墓守
柑橘
墓守
笹田裕次は墓守である。墓守だ、と自称している。正確に言うと、笹田の日常生活において名乗る相手は別段存在しないので、名乗る機会があったら墓守と名乗ろうと強く心に決めている。
笹田が思うに、墓守という熟語はとても格好が良い。墓を守ると書いて、墓守。不埒な盗掘者や怪しげな魔術師と夜な夜な戦いを繰り広げ、よこしまな者共を退けていそうな感じがする。しかし笹田の業務には当然甲冑を着込んで戦いを繰り広げることなど含まれていないし、そもそも笹田はシャツとジーンズしか着ない。白と薄水色と水色と青と紺と黒のシャツ6着と白と薄水色と水色と青と紺と黒のジーンズ6着を組み合わせて、6進法の要領で着る服を決めている。日付に服を対応させたいというよりは服を見て日付が分かるようにしたいというのがこのような着回しを始めた動機であり、したがって笹田の部屋にはカレンダーがない。毎日PCを見ているのだからどの道カレンダーは不要だ。そうなると服を日付に対応させる必要もないはずだが、折角着る必要があるのだから何かしらの機能は持たせないと損だろうというのが笹田の考えであり、単位物品あたりの機能を最大化しようとする癖が笹田にはあった。あるいは、プログラマーというのはおしなべてそのような性格の人々なのかもしれない。
笹田は墓守である。しかし笹田は侵入者と戦いはしないし、お墓の雑草取りをしたり参道を掃き清めたりもしない。笹田の管理する墓は電脳空間上にある。笹田の業務とは「電脳墓地の保守管理」であり、確かに縮めると墓守になる。
保守管理とは端的に言えば不具合の対応であり、システムにおける変な箇所の修正と修繕を職分とする。笹田は「名店の秘伝のたれをつぎ足し続けていくような仕事」と家族に説明しているが、現在に至るまで家族の誰一人たりとも正しいニュアンスを汲み取れておらず、そもそも比喩として不適当である疑いが強い。
不具合を顧客から聴取する過程は通常カスタマーサポートなど別の部署が担当するが、電脳墓地に関しては保守管理部門が顧客対応までを引き受けている。引き受けているというより、引き受けさせられている。軽んじられているのではなく単純に人手が足りておらず、人手が足りていないので物理世界の墓地を維持できなくなったという事情がある。
利用者の問い合わせで一番多いのは「墓地内で自分のアバターが固まって動けない」というもので、これはほとんどの場合、ひとえに利用者側の端末のスペック不足に起因する。ただ利用者側に全面的に非があると断言するには微妙なところもあって、具体的には墓地の外観データが重すぎる。
電脳墓地と言っても一応植物や木々が植わっていて、春は桜が咲いて風に花弁を降らせ、夏は蝉が断続的に鳴いて、秋には葉が色づいて赤や黄色の落ち葉が道を彩り、冬には邪魔にならない程度の雪が積もる。当然外観データは鈍重を極め、利用者の大半を占める中高齢者層の端末では読み込みに時間がかかる。簡素な軽量化差分も作ればすぐに解決しそうな話だが、それはご法度らしい。「心、だから」と笹田の開発チーム時代の上司はよく分からない節を付けながら念押しし、心、なのか、と当時の笹田は思った。笹田は心というものが分からない。分からないなりに、あるとされているものらしいという理解の仕方をしている。幽霊と似たようなものかなとも思っている。
アバターや画面が固まったという問い合わせに対しては、取り敢えず「何も操作せずにしばらくお待ちください」と返すことになっている。お茶でも飲みながらゆっくり待っていてくれればそれで良いのだが、利用者側としてはただ待つというのも落ち着かないらしく、「とにかくこっちに来てくれ」と言われることが多い。ここで「こっち」とは当然利用者のアバターが存在する電脳空間近傍ということになり、言われたからには笹田も一応管理者用アバターを差し向けてみるのだが、相手の端末において読み込みが終わっていない以上は相手に笹田が視認できるはずもない。「はやく来てくれ」「今○○様のアバターの近くにおります」「見えないぞ」「読み込みを待ってください」という間抜けなような切ないような事態は毎月少なくとも1回は起こり、心はさて置いてやはり対策を取るべきではと笹田は思っている。
