第6話 撒餌
ランチを終えて会社に戻ると、社員たちがビルの前にチラホラと集まり出していた。
社長とそのご令嬢がやって来るのを出迎えるためだ。
社員たちからは、「めんどくせえな」とつぶやく者、「なんで部長の点数稼ぎのための俺たちが」と露骨に顔をしかめるなど不満げな様子がありありと見える。
(どうやら愛人にしてる女の子たち以外には、すこぶる嫌われてるみたいね)
美優が整列する社員たちの後方に陣取っていると、ビルの前に黒塗りの高級車が到着する。
素早く運転手が後部席のドアを開けると、丸々と太った中年男が出て来たのだった。60代くらいか、髪の毛がやや淋しくなっている。
「どうもお義父さん! お待ちしておりました!」
小走りにやって来た英介は、揉み手をさんばかりに腰を屈めて中年男に擦り寄るのだった。
「英介くん、しっかりやっとるかね」
「はい! おかげさまで」
美優は社員たちの隙間から覗き見る。
(あれが英介の義父で──)
後から出て来た女に視線を向けた。
(で、あの子が英介の婚約者ってわけか)
いかにも気が強そうな女性だ。
髪の毛を明るく染めていて、メイクも派手な感じだ。
いかにも英介が好みそうな娘だ、と美優は苦笑するのだった。
「さあ。婿殿の仕事ぶりを見させてもらうとするかな」
社長が薄くなって頭を撫でると、すかさず英介が先導するのだった。
「お義父さん、どうぞこちらへ。梨花さんも足元にはお気をつけて」
紳士的に手を添えてエスコートをしてやっている。
英介のこの如才のなさが、バツイチでありながらちゃっかりと社長の1人娘に取り入れた所以なのだろう。
それは部署に行っても発揮されていた。
普段は椅子にふんぞり返っているだけなのに、ここぞとばかりに部下たちに指示を出しているのだ。
それを満足げに見ている社長と娘の梨花。
「おい! 山田!」
「は、はい……」
「何をしてる! お茶をお出ししないか!」
気が利かない奴だ、と英介は吐き捨てた後、すかさず社長たちに向き直り「すみません。わたしがいちいち言わないとここは回らなくて」とアピールに余念がない。
そんな英介を尻目にいそいそと立ち上がる山田の肩に、美優は手をかけた。
「私、やりますよ」
「え? でも……」
「雑用は派遣の私がやります。それに山田さんじゃないと──」
ふと見ると男性社員がパソコンの画面の前で明らかに手間取っては様子だ。
美優は「ね?」とうなずく。
「すみません……じゃ、横山さんにお願いしてもいいですか?」
「もちろん」
給湯室に行くと、すぐにコーヒーカップを3つ、お盆にのせて戻って来る。
「お待たせいたしました」
「ん?」
英介が美優を見る。
「君、うちの子?」
「はい。派遣で雇っていただいた横山と言います」
「そうなんだ」
美優の体を舐め回すように視線が絡みついて来る。が、そんなことなど気がついていないフリをしながら、コーヒーをテーブルの上に置いていく。
と、その時──床に敷かれた絨毯の繋ぎ目にヒールの踵が引っかかる。そのことで美優はバランスを崩す。
「キャッ!」
お盆の上にあったコーヒーは、英介の下半身に向かってひっくり返るのだった。
「アチチチチ!」
英介は飛び上がってコーヒーカップを払いのけた。
「いけない! 私ったらなんてことを!」
美優はその場に膝をついてしゃがみ込むと、ハンカチで英介の股間を拭う。
「申し訳ありません! ああ、スーツがシミになってしまう……」
入念に拭いていると、徐々にそこは「硬く」なっていくのを見逃さなかった。
「部長! どうかお許しください! クリーニング代はお支払いしますので」
潤んだ目で見上げる。
明らかに美優のインナーから覗く胸元を見ていたのだろう。
英介は鼻の下を伸ばしている。
「い、いや。気にしなくていいよ。これくらいのことはなんでもないさ」
義父たちの前で度量の大きさを見せつけたかったのか?
違う、と美優は確信していた。
(私に興味を持ったの? なんてわかりやすい男なんだ)
美優は心の中で思い切り蔑むのだった。
(英介の浮気相手を徹底的に調べて、好みを調べて整形した甲斐があった)
美優はコーヒーにまみれた英介の股の間にそっと手を添えると、艶かしく見上げ、唇の両端を持ち上げたのだった。
英介の鼻の下はさらに伸びていた。
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