ヘンゼルとグレーテルと殺人ピエロ

悠戯

ヘンゼルとグレーテルと殺人ピエロ


 昔々ある森の外れに、貧乏な木こりがおかみさんと二人の子供たちと、それから殺人ピエロと一緒に暮らしていました。子供の一人は男の子で名前をヘンゼルといい、もう一人は女の子でグレーテルといいました。


 殺人ピエロの名前は一緒に暮らしている彼らにも分かりません。

 前に近くの町に薪を売りに行った時、お腹を空かせて倒れていたところにヘンゼルとグレーテルがお弁当のパンを分けてあげたら、二人に懐いて家までついてきたのです。

 見た目で人を差別しない心優しい性格に子供たちを育てた己の教育方針を、木こりはこの時初めて恨めしく思いました。怖いので口には出しませんでしたが。



 殺人ピエロは身の丈七尺(約212センチメートル)の大男。

 腕も足も、分厚い道化の衣装の上からでも一目で分かるくらいに筋肉が発達しています。ごつごつとした拳は、まるで何万年も風雨に磨かれてきたいわおを連想させる迫力がありました。木こりの見立てによると、両手の皮膚に無数に刻まれた古傷や拳骨の発達具合からして、恐らく素手ベアナックルスタイルの拳闘ボクシング唐手からて、なんらかの打撃系格闘技を相当にやり込んでいたものと思われました。


 いつも白塗りのドーランに真っ赤な口紅で化粧をしているので、家族の誰も素顔を見たことはありません。寡黙な性格なのか、たまに甲高い声でケタケタ笑い始めるほかは一日のほとんどを黙って過ごしています。


 果たして、こんな人間――多分、一応、恐らく人間ではあるはず――が家に上がり込んできて、強気に追い出せる胆力を持つ者が世の中に一体どれほどいるでしょう。木こりもおかみさんも内心穏やかではないものの、下手に殺人ピエロを刺激しないよう見て見ぬフリをするほかありませんでした。



 とはいえ、人間どんな環境でも次第に慣れていくものです。

 誘拐事件や立てこもり事件において人質が犯人に仲間意識を抱く現象、いわゆるストックホルム症候群を発症していただけの可能性もありますが、いつの間にやら木こりやおかみさんも、家の中を殺人ピエロがうろついている状況を当たり前に受け入れていました。


 たしかに不気味で何を考えているのか分かりませんが、それでもヘンゼルとグレーテルへの恩義を感じているのは確かな様子。大きな身体で木こりの仕事を手伝えば、それまでの一週間分の薪を一日で切ってくれますし、意外にも器用な手つきでおかみさんの家事も率先して手伝ってくれます。ちなみに殺人ピエロの得意料理は里芋の煮っころがしでした。



 ですが、そんな平和な暮らしにもやがて転機が訪れます。

 ある年のこと、まだ夏だというのに酷い寒さがやってきて、畑の作物がすっかり枯れてしまったのです。ただでさえ貧乏な木こりの家には、その日に食べるパンもろくにありません。

 殺人ピエロの活躍でたしかに収入は上がったのですが、なにしろあの大きな身体では食べる量も並大抵ではありません。結果、一家の暮らしぶりは以前とほとんど変わりがなかったのです。



 ある夜のことです。

 お腹が空きすぎて眠れずにいた木こりに、同じく眠れずにいたおかみさんが話しかけてきました。



「ねえ、あんた。このままだと一家五に……あ、違う。今のなし。四人、うちは四人家族だった。ともかく、このままじゃあ全員共倒れだよ」


「そうだろうなぁ。でも仕方がないじゃないか」


「ここは思い切って子供たちと、あとあの子たちに懐いている、あの……アレを、手放してみるのはどうだい? 遠くの森に置いてきぼりにするんだ」


「なんだって!」


「しーっ! 子供たちはともかくアイツに聞かれたらどうするんだい!?」



 思わず大きな声を出した木こりの口を、おかみさんは必死の形相で塞ぎました。いくら多少は慣れたとはいえ、もし怒らせたりしたらどうなるか分かったものではありません。彼女も必死でした。



「どうせ、このままじゃ全員、いやあのデカいのは大丈夫かもだけど、残りはみんな飢え死にだよ。それなら二人だけでも助かったほうがいくらかマシってもんだろう。ついでに子供たちに懐いてるアレの厄介払いもできるかもしれないよ」