凝っているのは何も季節の風物だけでなく、墓石を見ても名前を単に表面に貼り付けるのでなしにわざわざ彫り込んである。仏教系のプレーンな墓ですらこの調子で、他宗教のものになるとより華美な造形の墓石が採用されていると聞く。仏教系区画担当の笹田は他部署の人はもっと大変なんだろうなぁと考えているが、実際のところ利用者数の差などを考慮すると区画間で業務量にさしたる差はない。特に知り合いのいない笹田はそのことを知らず、けれどそもそも深く知りたいと思うほどの関心はない。
笹田が思うに、墓とは死者を思い出す場所である。知っている故人に関してはあぁこんな人がいたなぁと思い、代が上すぎて知らない故人に関してはへぇこんなご先祖様がいたのかと思う。そうするとわざわざ墓の隣に墓誌を置いてそこに故人らの名前を列挙するのでなしに、役所の戸籍謄本閲覧申請ページのURLを墓地内の適当な位置に貼り付けておけば良いのでは、と笹田は考えている。あるいは様式とかの観点から絶対に墓誌がいるというのであれば、前述のURLに繋がるQRコードをでかでかとプリントしておけばよかろうとも考えている。
そもそも墓に入っているのが自分の親族である以上、重要なのは氏名ではなく自分との続柄であり、戸籍謄本すら情報量として過大な気がしてくる。重要なのは家系図の形のみで、骨組みだけ取り出せば十分だ。その家系図の骨組みは大局的に見るとほぼ同型であり、父親と父親の兄弟姉妹がいて、母親と母親の兄弟姉妹がいて、父親の父親と父親の父親の兄弟姉妹がいて、父親の母親と父親の母親の兄弟姉妹がいて、母親の父親と母親の父親の兄弟姉妹がいて、母親の母親と母親の母親の兄弟姉妹がいて、人物を「〇」、兄弟姉妹の存在を横棒「-」で表すのなら、家系図は「-〇-」から上に2個の分岐を書いて、分岐先には「-〇-」を書く操作を繰り返してできる樹形図に同一視できる。
・
・
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\ / \ /
-〇- -〇-
\ /
-〇-
ということを笹田は大真面目に考えており、開発チームに属していたころは大真面目に考えていることをそのまま提案していたのだが、周囲は爆笑するか顔をしかめるかのどちらかで、樹形図のモチーフだけが電脳墓地のトレードマークとして採用された。
自分の言いたいことが他人に伝わらず、他人の言いたいことが自分に伝わらない。コミュニケーション上の齟齬を笹田はそういうものかと早い時期から割り切っており、そのうちに他人とコミュニケーションを取る機会自体がほぼなくなった。なくなった今になって笹田は、あれは読み込みの問題だったんだな、と納得している。自分の意図を読み込む機構が相手になく、逆に相手の意図を読み込む機構が自分になかったのだろうと思っている。自分と彼らは互換性のない別系統のマシンのようなものだったのだなと思い、そういうことを思いながら利用者の応対をしている。笹田のアバターは相手の前で手を振ったりぴょんぴょん跳ねたりしているが、相手の端末上で笹田のアバターはまだ読み込まれておらず、「早く来てくれよ」と相手は不満げな声を上げる。ですから読み込みを、と応対しながら、幽霊も同じようなものなのかもなと笹田は思う。
笹田はほとんど自室から出ない。リモートワークなので職場に行く必要がない。仕事関連の専門書や興味のある分野の本は電子書籍で買い揃えていて、電子化されていない古本は配達サービスを利用している。食べものや日用品も同様に配達を使っていて、配送料に気を配る必要がないほどには十分な給料をもらっている。もらっているので、月に一度だけ遠出をする。シャツが青色でジーンズが薄水色の毎月19日、笹田はリニアに乗り込んで関西へと向かう。19日が平日の場合は有休をもらう。リニアの中ではVRグラスをかけて、wifiに接続して自分の家の墓へと赴く。笹田家之墓と刻まれた中央の墓石の隣、墓誌の一番右側には笹田の祖母の名前が刻まれている。
リニアを京都駅で降りると、そのまま在来線に乗り換えて奈良へと向かう。奈良という文字列を見ると、笹田は必ず「奈」と「良」を分解したくなり、分解すると当然「『奈』が良い」と読めるわけで、脳裏には「おいしい『奈』売ってます!」とのぼりを立てた屋台がずらっと並んで謎の食材「奈」を売りさばいている光景が展開される。しかし奈良の語源は「地面を
