19

 姉が帰ってきた。

 僕の誕生日の前日。大輪のヒマワリの花束を持って。


「千歳、一日早いけど、誕生日おめでとう」

「ありがとう、姉ちゃん!」


 姉が花をくれることは恒例となっていたから、花瓶はあった。机の上を片付けてヒマワリを飾る。僕を見守ってくれているようで心強い。

 両親も仕事を休み、久しぶりの家族四人の団らん。出前の寿司で豪華な夕食だ。僕はイクラやウニが好きで、そればかり食べさせてもらった。

 姉が尋ねてきた。


「文化祭、行こうと思うんだけど、いつだっけ?」

「えっとね……十一月十三日」

「じゃあ前の日にはこっちに帰っておこうかな。音楽会の前日も、千歳ったらガチガチだったもんね。励ましてあげる」

「助かるよ」


 両親は、姉の暮らしぶりが気になるようで、根掘り葉掘り聞いていた。姉は一人暮らしにもすっかり慣れ、自炊もしているのだとか。仕事も業務量は多いが楽しくこなしているとのことだった。

 食後、姉はブラックコーヒーを飲んだ。僕も背伸びしたくて同じものを作ってもらったが、一口飲んでやっぱりダメだったのでどっさり砂糖とミルクを入れた。


「そうだ、千歳。庭で花火しない? 買ってきた」

「うん、いいよ!」


 庭といっても、地面がむき出しで、特に何も育てていない小さなところだ。花火をするには好都合なので、幼い頃からよくしていた。

 姉は手際よくロウソクを立て、水の入ったバケツを用意し、二人きりでするには多すぎるのではないかという量の花火の袋を開けた。


「よーし千歳、まずはねずみ花火!」

「一つ目がそれ?」


 赤い火花が高速で回転し、最後にバン!


「僕もする!」

「どんどん行こう!」


 ねずみ花火が終わり、次は手持ち花火。僕は調子に乗って、三本一気につけた。


「うわっ、ヤバい! やりすぎた!」

「もう、千歳ってば」


 明日で十六歳になるというのに、僕はまだまだ子供だ。そんな幼稚さを許してくれる姉と一緒、というのもあるが。

 手持ち花火をやり尽くし、最後はやっぱり線香花火。二人でしゃがんで儚い火花を見つめながら、僕は言った。


「……軽音部なんだけどさ」

「うん。楽しい?」

「楽しい。ドラムの……陽希っていうんだけど。最初は陽希に強引に巻き込まれてさ。渋々だったけど、入ってよかった」

「千歳は奥手だからねぇ。そうやって誰かに引っ張ってもらってよかったじゃない」


 ぽとり、僕の方が先に落ちた。でも、線香花火はまだ何本か残っていた。次のに火をつけた。


「そうだ。千歳、これはまだ、お父さんとお母さんには内緒にしててほしいんだけど」

「どうしたの?」

「お姉ちゃんね、結婚したい人ができた」

「えっ……」


 姉の顔を見ると、少女のようにはにかんでいた。


「職場の先輩。去年からお付き合いしててね。この前プロポーズされたんだ。もう少し準備して、挨拶は来年するつもり」

「そっか……そっかぁ。姉ちゃん、おめでとう」


 僕を襲ったのは、まず寂しさだった。姉と弟。産まれた時からの付き合いだが、いつか別々の家庭を持つようになるものだ。それはわかっていたつもりだったが、いざ直面すると、すぐには受け止めきれなかった。


「ふふっ。千歳、そんな顔しないで。苗字は変わるけど、あたしはいつまでも千歳のお姉ちゃんなんだから」

「婚約者さん、どんな人……?」

「真面目な人だよ。目立つようなタイプじゃないけど、仕事にも責任感があって、お姉ちゃんのこと大事にしてくれる」

「義理の兄さん、かぁ……早く会ってみたい」


 また、線香花火が落ちた。手元をさぐると最後の一本。そっと火をつけた。


「幸せになってね、姉ちゃん」

「ありがとう。千歳こそ、どうなの。好きな子いないの?」

「いないよ。友達とバンドしてるだけで十分楽しいし」

「いい人できたら、絶対お姉ちゃんに紹介してよね?」


 姉の線香花火が落ち、僕の分だけがぱちぱちと鳴った。僕たちはそれが終わってしまうまで、無言で見つめ続けた。


「ふぅ、今年の花火はこれでおしまいだね、千歳」

「来年は……もしかして義理の兄さんも一緒かな」

「かもしれない。千歳のことは色々と話してあるよ。あたしの自慢の弟だって」

「変なこと言ってないだろうね?」

「夜泣きが大変だったことは言った」

「もう!」


 花火の後片付けをして、風呂に入り、ベッドに飛び込んだ。


 ――大丈夫だよな。僕、姉ちゃんにきちんとお祝い言えたよな。


 想像してしまったのが、姉の花嫁姿だった。弟のひいき目だが、姉は美人だ。きっとどんなドレスだって着こなせる。本当にその姿を目にした時、僕はきちんと笑えるだろうか。


 ――フェスの予習しよう。


 僕はスマホのプレイリストをシャッフル再生させた。フェスに出るアーティストの曲をそこに全部入れたのだ。音の洪水に耳を澄ませながら、その日は眠った。

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