「それは、そうかもしれないが……しかし、子供を捨てるなんて俺にはとても」


「じゃあ飢えて死ぬかい? わたしは嫌だよ。このまま死ぬのを待つなんて」


「ううむ……」



 悲しいお話ですが、この時代には特に珍しいことはなかったのです。

 飢饉や貧困で養えなくなった子供を人買いに売ったり、ひとおもいに殺してしまったり。それを思えば、この両親はまだマシなほうかもしれません。


 ですが、木こりとおかみさんには一つだけ大きな誤算がありました。

 声の大きさには気を付けていたつもりなのですが、この内緒の話はいつの間にやら床下に潜んでいた殺人ピエロにすっかり聞かれていたのです。



「ヒヒ、ヒヒヒッ、ヒヒヒヒ」



 愉快そうに笑うピエロの瞳は爛々と輝いていました。








 次の日。

 まだ夜が明けきらない早い時間です。



「さあ、おまえたち。今日は森へ行きますよ」



 そう言うとおかみさんはお弁当の小さなパンをヘンゼルとグレーテルと殺人ピエロに渡しました。



「食事はこれきりなんだから、お昼になるまで我慢するんだよ」



 昨夜の内緒話を聞いていなかったヘンゼルとグレーテルは素直に喜んでいます。その様子に木こりの胸は痛みましたが、背に腹は代えられません。


 そうして出かけた五人は、やがて深い深い森の奥までやってきました。

 子供たちだけではとても帰れそうにありません。



「おまえたち。たき火に使う小枝を集めてきておくれ」



 子供たちと殺人ピエロがいいつけ通りに小枝を集めてくると、木こりは手際よく火をつけて言いました。



「さあ、寒くないようにたき火に当たって待っていなさい。お父さんとお母さんはこの近くで木を切っているからね。仕事が終わったら呼びにくるから」



 けれども、これは子供たち他一名を安心させるためのウソ。

 本当はこの隙に三人を置き去りにしてしまうつもりだったのです。

 こうして裏切りを現実のものとした決断が、自らの死刑執行書へのサインだとは夢にも思わなかったことでしょう。土壇場で方針を翻せば助かる道もあったかもしれませんが、今更言ってもどうしようもありません。


 温かいたき火に当たっているうちに、ヘンゼルとグレーテルは次第に眠くなってきたようです。二人がすぅすぅと寝息を立て始めると、彼らを起こさないよう気を付けながら殺人ピエロは一人静かにたき火のそばから離れました。









 ヘンゼルとグレーテルが目を覚ました時、辺りはすっかり暗くなっていました。

 おかげで殺人ピエロの衣服に付着した返り血に気付くこともありませんでした。



「おとうさーん」


「おかあさーん」



 幼い兄妹は必死に両親を呼びますが返事はありません。

 正確には返事をしたくてもできなくなっているのですが。



「ヒヒッ、ヒヒヒ、ヒィッヒッヒヒ」


「もしかして僕たちをはげましてくれてるのかい?」


「やさしいのね。さあ、どうにか道を思い出してみましょう」



 落ち込んでいた二人ですが、殺人ピエロに励まされると胸の中にあたたかな勇気が湧いてきました。両親や近所の人は不気味がっていましたが、ヘンゼルとグレーテルは見た目で人の中身を決めつけない純粋な心の持ち主なのです。


 そうして三人は一晩中森の中を歩き続けました。

 しかし、朝になるまで歩いても見覚えのある道は見つかりません。

 むしろ森の奥へ奥へとどんどん迷い込んでしまっていたのです。

 お弁当にもらったパンはとっくの昔にお腹の中。くたくたに疲れてしまったヘンゼルとグレーテルは、疲れて眠り込んでしまいました。



 そうして再び二人が目を覚ましたのは夜も遅い時間。



「どうしよう、森から出られないよ」



 もしかしたら、もう家に帰れないのではないか。

 そう考えたらだんだん悲しくなってきました。


 ですが、その時。

 三人の前に真っ白な小鳥が舞い降りてきたのです。

 小鳥はぴぃぴぃと一鳴きすると、尾っぽの羽根を振りながらゆっくりと飛んで行きました。何度も振り返りながら旋回を繰り返す様は、まるで自分についてこいと言っているように思えました。