JR奈良駅で降り、鹿に群がる観光客をかき分けて近鉄新大宮駅方向に進むと、5分くらいで巨大な寺が見えてくる。決して豪奢な着色はされていないものの柱の一つ一つが艶めいていて、それもそのはず、この寺は近年建立されたものだ。
墓地を電脳空間に移転する際に問題となったのが遺骨の取り扱いだった。墓地は電脳空間に作れる。しかし入れる遺骨は作りようがなく、いや遺骨らしき3Dデータはもちろん作れたのだが、それは違うじゃんという話になる。かと言ってこの遺骨を画面の中に入れてみせよなんて言い出した日には議論の方向が頓智合戦に切り替わってしまい、頓智こそが解決に必要とされているような雰囲気もあった。
この寺には全国から遺骨が集められる。ひとえに仏教と言っても様々な宗派があるが、この寺には様々な宗派の高僧が集められているので心配はない。それで集めた遺骨を大きな壺に入れて、凄そうな護摩壇的な舞台の中央に据え、あおぐのである。大きな団扇で。字面に書き起こすとあまりにも正気ではない光景だが、一般公開されている際に実際に儀式を見てみると存外ただならぬ迫力がある。この儀式に実際に故人の魂を飛ばして電脳空間へと接続させる効力があったとして、と笹田は考え、そもそも飛ばしているのかという疑問にぶち当たったがそれは無視することにした。効力があったとして、それが成立しているのは①あおいでいる人に特別な能力があるからか、②装置に特別な効果があるからか、③団扇に特別な効果があるからか、④左記①~③を2つ以上組み合わせたものか、⑤あるいは人、装置、団扇のいずれにも特別な何かはなく、誰がやっても効力を得られるかのいずれであろうかと笹田は考える。野菜を切っているときに、ふと乱切りした人参を手であおいでみたりもする。無論⑤であるはずはないが、野菜の何かがどこかへ飛んで行ったのかなと思うと無性に楽しい。
ところで、祖母の魂が本当に転送されているか知る手段は当然笹田にはない。他人に聞いたとて、他人の発言の真偽を笹田が判定できない以上、やはり真相は知りようがない。すると祖母の魂はこの寺周辺に留まっているという可能性も十分ありえ、そういうわけで毎月の月命日になると笹田は奈良まで出かけて寺の方に手を合わせている。無論無事に電脳墓地と接続できている可能性もあるし、あるいは千の風方式で笹田の周囲を漂ってくれている可能性もあるが、真相は知りようがない。笹田はコーディングの際にも慎重を期す性格だったし、普段はにこにことしていたけれど礼儀にだけは滅法厳しかった祖母に今でも若干びくついていた。
「魂なんてないだろう」というのは老人ホームに入っている祖父の言で、毎週日曜日の午後3時きっかりに笹田は面会にやって来る。19日が日曜日の場合は前日の18日に訪問をずらす。「脳が止まったらそれで終わりだよ」との意見は元医師の祖父らしい現実的なもので、それに対して笹田は真面目な顔で「だけどじいちゃん」と返した。
「万が一ってことがあるじゃん」
祖父は思わず吹き出す。笹田もちょっとだけ口角を上げる。祖父は笹田を見ると必ず、5歳のころの可愛い盛りで「ゆーくん」と呼ばれていたときの笹田を思い出し、現在の笹田もその頃と一切変わっていないような印象を受け、愛しさを覚えると同時にかなりの不安も感じる。老人ホームの職員に「笹田さんのお孫さん、いつも似たような服じゃないですか」と遠慮がちに言われてから、祖父は笹田が訪ねてくるたびに笹田の服装と服の色をメモしており、祖父の1年以上にわたる観察の結果、笹田の6色コーデは完全に看破されている。「そうなると、お孫さんは12着しか服を持ってないってことに」と笹田が帰った後の夕食の時間に職員は言い、「そうなるね」と重苦しい声で祖父は頷くが、実際の笹田はシャツ6着に予備のシャツ6着にジーンズ6着に予備のジーンズ6着の合計24着を有しており、そこまでミニマリスト然とした生活は送っていない。さらに祖父は「孫は私を訪ねてくるとき、必ず前回と違った色の組み合わせを着てくるようだ」と言い、職員は笹田の不器用さのようなものを感じ取って胸を痛めているが、実際のところは7日周期で訪れているので自然とそうなっているだけである。7は6進法表記で11であり、すると当然7日後にはシャツ、ジーンズともに色がひとつだけずれる。しかし祖父も職員も笹田の服装が日付の6進法表記と対応していることに気付いていないし、逆に笹田の方も自分が施設でそんな風に噂されているとは全く気付いていない。
