13.指輪探し①

 特殊課外授業の名目でバイトーゼにやって来たハインリッヒとセラフィーナだったが、二日目にして授業を放り出した。アーティファクトの指輪を探す為に。


「どうやって見つけるつもり?」

「まあ最初は専門家に当たるのが常套だろう。都市にある宝飾店と質屋を示した地図が届いたから、手当たり次第に訪ねよう」

「いつの間にそんな物を」

「この都市には帝国情報局の人間が潜んでるんだが、何人かはクルツバッハ家と仕事した事があるんだ」

「闇が深そうね」

「それはもう。で、今回も協力をお願いしたという訳。ちゃんと代金を払ってね」

「情報局も幸いね。上客がいて」


 セラフィーナの口調には皮肉という微毒が含まれていた。


 学生身分である事を知られると面倒なので、二人は持ってきた私服で街に繰り出していた。


 バイトーゼは帝国と違い貴族に疎いので、ハインリッヒやセラフィーナのような名門が素顔を晒していても全く感知されないという利点があった。容姿端麗な男女が歩いているという物珍しさを感じる者はいても、その正体まで探ろうとする輩はいない。


 ハインリッヒとセラフィーナは道を行く人の多さに少し圧倒されつつも、中心街の雑踏を進んだ。


 最初の宝飾店はハズレだった。


「こんなに精巧な装飾が彫られているなら、名うての職人が作った物でしょうが、知りませんね」


 店主は拡大プリントされた指輪の写真を見て首をかしげる。彼が見ているのはハインリッヒがシェイプシフターに投影させた幻影を写真に撮った物だが、それでも本物と見紛う程の現実感があった。


「宝飾品を作る職人はいるのか? ……あ、いるんですか?」

「いるにはいますが、バイトーゼの宝飾品は帝国や東方諸国から輸入した物が多いんです。工房も数える程しかないでしょうな」

「ありがとうございます」

「ねえ! これ良いと思わない?」


 ハインリッヒに聞き込みを任せきっていたセラフィーナは、翡翠のブローチを手に取ってパートナーの気を引いた。


「見るだけだって言っただろ」

「今度ある領地でのパーティーで身に付けたいの。良いでしょ?」

「それは本当にあるのか?」

「本当も何も、私とあなたの婚約を正式に発表するパーティーだもの」

「……そういう事か」

「ね? 良いでしょ? あなた」


 ハインリッヒはまた道草を食っている気分に囚われた。やっとアーティファクトを探し始めたのにこれだ。いちいち邪魔が入る!


「……いくらですか」

帝国通貨ライヒスですと、30万です」

「金貨払いで」


 店主は一瞬目を細め、深々と頭を下げた。


「浪費家が。妻に迎えたら節制を心がけてもらうからな」

「分かってないわね。これは必要な消費なの。平民よりも洗練された豪奢な生活をする事で、臣民の貴種であると示せるのよ」

「よくもペラペラと。もうちょっと口数の少ない唇なら好きなんだが」

「確かに私の可憐な唇を塞ぐ権利はあげたけど、心までは完全に差し出してないんだからね」

「俺の代でクルツバッハ家の財産がごっそり減ったら、先祖に失望されるな」


 二人はその後も宝飾店や質屋を転々とし、指輪に心当たりがないか訊ね回った。


 何もこれで当たりが来ると期待していた訳ではない。しかし人を使う側の二人にとって、自分の足で何かを求めるというのはあまり体験した事がなく、想定よりも苦労を共にした。


「以外と大変なのね。聞き込みって」


 昼食の為に立ちよったレストランのテラス席で、セラフィーナは食後のアイスティーを一口すすった。


 バイトーゼの中心街は富裕層の居住地でもあるので、一般のレストランでも想定客層に見合った値段で料理が提供されている。ハインリッヒとセラフィーナが貴族でなかったら、キッチンカーか中心街を離れた場所で昼食を取る羽目になっただろう。


「予想はしていたさ。魔王が所望する指輪なんかがこんなマトモな場所にある訳無い」

「もしかして……午後は中心街を離れるの?」

「別に排他的な文化は無い。余所者を嫌う風潮はあるだろうが……中心街から離れたエリアを当たるぞ」

「分かったわ。武器の用意をしないとね」


 セラフィーナはネックレスをハインリッヒに見せつけた。


「いや、何も戦争しに行くんじゃないんだが……」

「でも自衛が必要な時が来るかもしれないでしょ?」


 帝国外務省の下部組織、帝国観光局が発行している観光ガイドの中にはバイトーゼの項目が存在する。そこには、〝中心街以外は危険なので、無闇に近づいてはならない〟とハッキリ記されている。犯罪組織や武装難民が抗争を繰り広げているからだ。


