第9話 勧誘

翌日。


 美優が出社して来た姿を見て、部署内にいる社員たちは騒然となる。

 それもそのはずで、彼女は左頬にガーゼを貼りつけ、頭と右腕には包帯が巻かれているからだ。

 注意して見てみないと気がつかないが、どうやらわずかに足を引きずってもいるようだった。

 見るからに痛々しく、本来なら誰かが手を貸してやらなければならないところなのだろう。

 だが美優の態度はあまりにも毅然とした姿で、顔には笑みを浮かべてさえいるのだ。それが異様な雰囲気を醸し出していて、誰も彼女に声をかけることができないでいたのだった。


 真っ直ぐに歩いて行き、美優は自分のデスクの上にバッグを置いた。


「おはようございます。山田さん」


 向いにいる山田は、この中の誰よりも驚いた表情を浮かべていた。

 わずかに口が動いた。

「どうして……」

 きっとそう言ったのだろう。

 美優は山田を見て、意味ありげに頬を持ち上げる。

「どうも、大変お世話になりました」


          *

「山田さん」

 例の公園のベンチに座って呆然としていた山田は、その声にハッと我に返る。

 美優の姿を見つけると表情を引きつらせると、慌てて逃げようとするのだった。

「待って!」

 後を追うのだが、いかんせんトラックに轢き殺されそうになった次の日だ。

 足がもつれてしまい、あえなくその場に転んでしまうのだった。

「イタタタッ」

 膝を擦りむいてしまい、そこから血が出ている。

「どうして辞めないの?」

 顔を上げると、美優の足から脱げて飛んでいったパンプスを手に持った山田がいた。

 怒っているような、それでいて泣き出しそうな──なんとも表現し難い表情を浮かべていた。

「あんな目に遭ったんだから、もう来なくていいじゃん……殺されかかったんだよ……何考えてんの……」

「でも、殺さなかった」

 美優はヨロヨロと立ち上がる。

「トラックが目の前に来てから突き飛ばせば良かったのに──あれだと絶対に轢かれないから。

 まっ、派手に転んだおかげで、この有様だけどね」

 ケンケンしながらベンチまで行くと、そこに腰を下ろす。

 身体中が痛むため、自然としかめっ面になってしまう。

 山田は美優の前にパンプスを置くと、彼女もまた隣に座った。

「どうしてわたしだってわかったの?」

「部長に脅されてるんでしょ」

「やっぱり、アレ見たんだ……」

「うん……」

 英介のスマートフォンの中には、数々の女と撮った写真や画像が保存されていた。その中には明らかに同意を得ず行為に及んでいるものも少なくなかったのだ。

 その中に、山田の姿を見つけたのだった。

「部長に飲みに誘われたの……」

 山田はポツリポツリと、まるで雫が落ちるように呟くのだった。

「断ったんだけど……親睦を深めるためだって言われて……仕方なくついて行ったら、他の人たちはいなくて……気がついたら複数の男の人に囲まれてて……」

「警察には?」

 山田は激しく頭を振った。

「このことを誰かに言ったら、その時は画像をばら撒くって言われて……」

 それを聞き、美優は合点がいった。

 英介がやたらと山田に対して当たりが強いことと、彼女がやけに素直に従う理由が。


 ただ──


「どうして私を突き飛ばしたりしたの?」

 山田は膝の上に置いた手をモジモジさせた。

「わたし……会社の内偵もさせられてるの……」

 美優は眉根を寄せた。

「それって脱税とかの不正を行ってる社員を調べることよね?」

「わたしの場合、部長の愛人たちのことを調べるように言われてて──例えば部長との仲をSNSに上げてないかとか、社内で言いふらしてないかを調べるの。

 もしもそんな子がいたら報告して解雇したり、違う部署に飛ばしたり──とにかく社長やお嬢さんにバレないようにするのがわたしの仕事で」

 呆れるしかなかった。

 婚約者に知られたくなければ、女遊びなどしなければいいだけだ。

「私のことを調べるように言われたの?」

「言われてない。でも、絶対に調べるようにって言われるのわかってる。だって横山さんは美人だから」

 チラリと美優を見る。

「マークしてたら、ビラを撒いてて──」

「でも、そのことを部長には報告してないんだよね」

 誹謗中傷してるのがバレているのなら、英介は美優の誘いにはのって来なかったはずだ。正社員たちに比べれば、派遣社員などどうとでも理由をつけて解雇できるからだ。

「どうして黙ってたの?」

「だって、わたしに優しくしてくれたのは横山さんだけだから──少し怖い目に遭わせれば、辞めてくれるかなって思って……」

 美優は山田の手を握る。

 ハッと顔を上げた山田の目には涙が溢れんばかりに溜まっていた。

「ねえ」

 美優は真剣な眼差しで山田を見据えた。

「私と手を組まない?」

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