第7話『監督』

なぜか俺は野球部のグランドにきていた。

グランドでアップする野球部の人達を、ベンチから眺めている。


「なぜこうなった?」


俺が野球部のグランドにきた経緯はこうだ。


放課後、帰ろうとする俺を白雪が引き止める。


「ねぇ、赤羽くん。一回でいいから野球部の練習こない?」

「何度言えば分かるんだ。絶対行かないって言ってるだろ」


引き止める白雪を振り切って、下駄箱へと向かうが、白雪も引き下がらない。


「お願い!一回でいいから!」

「しつこいんだよお前!いい加減にしろ!」


数日続いたしつこい勧誘に、とうとうキレてしまった俺は、下駄箱で白雪に怒鳴ってしまった。


「そ…そんなに怒らなくても…」


泣き出してしまった白雪。


下駄箱に集まっている生徒達の視線が痛い。


「どうして…なんで話も聞いてくれないの…」


涙声で話す白雪の目から涙がこぼれてくる。


「わ、分かったから。行くから。頼む、泣き止んでくれ」

「…本当に?」

「行くから。だから泣き止んでくれ」

「嘘ついたら、また泣くからね」


と、まぁ、こういった経緯で今に至る慶。


グランドに入った瞬間から、左肩がずっと痛んでいた。


飛び上がる程の激痛というわけではないが、ずっと同じ間隔で痛みが続いている感覚がして、座っているだけでも苦痛だった。


キャッチボールに入る前、マネージャーの姿に着替えた白雪がきた。


「どうかな?」

「どうかな?って、ただのアップだろ」

「違う!私の格好はどうかな?って」

「あ?別に、普通のマネージャーって感じ」

「あ、そうですか!」


怒った白雪は、部室に向かって足を強めて歩き出した。


なぜ白雪が怒ったのか分からないが、まぁそんなことはどうでもよく。早く帰りたいと慶は思っていた。


キャッチボールをしていた部員に緊張感が漂い、全員が帽子を取って挨拶をした。


「こんちわー!」

「はい、こんにちは」


ユニフォーム姿の白髪で年配の人は、ゆっくりした足どりで慶の方へと向かってきた。


「こんにちは」

「こ、こんちは」


人の良さそうな笑顔で笑うその人は、慶の隣に座ると、キャッチボールを終えた部員が集まってきた。


「今日はどうする千石せんごく?」

「はいっ!今日は、バッティングを中心に行い、投手は志願した人だけでブルペンに入るようにします!」

「うん。いいだろう」


千石と呼ばれていた人が号令を出すと、部員はバッティング練習の準備に入った。


暫くすると、金属バット独特の打球音がグランドに響く。


隣の人は、何も言わずにただただグランドを見ていた。


「清原監督、こんにちは!」

「ん?おぉ、白雪か。こんにちは」


白雪とあと2人、マネージャーだと思う人が挨拶にきたが、すぐにグランドへと向かって行く。



鋭い目つきの人と目が合ったが、少し母親に似ていて苦手意識を感じた慶はすぐに目を逸らした。


また、2人きりとなった慶達。

無言が続く中、慶が帰ろうと思った時、監督が口を開いた。


「君は野球が嫌いか?」


その問に、左肩の痛みが増した。


「…嫌いです」

「そうかそうか。でも、君は昔、とても楽しそうに野球をしていた印象だけどね」

「え?」

「勝つと喜び。負けると悔しくて泣き。負けたくないから、誰よりも練習していたな」


清原監督の横顔に目をやるが、その顔に見覚えはなかった。


「先生は、昔の自分を知っているんですか?」

「あぁ、知ってるとも。君が赤羽響の息子だということもね」


『赤羽響』という名前を聞いて、左肩の痛みが増して顔が歪んだ。


そして、中学時代の事を思い出した。


俺が赤羽響の息子だと知った野球部の顧問にしつこく野球部に入るように言われ続けたことを。


誰も俺なんか見ていないんだ。

みんな、とーさんの姿しか見ていないんだ。


確かに、とーさんは一流のプロ野球選手で、いくつものタイトルと成績を残してきた。


でも、みんなは、とーさんの本当の姿を知らないからそう見えるんだ。


本当の、俺の知っている赤羽響は、尊敬できる父親なんかじゃない。


尊敬できるプロ野球選手なんかじゃない。


アイツは、アイツは俺から野球を奪った。


俺には、俺には野球しかなかったのに、それをあの人は、あの男は…


気づけば強く拳を握り締めていた。


「本当はまだ、野球が好きなんじゃないのか?」


清原監督は言葉を続ける。


「本当はまだ、野球がやりたいんじゃないのか?」


何も言葉が出てこない慶。


「本当にやりたいならやればいい。本当にやりたくないのなら、やらなければいい。君達みたいな若者はやりたい事を全力でやればいい。やりたくない事を全力でやるのは、大人だけでいい」


清原監督は立ち上がった。


「俺の目には、赤羽響の姿は見えなかった。赤羽慶という、1人の選手しか目に映らなかった」


清原監督は転がってきたボールを拾うと、慶の左手にボールを握らせた。


「自分の人生だ。最後は自分で決めなさい」


そう言い、清原監督はグランドへと向かって行った。


生まれて初めて、赤羽響の息子という肩書を見ずに、自分を見てくれた事に、慶の心は激しく動き出した。


「赤羽くん?」


声をかけてきたのは白雪だった。


「…泣いてるの?」

「え…」


気づけばいつの間にか、涙をこぼしていた慶。


「どうしたの?」

「ごめん、白雪。俺、帰るよ」


鞄を持ち、ボールを握りしめながら走ってグランドを去っていく。


「え、あ、赤羽くん!?」


校門に着くと、息が乱れて苦しかった。


呼吸を整えようとするが、息は乱れるばかりだ。


左手に握っているボールを握り締め、乱れた息のまま歩きだす。


電車の中でもずっとボールを握り締めていた慶は、電車の窓から見える景色を見つめている。


窓に映る自分の顔は、笑ってるように見えた。

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