21
僕の祈りは通じ、ツキネロックフェス当日、降水確率ゼロパーセント。ふもとのバス停で軽音部のメンバーと合流し、一緒のバスに乗った。僕は隣に座った陽希に言った。
「ねえ、まずは物販行きたい。Tシャツ欲しいんだ」
「いいよ。着いていく」
後ろの席にいた大我が声をかけてきた。
「オレさー、最前列で観たいんだよね! だからまっすぐステージ行くよ! 静人も付き合うよな?」
「まあ……いいけど」
ということで、リストバンドを引き換えた後は、静人と大我とは別行動。陽希と物販の列に並んだ。無事にお目当てのTシャツが買えて、トイレで着替えた。陽希もお揃いだ。
「なあ千歳、食いもんもあるけど何か買う?」
「いいね。僕、前の方に行くのはこわいし……何か食べながら後ろでゆっくり観たい」
さすがフェスだ。カレー、唐揚げ、牛肉の串焼きと、ガッツリしたものが多かった。僕が気になったのはキムチ焼きそばだ。有名な店らしく、大勢の人が並んでいた。僕はスマホでタイムテーブルを確認した。これを買うのに並んでも、おそらく最初のバンドが始まるまでに間に合うはずだ。
「陽希、あれがいい」
「うっ……キムチか。俺、辛い物苦手なんだよな」
「じゃあ別々に買って、後で合流しよう」
「了解」
並んでいる間、僕はきょろきょろと周りを見回してしまった。こういう所は若い人ばかりかと思っていたが、案外年配の人もいた。この場に集まった全員が、音楽が好きなのだと考えると、不思議な一体感があった。
先に陽希が食事を買って、総合案内のテントの近くで待っているという内容のメッセージがきた。写真もついていた。たこ焼きにしたらしい。それから十分ほどしてようやく買うことができ、僕は陽希のところに急いだ。
「ごめん陽希、お待たせ」
「悪い、先に食ってた」
「いいよ。どこか腰をおろせそうなところに行こうか」
その時、爆音が鳴り響いた。最初のバンドの演奏が始まったのだ。
「行くぞ、千歳!」
「うん!」
大きく開けた草地の向こうに、ステージが見えた。大きなスクリーンも。すでに最前列の人々は拳を振り上げていた。遠巻きに観ている人もけっこういて、椅子を持ち込んでいるグループもあった。
「千歳、この辺でいいか。レジャーシート持ってきた」
「さすが陽希。用意がいいね」
レジャーシートに座り、スクリーンに注目した。カメラはボーカルと楽器隊の他に、観客も写していた。きっと静人と大我はあの中で揉まれているのだろう。僕にはとてもそんな勇気はない。最初のバンドは今年デビューしたばかりの若手であり、キャッチーなメロディーが特徴だ。
僕はキムチ焼きそばを食べながら、演奏に聴き入っていた。焼きそばは思っていた以上に辛く、持ってきていた水を全て飲み干してしまった。最初のバンドの出番が終わり、僕は立ち上がった。
「陽希、ゴミ捨ててくるよ」
「おっ、よろしく!」
ゴミを捨て、ついでに水を買おうと自販機に向かったのだが。
――えっ、三百円?
水一本、三百円。高すぎる。スーパーで買えば九十円代なのに。日差しはキツいが、高地にいるから割と涼しいし、きっと大丈夫だろうと思って僕は買うのをやめた。
陽希のところに戻ると、ちょうど次のバンドの演奏が始まった。ここからだとステージは遠すぎて、人が動いているのがおぼろげにわかるだけだったが、それでも音に包まれた空間の中にいることが心地よかった。
「やっぱり生の演奏は違うなぁ、千歳」
「うん。ビリビリくるよね」
徐々に人が増えてきた。グレーキャットの出番はまだ先だが、僕は焦ってきた。
「陽希、もっと前に行かない? ギリギリのところで立って観よう」
「いいよ。レジャーシート片付けるよ」
歩いていくと、フェンスが見えた。あれを越えると踊りまくっている人たちがいて危なそうだ。手前で止まった。陽希が言った。
「おっ、ここからでも一応ステージの様子はわかるな」
「生のグレキャ……どんな感じなんだろう……」
ここまで近くに来ると、勝手に身体が揺れ始めた。予習の甲斐あって、全てのバンドの曲は把握していたから、イントロだけでテンションが上がった。
そうして、いくつかのバンドを堪能して、後半に差し掛かった頃。日が落ちてきた。しかし、身体を動かし続けていたせいか、熱がこもり、目の前が突然白くなった。
――あれっ、これ、ヤバい……!
僕はよろけて陽希の腕を掴んだ。
「千歳?」
そして、記憶が飛んだ。
気付けば僕は運ばれていた。振動でそれがわかった。僕の膝の裏とわきの下にあたっている大きな手。これは……陽希?
「千歳、もうすぐだからな!」
ぼんやりした視界。光の強さしかわからなかったのだが、それでどうやら屋根のあるところに着いたということが把握できた。誰か知らない人の声。僕は柔らかい場所に寝かされた。
「多分、熱中症だと思うんです!」
陽希が叫んでいた。そうか。そうなのか。僕があの時、水をケチったから。
手当をしてもらって、ようやく身を起こすことができた。陽希が僕の顔を覗き込んで言った。
「もう、大丈夫か?」
「大丈夫……ごめん、陽希……ごめん……」
「いいって。まあ、グレキャそろそろ終わるっぽいけど。音だけなら聴こえるぞ、ほら」
――探しに行こう、僕たちだけの星を
これは「フォーマルハウト」だ。夢を追うことの楽しさについての歌。
「ごめん……せっかく来たのに、こんなことになって」
「千歳が無事ならそれでいい。俺はさ、千歳とこの曲を聴きたかったんだから。だから救護所だろうと何だろうと関係ない。一緒にいられればいい」
「ごめん……」
我慢できなかった。僕がスン、と鼻を鳴らすと、陽希は僕の手を握ってきた。
「まあ、さ。千歳も思うことはあるだろ。俺、ただここに居てやるから」
手から伝わる温もりに胸が震え、僕は嗚咽を漏らした。
――陽希だって、楽しみにしてたはずなのに。迷惑かけて。情けないよ。
僕の初めてのフェスは、苦い経験で終わった。
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