 バイトーゼは商業都市だが、貧富の差は帝国よりも激しい。さらに帝国は第一王朝崩壊直後に頻発した〝愚民による動乱〟から学び、貧困層でも最低限の教育が受けられるよう制度が整えられているが、バイトーゼにはそれがない。


 全てが金銭で解決すると言えば聞こえは良いが、逆に言えば金銭の無い人間は野垂れ死にするという事だ。


「都市の周囲にグールが湧くのも死んだ貧困層の住民を埋葬する事を嫌がる行政局が適当に捨て去ってるからだ。無責任な連中だよ」

「面白いくらいに瘴気が立ち込めているものね、この都市の周りは。バイトーゼ人は魔術に疎いのかしら」

「知ってるさ。死体がグールになるなんて事は。だけど目の前に現れるまでは他人事という訳だな」

「全く最高ね。で、私たちは今からそんな陰気な場所に行かなきゃならないって事?」

「バイトーゼは人ならざる者が潜む地だ。そんなのが身をやつす場所なんて、スラム街や売春窟くらいだろ」

「トラブルの予感がするわ」

「変な事をしなければ大丈夫さ」


 *


 中心街を離れた途端、煌びやかな空気や明るい雰囲気が一気に鳴りを潜める。ハインリッヒとセラフィーナは人々の視線が別の何かに変わった事に気がついた。


 街通りの見た目はほとんど差異が無い。中心街と比べると清潔感に欠けるが、それでも特段貧しいようには見えない。道を行く人から悪意は感じない。


 二人は歩いているうち、人々の視線に含まれているモノが何かに気づいた。隔意。自分たちと違う存在に対する警戒心だ。


 それに気づいた途端、ハインリッヒとセラフィーナは居心地の悪さを覚え始めた。ジロジロと見られる感覚が矢のように飛んでくる。表向きは平気な顔をしていたが、内心では不安という感情がじわじわと蝕んでいた。


 中心街のそれとは趣の違う店構えの質屋に入った二人は、黒縁のメガネをかけた小太りの店主に出迎えられた。


「いらっしゃい」


 それさえ言えば後は何でも良いと言わんばかりの態度で店主はパイプ椅子に背中を預けた。疲労した金属がキイと軋む音を立てた。


 完全に非協力的な態度である事は明らかだが、それで諦めるハインリッヒではない。写真を取り出し、カウンターの横を向いて新聞の宝くじ欄を凝視している店主に差し出した。


「……?」

「この指輪に心当たりはないでしょうか」


 あえて剃っていないのか、ごま塩のような髭をさすりながら、店主は目を細めた。眼鏡の度数が合っていないのかとハインリッヒは不安になったが、すぐに口を開いたので指輪は見えていたようだ。


「知らんな。冷やかしなら帰れ」


 これ以上話す事は無い。そんな雰囲気を感じたハインリッヒは、軽く会釈してその場を去る。棚に飾られていた皿を眺めていたセラフィーナの肩に手を添え、少年は質屋を出ていった。


「あそこまで冷たくあしらわれたのは初めてだな」

「良い社会勉強じゃない。市井の空気をちゃんと吸わないとね」

「あまり吸いたくないが……次に行こう」


 その後も二人は聞き込みを続けたが、収穫は何も無かった。そもそも犯罪率の高い地域に貴重品を置くような店が繁盛するはずもないので、寄るべき店自体が少ないというのが実情だった。


 行政局から認可された店全てを回った頃には、すっかり空が夕焼けに染まっていた。


「どうするの? もう行く場所が無いわよ」


 両腕を天に伸ばし、セラフィーナはあくびをした。街を歩き、様々な物を見るのは楽しかったが、空気を掴むような情報収集活動の方はそうでも無い。精神的な疲労がプラチナブロンドの少女から士気を奪っていく。


 キッチンカーから買ったサイダーを飲みながら、セラフィーナは壁に寄りかかっている婚約者を見つめた。


「今まで当たったのは全部合法的な店だ。特に期待はしていない」

「まさか非合法の世界に首を突っ込むの?」

「中心街以外の地域は犯罪と隣り合わせだ。貧困にあえいでるとか、富裕層から搾取されてるって言われるとかわいそうに思えるが、ここら辺の住民はみんな何かしら悪どい事に手を染めているのさ」

