14.指輪探し②

 バイトーゼのどこか。等間隔に設置された灯りの光すらも吸い込んでしまいそうな闇が通路を埋め尽くしている。


 男はその通路をゆっくりと歩いている。衣服は藍色の高級スーツで、腕にはその裕福さを示すような高級腕時計を着用している。


 男の視界の先には、屈強な大男が脇に立っている黒檀のドアがあった。控えていた大男はスーツの男を見るや否や、その巨体に見合わぬ繊細な動作でドアを開いた。


 ドアの先には、黒い革張りのソファーとテーブルだけがある部屋があった。スーツの男の正面には、赤色のコートに身を包み、金製のチェーンを飾緒しょくしょのように飾り付けた男がテーブルに足をかけていた。


 スーツの男は灰色がかった前髪を軽くなで、部屋に入る。


「何の用だ」

「よお。さすが官憲サマは来るのが早いな。うちの役立たず共よりも立派だ」


 金髪に染めた髪をかきあげ、コートの男はスーツの男に座るよう促した。


「何の説明も無しにただ〝来い〟などと……急ぎの用か」

「麗しい同盟関係に傷がつきそうな事態は避けるのが当たり前だろ?」

「……傷がつきそうな事態なのか?」


 薄ら笑いを浮かべるコートの男は無造作に数枚の写真をテーブルに投げた。スーツの男はそれを丁寧に手に取る。


 写真には、銀髪の少年とプラチナブロンドの少女が映っていた。周囲の人間と比べると身なりが良く、明らかに浮いている。まるでモノクロの世界で、二人だけが輝きを放っているように。


「この二人がどうした?」

「俺のコレクションについて嗅ぎ回ってるって情報が来たんだ」

「……」


 スーツの男は手の中で写真を繰り、最後の一枚で指を止めた。


 少年と少女が、それぞれ透明に近い灰色の瞳と水色の瞳でこちらを覗いている。男の胸が一瞬高鳴ったが、動揺を表に出す事は無かった。


「何をしてほしい?」

「二人を追い出してくれ。金は払う」


 スーツの男が顔をしかめる。


「追い出す?」

「あんたらなら簡単だろ? 不法滞在とかで危険な外に放り出せる」

「そうだが……」


 顎に手を当て、スーツの男は思案するような表情を浮かべた。


「明らかに普通の観光客ではない。こちらで調べる必要がある」


 スーツの男としては当然の発言をしたつもりだったが、コートの男はあからさまに不満を露にした。


「おいおい、待てよ。いつもスマートな仕事を期待してたのに、何で怖じ気づく?」

「この二人は……いや、少年の方は確か……」


 記憶を必死に探り出そうとして、スーツの男は部屋に充満する香水の匂いに気がついた。赤いコートの男が付けているものだと気付き、眉をしかめそうになる。


「どっかのお坊ちゃんか? どうでも良いけどよ。俺の物に手を出すヤツは許さねえ。そっちが役に立たねえってんならこっちで解決してやる」

「早まるな。我々に任せろ。これは慎重に──」

「慎重なんてのは臆病者の言い訳だぜ。親父は裏社会に真っ向から喧嘩を売って頂点にのし上がったんだ。ネズミみたいにコソコソやれるかよ」

「……」


 完全に他人を見下している笑みを浮かべ。コートの男はテーブルに載せた足の踵でガラスの表面をコツコツ叩く。


「わざわざ呼んですまねえが、帰んな。気が変わったら連絡してくれ。期限は明日の朝九時までな」


 部屋を出たスーツの男は、ネクタイを締め直し、ため息をつく。これならまだ話を聞いてくれる先代の方が楽だった。


(あの二人は……軽率な行動はマズイ。よく調べなければ)


 そう考えつつ、スーツの男は背後の部屋でふんぞり返っているであろう人物への悪態をつく。


「バカ息子が」


 *


 ガラス製テーブルの上に自身の魔導銃エーデル・シュトラールを置いたハインリッヒは、その状態を点検していた。


「……どこも損傷してないか。なんて頑丈さだ」


 ハインリッヒはエーデル・シュトラールの耐久性に舌を巻く。普通の魔導銃なら使用の度に分解整備が必要だが、さすがに特別製だけの事はあった。エーデル・シュトラールは戦い下手なハインリッヒの無理やりな運用にも耐え抜き、白銀の輝きを誇示している。


 戦闘時は魔力を溜め、適宜魔術を発射するレール内も新品のようだ。実際は二十発以上の魔弾を撃ったというのに。帝国軍の官給品だったらどこかに異常が出てもおかしくは無い。


 とはいえ、そもそも魔導銃は強力な魔術師や危険な魔物相手に使う代物なので、ハインリッヒがかなり贅沢な使い方をしているというのが事実だ。普通はグール相手に魔導銃など引っ張り出さない。