「小鳥さん、いったいどこへ行くんだい?」



 ヘンゼルが尋ねてみるも小鳥はぴぃぴぃ鳴くばかり。

 どこへ向かっているのかも分からないまま歩き続けていると、だんだんと遠くのほうに人家の灯りが見えてきました。



「わぁ、この家はなんだかいい匂いがするわ」


「よく見てごらんよ、グレーテル。この家はお菓子でできているみたいだ」


「ヒィッヒッヒ、ヒャハァ!」



 三人が辿り着いたのは、なんと建物の全部がお菓子でできたお菓子の家だったのです。屋根板が板チョコレートで周りの壁がカステラ、窓ガラスに見えたのは透き通った氷砂糖。入口の扉は香ばしく焼かれたクッキーです。


 三人のお腹はぺこぺこだったので大喜びで壁や戸板にかじりつきました。



「誰だい、わたしの家をかじるのは?」



 ですが、その時。

 家の中から真っ白な髪のおばあさんが出てきたのです。



「わぁっ」


「きゃあっ」


「これこれ、お待ち。逃げなくたっていいよ。ちょうど一人で退屈していたんだ。良かったら二人とも家の中に……うひゃぁ!?」



 ヘンゼルとグレーテルを家の中に連れ込もうとしたおばあさんは、ここでようやく二人の後ろにいた殺人ピエロの存在に気付いて思わず悲鳴をあげました。あまりに大きすぎるせいで木か岩か何かだと見間違えていたのでしょう。



「え、ええと……その後ろのはお友達かい? いいとも、三人とも上がっておいき。このお菓子の家には魔法がかかっているから、その大きいのがお腹いっぱい食べてもすぐ元通りになるのさ」



 ですが、おばあさんは咄嗟に平静を装い、改めて三人を誘い込むことにしました。実はこのおばあさん、道に迷った子供を誘い込んでは食べてしまう、恐るべき人喰いの魔女だったのです。



「外は寒かったろう、温かいミルクやココアを淹れてあげようね」



 魔女は親切なフリをして飲み物に眠り薬を入れることにしました。

 幼い子供が相手でも騙し討ちをしなければならないくらいひ弱なインテリ型ヴィランである魔女では、見るからにフィジカル極振り型ヴィランである殺人ピエロにはとても太刀打ちできそうにありません。ですが、正面から馬鹿正直に戦いを挑んだりするのでなければいくらでもやりようはあると考えたのです。


 事実、ヘンゼルとグレーテルは出されたお菓子と飲み物を口にしてから、ほんの何分もしないうちに寝息を立て始めてしまいました。元々ずっと森の中を歩き通しだったのです。眠り薬がなくても同じように眠っていたかもしれません。



「あ、あんたは眠くなったりしないのかい……? 眠かったらベッドを貸してやるから無理せず言うんだよ」


「ヒヒヒッ、ヒィーッヒッヒヒヒ」



 ですが、ここからが大変でした。

 フィジカル特化型ヴィランである殺人ピエロは内臓の代謝機能も特別なのか、眠り薬が仕込まれた飲み物を何杯飲んでもまるで眠気を覚える様子がなかったのです。


 このピエロが眠らないことには旨そうな子供たちもおあずけのまま。

 魔女は必死でお菓子と飲み物のおかわりをすすめ、象やクジラでも眠ったまま二度と起きなくなるであろう量の眠り薬を飲ませました。常人なら完全に致死量です。



「ヒヒヒ、ヒャア……ふわぁ」


「ようやく眠くなってきたのかい。どうなってんだい、あんたの身体は……」



 けれど、流石の殺人ピエロもようやく眠くなってきたようです。

 原因は、そうとは知らぬまましこたま飲まされた眠り薬……ではなく、大量の糖質を数時間に渡って摂取したことに伴う血糖値の急上昇。いわゆるドカ喰いに起因する血糖値スパイクにより起こる酩酊感がその正体でした。



