広がっている。大小さまざまな木々が、夕日を浴びてオレンジ色に照らされていた。この辺りは荒らされることが少なかったのだろう。山間がきれいなまま残っている。


 エレフェリアに幼い頃の記憶はあまりない。かろうじて家の周りの景色と、わずかな家族の記憶があるくらいだ。その微かな記憶の中で、エレフェリアの家は、確か山を切り開いて作った小高い丘の上にあったはずだ。だからか分からないが、山は嫌いでなかった。世間には山に忌避感のある人も多いけれども、少なくともエレフェリアはそういうタイプの人間ではなかった。


「…………?」

 ふと車中に意識を戻すと、エレフェリアの近くが騒がしくなっていた。どうやら斜め向かいの座席付近で口論が始まっていたらしい。先ほど酒を呷っていた老人が大声でまくし立てられている。声を荒げているのは、先ほど前から流れてきた男のようだ。グレーの瞳が細まり、老人を睨みつけている。

「だ、か、ら! 車内で酒飲んでんじゃねえよクソジジイが!」

「……若造が。そんなルール、ワシは知らんぞ」

「知らなくても決まってんの! 邪魔だから席譲れ!」


 左眼に深くかかった髪の毛を指で梳きながら、エレフェリアは思わずため息をつく。列車の中でモスが座席を譲らないといけない規則は、一応少し前に廃止されたはずだ。しかし、こうして前の二等車からブリアが流れてきて席を要求するあたり、人々の意識のレベルではまだ根付ききっていないようである。ちなみにブリアというのはモス以外の階級の総称である。改善されつつあるとはいえ、私たちモスの社会的な地位は低かった。


 なおも動こうとしない老人に苛立った様子の男性は、吐き捨てるように叫ぶ。

「モスのやつはバカばっかだな! 眼だけじゃなくて頭の中まで腐ってんのか?」

 その発言に、辺りがにわかにざわつき出す。社会全体で見ればモスは少数派だが、今この三等車に乗っている人間はモスの方が多い。故に、微妙なところだ。周りも蛮声を飛ばし始めた。端的に言って、一触即発の雰囲気だ。

 

 どうしようか。警備の人間って勤務外でもそういうの止めたほうがいいんだろうか。でも、まだ正式配属じゃないし、第一、席を譲るのはもう義務じゃないんだけど。

 

 エレフェリアは渋い表情でしばらく当事者の二人を交互に見遣り、少し考え、結局面倒になって再度窓の外の景色に視線をスーッと移した。触らぬ神に祟りなし。そういう言葉があると聞いたことがある気がする。

 山間に生えている針葉樹は大分緑が強まってきた気がする。今年の春は暖かくなりそうだ。


 そんな感じで現実逃避を始めようとしたところ、丸っこい声が大きく響いた。

「はい、そこまで! お二人の言い分、よ~く分かりました。ここはひとつ公平に、じゃんけんで決めましょう!」

 この声は聞き覚えがあった。渋い顔のまま目線を移すと、やはり知っている顔だった。ウェーブのかかったミディアムヘアを後ろでまとめた髪に、丸く膨らんだ瞳。同世代よりやや低い身長からも、どこか子どもっぽい印象を受ける。彼女の名はアデオナ・ティワー。一年間訓練をともにし、来期より同じく正式配属される予定の人間、つまり同期だ。


 毒気を抜かれた口論の当事者二人は、仲良くぽかんと口を開けてアデオナの方を見つめる。自分が見られていることに気づいたアデオナは、しばし顔にハテナを浮かべた後、

「あ、私、カルマン社の警備の者です」

 背中に背負ったリュックからいそいそと制帽を取り出して被るアデオナ。……たぶんそこじゃないと思う。

「あれ? よく見たらそこにいるのエルじゃん。元気~?」

「……このタイミングで見つけないで」

 アデオナ・ティワー。彼女はこういう人間だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る