 ハインリッヒはエーデル・シュトラールを受け取った時の事を思い出した。数年前、マギアルド・ライズ社の経営陣が揃ってクルツバッハ侯爵領に来ると言うので、叔父のエーリッヒと共に出迎えると、彼らは白銀に輝く魔導銃を提示しこう言ったのだ。


「世界でも最高水準の技術力を持つ我が社でも選りすぐりの技術者たちが作った最高傑作です。お納めください」


 マギアルド・ライズ社は東方での動乱が発生するまで大陸全土でシェアを誇っていた大企業である。動乱以降は凋落の陰りが見えていたのだが、それでも培ってきた技術力は本物だった。


 経営陣は最初からハインリッヒに渡すつもりで来ていた。「男の子だから」という理由からか、エーデル・シュトラールは妙にメカニカルなエングレーブによって装飾されていた。


 研究者としての人生を歩むつもりのハインリッヒだが、それでも根は男子である。それを見た銀髪の少年は大喜びでそれを受け取ったのだ。


「……今まで倉庫に放っておいて済まなかったな」


 ハインリッヒはテーブルの上に載せた愛銃を眺め呟く。受け取った後、しばらくエーデル・シュトラールで遊んでいたハインリッヒは、すぐに飽きて屋敷の倉庫にしまいこんでしまったのだ。マギアルド・ライズ社の経営陣が聞いたら涙目になるだろうが、数年経ってようやく本来の性能を発揮するべく引っ張り出された事になる。


 レールに被っていた埃を拭き取った時、ハインリッヒはこの銃が全く力を失っていない事を一瞬にして悟った。受け取ってから少なくとも二年は経っているはずだが、その威力の凄まじさは昨日目の当たりに出来た。


「これなら俺でもなんとか戦えそうだ」


 満足げに呟いたハインリッヒは、そのままの流れでリビングの横にある洗面室に視線を向けた。


 *


 洗面室ではセラフィーナが身支度を整えていた。天使のような甘い鼻歌と共に、ブラシを使って前髪部分に縦ロールを形作っている。 


「よし」


 ようやく納得したセラフィーナは、脇に置いた宝石箱から今日身につけるアクセサリーを選び始めた。どれも平民の娘では一生手に入らないような値打ち物で、その半数がハインリッヒにせがんで買ってもらった物である。


 一つ一つが宝のように貴重なジュエリーをご機嫌で選んでいたセラフィーナは、とあるカチューシャに目を留めた。


 小さくカットされたエメラルドがはめ込まれたそれは、カチューシャというよりはティアラ、あるいはサークレットと呼ぶ方が正しいかもしれない。確かアンティーク・ジュエリーの一つだったか。伯爵令嬢は婚約者の説明を思い返す。


『飛び道具を弾くシールドを展開する魔術がかけられてる。戦闘用には役立つかもな』


 そんな事を言っていた気がする。セラフィーナは試しに銀色に輝くカチューシャを手に取り着けてみた。


 シールドが身体を覆うように展開されたのをセラフィーナは感じ取った。見た目だけでは何も変わらないが、正統な魔術師であるセラフィーナにはある種の魔力の流れが分かる。これは良い。


「なかなか良いじゃない」


 セラフィーナは縦ロールにした前髪を軽くなびかせた。プラチナブロンドの糸のような髪がふわりと揺れる。


 サークレットもその存在感を発揮しつつ、過度な主張にはなっていない。〝ちょっと派手なカチューシャ〟の範疇に収まっている。この程度なら注目は引かないだろう。


 当然セラフィーナもその事は理解していた。だが、クルツバッハ侯爵家に降嫁する身としてはこの身なりはふさわしいだろう。何しろ侯爵家は小国に匹敵する力を持つと言われているのだ。当主の妻は妃のようなものだろう。


「ふふん」


 セラフィーナは上機嫌で鼻を鳴らした。自己評価の高い彼女は、どこぞの姫君のような自分の美しさに満足感を覚えた。


「彼の横に立つ妻として、ね」


 鏡に映る自分に向かってセラフィーナは呟いた。


 *


 ナッツをつまんでいたハインリッヒは、ようやく洗面室から出てきたセラフィーナを見て違和感を覚えた。


「似合うでしょ?」


 セラフィーナは、〝緑樹のサークレット〟を身に付けていた。着用者の身を守る魔力シールドを展開するアーティファクトである。自分の容姿に自信のある少女らしく、セラフィーナはハインリッヒにウインクしてアピールした。


「似合うのは認めるが……別に戦いに行くわけじゃないんだぞ」

「あなたはちょっと油断し過ぎよ。昨日の尾行で分からなかった? 向こうは動き出してるの。対抗手段は多すぎるって事はないでしょ?」

「それはそうだが、俺たちはアーティファクトを見つけて回収するのが目的なんだ。ここの連中とやり合うのが狙いじゃない。仮に相対する事になっても、最初は交渉を持ちかけるからな」