笹田の下の名前が裕「次」であることからある程度予想はできるが、笹田は2人目の子供である。弟や妹はおらず、兄が1人いる。
月末になり、着るジーンズの色が紺に変わったころから笹田は少しそわそわし始める。仕事の合間に私用のメールアドレスを開いては受信ボックスでF5を連打したり、スープに入れるはずの野菜をせん切りにして何やら芸術的な見た目の料理を完成させてしまったりする。そうこうしているうちに、兄からメールが届く。いつも通り件名も本文もなく、ただ一枚の写真だけが添付されている。それはどこか知らない異国の市場だったり草原だったり宿屋だったり湖だったりして、果たしてそれがどこの風景なのか、笹田には全く見当が付かない。どこか知らない異国の風景を、兄は毎月末笹田に送ってくる。
兄はとにかく移動が好きだ。手段は問わず、徒歩でも電車でも飛行機でも、とにかく動ければ何でもよいといった印象を受ける。笹田は6歳のとき、12歳だった兄に手を引かれて隣の隣の市まで歩いたことがある。兄は景色を楽しんだり道中で何かを発見したりするのではなく、ただ単に移動そのものを楽しんでいる節があった。当時の笹田には街並みの区別がつかず、今でもあまりついていないのだが、それゆえにずっと同じところを歩いているような不気味さがあって、疲れもあいまって隣の市に入るやすぐにへたりこんでしまった。兄は特段悩む素振りも見せずに笹田をおぶり、そのままさらに隣の市まで歩いて、駅を見つけて笹田の分の切符も買い、笹田をおぶったまま改札に入った。疲れから熟睡していた笹田が起きると、いつの間にか車窓からは夕日が差し込んでいて、その車窓から覗く風景は田畑ばかりで明らかに自宅の周辺ではない。そもそも電車に乗った記憶すらない笹田は混乱して隣の兄を見たが、頼りになるはずの兄は虚空を見つめて何やら微笑を浮かべている。笹田が戦慄という感情を覚えたのはこのときだったように思われる。
結局兄弟は無事に自宅へとたどり着け、兄は両親から散々に怒られたのだが、それでも兄の放浪癖のようなものは止む気配がなかった。平日は学校から毎日迂回路を経由して帰り、休日はほとんど外出している兄と、年齢が長じるにつれて出不精になっていった笹田の交流時間は当然単調に減少したが、それでも両者の兄弟仲はすこぶる良かった。兄はやがて出先の写真を撮るという行為をようやく覚え、1か月で撮ったもののうち一番良さそうなものを弟にあげることにした。笹田は大喜びし、何となく懐かれているとは思っていたもののこれほどまでとは、と兄は驚いた。なので、自分が海外に行くと告げて笹田が号泣し始めたときにはさほど驚かなかった。両親は赤子のときから泣かない子供であった笹田が高校3年生にもなってぼろぼろと涙をこぼしているのを見て大層動揺し、こんなに仲の良い兄弟だったっけなと思って余計に動揺した。
自分がいつか死ぬという事実にはまぁそうだろうなと受け流せても、順当にいけば兄の方が自分よりも先に死ぬという事実にはいまだに動悸がする笹田としては、あまり兄に危険な国へと赴いてほしくない。しかし兄は世界規模でもやはり所構わず移動を繰り広げており、笹田も最近は心配するだけ無駄だなと吹っ切れている。
兄の写真は人物が写っていたりいなかったり、やたらと広角で写していたり逆に間近を写していたり、ピンボケしていたりしていなかったりする。ジャンルに分類できないほどのごたつき具合で、兄らしいなと笹田は思っている。兄ちゃんはあくまで移動が本質だからな、と思っている。移動が本質で、写真はあくまで一応のための記録にすぎず、常に移動しているから文章を送ってよこす暇などない。だけれど写真を素朴に眺めていると、何とはなしに兄の声が聞こえてくるような気がする。兄としては弟に何を書けばいいか分からないまま面倒くさがって今の連絡方式に落ち着いているだけなのだが、何とはなしに自分の言いたいことはちゃんと弟に伝わっているような気がしている。笹田は、兄の意図を読み込める機構が自分にあって良かったなとしみじみ感慨に浸り、兄弟だからそりゃ同系統のマシンかとも考える。