「ヒヒヒ、スヤァ……」


「やれやれ、ずいぶん手こずらせてくれたもんだよ。でも、こうなったらこのデカブツもおしまいだ」



 いつもの流れなら、あとは頑丈な鉄格子の牢屋の中にかわいそうな子供を閉じ込めて、しばらくお菓子をたっぷり与えて丸々と太ったところで食べるというのが魔女必勝の型。



「お、重い……これは、とても運べん……」



 ですが幼い子供が相手ならまだしも、体重二百キログラムに迫ろうかという殺人ピエロは、枯れ木のような魔女の細腕ではとても運べそうにありません。そもそも仮に閉じ込められたとしても、この巨体を前に鉄格子が本当に有効なのかどうか。怒り狂った殺人ピエロが牢屋を破壊して、ついでに魔女の首をへし折ってくる可能性のほうが高いように思えます。



「ええい、面倒だ。こいつだけ先に仕留めてやろう」



 思案した魔女は殺人ピエロだけは太らせることをせず、このままこの場でトドメを刺してしまうことを決めました。残ったのが子供たちだけならば、あとからいくらでも始末できると思ったのでしょう。



「くたばれ、このデカブツめ」



 魔女はよく研ぎあげた包丁を振りかぶると、勢いよく殺人ピエロの首に突き立てようとしました。しかし。



「……ヒ、ヒィッヒッヒッヒ、ヒャハァ!」


「ひ、ひぇぇ、あんた、いつから起きて!?」



 刃先が首に触れる直前、雷のような速さで動いた殺人ピエロの手ががっしりと魔女の手首を掴み止めていたのです。フィジカル特化型ヴィランである殺人ピエロの内臓の強さは特別製。大量に食べたお菓子の消化吸収も完了し、血圧や血糖値もすでに平常時のそれへと戻っていました。


 たしかに一時は眠りへ落ちた殺人ピエロでしたが間もなく覚醒。

 しかし魔女が不穏な独り言を呟いたことでおばあさんの正体に気付き、寝たフリを続けながらこうして言い逃れの余地がなくなる現場を抑えたということなのでしょう。



「ヒヒ、ヒャアァ!」


「ぎゃあっ」



 硬貨を四つ折りにするほどの握力は、ちょっと力を込めただけで簡単に魔女の手首を粉砕しました。ですが相手は殺人ピエロの大事な大事な友達へと殺意を向けたのです。この程度で勘弁するはずがありません。



「ヒィ、ヒャハハハハハ!」


「た、助け……ひぃぃぃぃ!?」



 こうなっては、もはや魔女に助かる道はありません。

 これまでに喰い殺されてきた何十人もの子供たちの分まで恨みを晴らすがごとく、殺人ピエロによる「処理」は何時間もかけて念入りに行われました。






 そうして長い夜が明けた頃。

 眠り薬を飲まされたヘンゼルとグレーテルもようやく目を覚ましました。



「おはよう。あれ、おばあさんはどこへ行ったんだろう?」


「見て、テーブルの上にお手紙が置いてあるわ」



 テーブルの上にはヘンゼルとグレーテルに宛てた手紙がポツンと残されていました。もちろん魔女本人が書いたものではなく、夜中のうちに殺人ピエロが施した偽装工作のひとつです。家の中にあった魔術書やメモ書きを参考に、見事に魔女の筆跡を再現していました。


 その手紙には、急な用事で遠くへ旅に出なくてはならなくなったこと。

 そして、お菓子の家の全部をヘンゼルとグレーテルに譲ることが書かれていました。



「本当にいいのかなぁ」



 一晩泊めてもらっただけなのになんだか悪いような気がしましたが、しかし、これで飢えずに済むのも間違いありません。しかも家の中で見つけた隠し戸の中には、魔女がこれまで貯めこんでいた宝石や金貨銀貨がたんまりと残っていたのです。



「ヒヒッ、ヒヒャハハハハハ!」


「そうだね。なんだか悪い気もするけど、でも、くれるって書いてあったし」


「うん、これだけあればおとうさんやおかあさんにも楽をさせてあげられるね」



 残念ながら、それはもう無理なのですが。

 その後、どうにか森を抜けて家に帰ったヘンゼルとグレーテルと殺人ピエロは、“何故か”あの一緒に出かけた日から行方不明になっていた両親のことでしばらく落ち込んだりもしたけれど、その悲しみも次第に時間が癒してくれました。


 ヘンゼルとグレーテルと殺人ピエロの三人は、時折あのお菓子の家と元の家とを行き来しながら、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。


 めでたし、めでたし。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヘンゼルとグレーテルと殺人ピエロ 悠戯 @yu-gi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画