「相手に交渉する気が無かったらどうするの?」

「ただ交渉するんじゃない。それなりの金銭は用意してる。それでもダメな時はお前に任せる。対話に応じない野蛮人として処理してしまえ」


 ハインリッヒの最後の発言で、セラフィーナは婚約者が平和主義を信奉している訳では無いことを理解した。話し合いに応じて取引してくれるならば良し。そうでなければ徹底的に叩く。何かあっても「こっちは話し合おうとしたが、向こうが応じなかった」という言い訳を得る事が出来る。彼はそう言っているのだ。


 しっかりと安全策を取り、最悪の事態にも備えている。セラフィーナはハインリッヒの用意周到さに感心すると共に満足感を覚えた。自分の婚約者がバカではない事を知れたからだ。


「そう。なら良いわ。けど個人的には相手が対話に応じない野蛮人であってほしいわね」

「そんなに血が見たいか」

「コレの性能を確かめたいの」


 ネックレスに変化しているレーテをセラフィーナは誇示する。


 グールとの戦いでセラフィーナはレーテを剣に変化させた。切れ味の凄まじさに使った本人は感嘆したが、それはそれとして別の武器に形態を変えて試したいと思っていた。


「人間相手には過剰戦力かもしれない。だが、殺人が好きではないと言うなら勝手にしろ」

「ありがと」


 本当は敵を切り裂く時の感触に快感に近いモノを感じる時があるが、それをわざわざ言う事はないだろう。セラフィーナは髪をなびかせて沈黙を誤魔化す。


「それで今日の方針は?」

「昨日の時点で目ぼしい宝飾店や質屋を当たってしまったからな。情報屋に当たりたいが、ツテが無いしな……」

「クルツバッハから金を貰ってる連中がいるんじゃないの?」

「俺たちは魔王の意思で動いてる。下手に接触すると要らぬトラブルを招く可能性があるから頼れない」

「魔王の意思って……私たちは別にカルティストじゃないんだけど」


 驚くべき事だが、世界に混乱をもたらす存在である魔王への信仰は違法ではない。司るモノによってはただ害を振り撒くだけの存在ではないと考える者もそれなりにいるからだ。


 とはいえ、基本的に魔王を信奉する事は邪教信仰と同義と見なされる。なので、大抵の場合魔王信奉者たちは人口密集地から遠く離れた場所にコミュニティを築いたり、御神体となる物品を保管しそれを密かに拝んだりする。そういった魔王を信仰する人々を総じて〝カルティスト〟と呼ぶ。


 過去にはカルティスト狩りの為に様々な権力者が虐殺を行ったが、強大な力に対する畏怖はいつの時代にも存在し、信仰が消え失せる事は無かった。


 現代になるとカルティストの定義は広がり曖昧になり、悪口の一種として安易に使われるようになった。もはや本来の定義を知っている者の方が少数派である。


 ハインリッヒはそんな風潮を疎んじていたが、知識が無い人々にそれを言っても詮無い事だと達観していた。が、セラフィーナに余計な悪評が付くのは避けねばならない。


「俺たちは確かにカルティストじゃないって自覚がある。だが他の者はどうなんだ? 自分以外の連中が、自分と同レベルの頭をしていると君は信じているのか?」

「ああ、そう。……言いたい事は分かった。二人だけの秘密にしようって事ね」


 ハインリッヒは頷く。


「けど、それならどうやって指輪を見つけるのよ。この都市じゃ私たちの権威は使えないし、余裕なのは武力だけよ?」

「新鮮な気分だな……。使用人を使わず自分の足で探さねばならないなんて」

「なに愉しそうにしてるの。特殊課外授業の期間中に見つけないとダメでしょう」


 そう、二人は今特殊課外授業を利用してバイトーゼに来ている。申請する事で得られる延長期間を含めると、残った時間はあと一週間と三日ほど。この間に件のアーティファクトを発見し、回収せねばならない。


「分かってるよ。けど見聞が広がって良いな。君は都市の活気を見て何も思わないのか?」

「個人的には裏に潜む暗闇の方が気になるわ。昨日の尾行で分かったでしょ。正体はともかく、敵はやる気よ」

「カメラで撮られてしまったしな。写真を隠滅せねば後で面倒な事になる」

「ねえ、もしも向こうが積極的に手を出してきたら迎撃して良いわよね?」

「好戦的だな。別に良いけど、皆殺しはダメだぞ」

「情報を得る為にね。そこは考えてるから」

「本当にそうだと良いんだが……」


 縦ロールにした前髪を優雅になびかせるセラフィーナはハインリッヒは胡散臭そうに見ていた。

 



 


 


 




 


 



 

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