前述のとおり保守管理とはシステムにおける変な箇所の修正と修繕を職分とするところ、笹田にも当然システムの編集権がある。巨大なシステムの全容を把握することは人の子にはほぼ不可能であり、リリース前の開発段階から電脳墓地事業に携わっていた笹田でも全体の30%程度しか把握していない。一般に文章は一定の長さを超過すると可読性を完全に失い、目次やコメントアウトなどの縮約を付けても縮約の量自体も長大であって、やはり読めない。笹田はファンタジー的なガジェットの中ではバベルの図書館をずば抜けて好んでいるが、さておき、極度に長い文章に可読性がない以上は変な文章を1つや2つ付け加えても差分に気付けないということになる。そういうわけで、笹田はこっそり墓地システムに機能を付け加えている。
墓地に存在するあらゆるものには衝突判定が付与されているが、内部に何かが詰まっているわけではなく、衝突判定を備えた膜で形をかたどったような設計が為されている。笹田は墓地の地面について、一定の条件を満たされたときに衝突判定が解除され、代わりに下に掘り進められるようになる新たな判定を追加した。掘り進められる以上は掘られる対象が存在しなければならず、現在、墓地の下には採掘可能な巨大な土地が四方に広がっている。別に宝物が眠っているわけではなく、ただただ無地の土塊がどこまでも広がっている。データ量としては軽微であり、読み込み速度には影響しない。
墓参りに飽きた子供が戯れに地面をクリックして、前兆なしに地面がえぐれ、目を丸くする。親の目を盗んで、次の休日にこっそり電脳墓地を訪れ、果たして下になにがあるのか掘り進めてみる。ご先祖様の遺骨は果たして見つからず、がっかりして掘るのをやめる。あるいは、そこには笹田も設定した覚えのない遺骨が埋まっていて、子供は息を呑む。あるいは、穴から出てくると斜向かいの子供が半身を地面に沈めていて、2人の視線が合ってばちっと音を立てる。
笹田はあるユーザーが掘った穴を他のユーザーからは見えないように設定している。Aが掘った穴とBが掘った穴が両者の知らないうちに墓地の地下で交錯することはありうるし、あるいは誰が掘っても最終的には同じ経路に辿り着くなんてこともありうる。あるいは、全員が掘った経路をある平面で切断すると、そこには巨大なしゃれこうべが浮かび上がるなんてこともやはりありうる。ということを想像してにやりと笑ってくれる誰かがいると良いなと、笹田は考えている。
誰にも読み込まれずに漂っている何かが、もしかすると正しく読み込まれるかもしれない場所。笹田は墓地地下空間をそのような場所として構想している。読み込まれる何かは人の気持ちかもしれないし、本物の幽霊かもしれないし、あるいは設計者である笹田の意図かもしれないが、具体的内容に笹田はあまり関心がない。ふよふよと浮かんでいる何かをひっ捕まえて読み込んでくれる装置という概念にだけ興味があり、案外それは単なる地面で実装可能なのかもと考えている。
夏季休暇に入り、笹田は実家へと帰省する。お盆の精霊馬作りはもっぱら笹田に一任されていて、笹田はプリントアウトしてきた設計図を見ながらピーラーで細かく剪断したきゅうりを繊細に組み上げる。できあがったやけに写実的な馬を携帯で撮影して、メールに添付して兄に送信してから、笹田はふと、電子データにも魂というものはあるのだろうかと考える。魂.pngという単語が即座に浮かび、いやそういうことではないだろうと首を振る。居間からは冷房の効きが悪いキッチンで長時間作業する息子を心配した母が「裕次」と笹田を呼んでいて、笹田は慌てて携帯をしまう。しまってから再び取り出して、表示されている写真ファイルを強めにスワイプしてフォルダに移動させる。何かの何かがどこかに飛んで行ったかもしれず、飛んで行っていないかもしれない。
墓守 柑橘 @sudachi_1106
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