「私たちは完全な部外者ね」

「そうだな。だがそれで止める訳にはいかん。日を改めて今度はもっと治安の悪い場所に行くぞ」

「楽しみね。本当に」


 縦ロールにした髪を軽くなびかせてセラフィーナは言った。皮肉である事は明白である。


 *


 夜のバイトーゼは人工的な美によって彩られていた。幻影魔術を利用した立体の広告映像が星々の輝きすらも薄れさせる光を放っている。


 歓楽街へと赴く人の流れに逆らって、ハインリッヒとセラフィーナは歩いていた。天まで届きそうに高い中心街のビル群が、白色灯の光で自らを照らしている。


「この都市は凄いわね。夜なのに昼間みたいだわ」

「帝都もそれなりのビル街だが、バイトーゼはただでさえ人口密度が高いからな。一ヶ所に多くの人や建物が集中するんだ」

「周囲を壁で囲った弊害という訳ね? 外に広がる事が出来ない」

「そうだ。魔物の襲来に手を焼いた初期の行政官たちは、都市を強固な壁で囲って安全を確保したが、ここまでバイトーゼが巨大になるとは予想してなかったんだろう」


 バイトーゼが中立都市としての地位を築いた時、人口は30万を数えるほどだった。それが帝国と東方諸国から住民を募り続けた結果、200万という大所帯になってしまっている。


 行政局の統治能力は既に飽和状態にあり、種々の問題は後回しにされ、職員は給料の為に日々のルーチンワークだけを処理している。警察には汚職が蔓延し、犯罪組織が各地で勢力争いを繰り広げる始末。


 そんな場所に身一つで赴く事自体がある種の狂気を孕んでいるのだが、ハインリッヒとセラフィーナはそれに気がついていない。むしろ、初めて見る光景や感じた事の無い違和感、疎外感を楽しんでいる。


 だからこそ、自分たちを尾行する何者かの存在を察した時、二人の心中にあったのは危機感ではなく快感であった。


「誰かついてきてるわね」

「早速か。この街の人間か、はたまた俺たちと同じ余所者か」


 前者も後者も、ハインリッヒとセラフィーナが指輪探しをしている事を快く思っていないからこそ追っ手をやっているのだと理解出来る。問題はどこからその情報を仕入れたかだが、今のところは気にする部分ではない。


 むしろ今は追っ手を撒く事が重要だった。二人はいきなり追っ手に危害を加える愚を犯すつもりは無かった。相手の正体が全く不明な場合、思い切って接触を図るのも一手ではあるのだが、リスクの大きさに比してリターンが不明瞭なのがネックとなる。


 試しに襲ってみたけど、特に収穫はありませんでした。そんな事態では笑えもしない。ハインリッヒとセラフィーナは手を繋ぎ、歩調を速めて人混みを進んだ。


 中心街にたどり着くと、追っ手の気配が消えた。


「今日は本気じゃ無かったって事かしら」

「警告かも。今のうちに都市を出ろっていう」

「可能性はあるわね。で、どうするの?」

「出ていくつもりは無い。あちらにも事情はあるんだろうが、こっちの依頼主は他ならぬ魔王なんだ。是が非でも遂行しなければ何をされるか分からん」

「そうね。けどこれで分かった事が一つあるわ。アーティファクトはここにあるって事。ようやく確信できた」

「待て。今まで半信半疑だったのか?」

「半信半疑っていうか、ほとんど観光気分だったけど?」

「少しは信用してほしいな……。とはいえ、君の言った事は正しい。多分、今日行った店のどこかが良からぬコネクションと繋がってるんだろう。律儀に通報してくれたおかげで、こちらも情報を得られた」


 バイトーゼの犯罪組織は、幅を利かせている地域に存在する店に対し、〝寄付金〟を要求しているという。いわゆるみかじめ料で、店側はそれを払う事で営業場所を確保し、あわよくば強盗などの危険因子から守ってもらえるという訳だ。


「ここのギャングには人狼や吸血鬼なんかも所属してるらしい。人狼化を抑える指輪なんて話が広まっていても不思議じゃない」

「明らかに余所者な二人が公然の秘密となっているはずの指輪を探している……。〝親〟に言いつける理由にはなるわね」

「まだ断定はしたくない。俺たちと同じ外部の者である線はまだある」

「遺跡の落とし穴を作った誰かさん? まだその線を諦めてないの?」

「あんな都合良く俺たち二人を落とした状況を作れる存在を警戒しない訳が無いだろ」

「それはそうだけど……」


 考えすぎよ、と言いそうになるのをセラフィーナはぐっとこらえた。自分よりも魔術に詳しいハインリッヒが言うのだから、多少の論理性はある。何より警戒を怠らないという発想は軍事的に正しいのだ。


 常に最悪の展開に備えるという考えは、軍人家庭出身のセラフィーナには身近な発想である。故にハインリッヒの言葉に異論は唱えない。


「まあ良いわ。夫のあなたに従うから」

「夫って……。まだ正式に結婚はしていない」

「ちゃんと私を導いてね、あ・な・た?」


 ハインリッヒの指摘など構わないといった態度でセラフィーナは自身の婚約者をからかう。そんな彼女のいたずらっぽい笑みが妙に淫靡いんびなものに見えるのは、街灯の光によって陰影がついたからだとハインリッヒは思う事にした。



 




 

 





 


 


 

 


 


 

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