第5話 先制

「ここ、いいですか?」

 美優が声をかけると、山田はそこで初めて彼女の存在に気がついたかのようにハッと顔を上げた。

「え、ええ……どうぞ」

 そう言って山田は尻をずらすと、ベンチの端にスペースを作った。


 ここは美優たちが勤めている会社から、歩いて五分ほどのところにある公園だ。


 とは言ってもいわゆる「滑り台」や「ジャングルジム」といった遊具は設置されていない。

 芝生を敷いた、だだっ広いスペースがあり、そこここにベンチが備え付けられているだけだ。

 公園と呼んでいるのは便宜上なだけで、正確には広場ということになるのだろう。

 外周は遊歩道になっていて、ウォーキングやジョギング、犬の散歩などを楽しんでいる人たちがいる。それ以外の人はキャッチボールしている人もいるが、ほとんどは備え付けられたベンチでランチをしているという状態だ。


「驚きましたよね」

 美優はベンチに腰を下ろすと、膝の上に置いた手作りのお弁当を広げた。

「今朝みたいなことって、よくあるんですか?」

 美優は前を向いたまま卵焼きを頬張った。

「出社したら、『ワタシは部長のサカガミエイスケに遊ばれた!』なんて張り紙が会社のあちこちにばら撒かれてるんですもんね。驚いちゃいましたよ」

 山田も「ですね」とサンドイッチにかじりつく。

「部長を中傷するビラをまかれたのは初めてですけど……遅かれ早かれ、こんなことは起こってても不思議じゃないです」

「やっぱり部長に遊ばれた女性がやったんですかね」

「たぶん……」

 美優は楽しげに笑う。

「部長さん、怒ってましたね。『犯人は誰だ!』って。『どんな手を使ってでも見つけ出してやる!』って息巻いてましてけど、見つかると思いますか?」

「社内には防犯カメラがないんで、たぶん無理かと……」

 そう言って山田はうつむいてしまう。

 そんな彼女を見て、美優も重苦しいため息をつかのだった。

「部長、酷いですよね。また山田さんに仕事を押し付けて」

「仕方がないです……午前中はほとんど仕事にならなかったので」

「でも、それってみんなでビラの回収をしてたからですよね?」

 美優は頬を膨らませる。

「全部、部長のまいた種が原因じゃないですか! だったら残業は部長がやればいいのに」

「いいんです……私さえ我慢すれば……」

 おもむろに山田の手の上に自分の手を重ねる。

「私、今日も手伝いますから!」

「ダ、ダメでよ! 派遣さんに毎日残業させるわけにはいきません。給料も出ないのに」

「いいんです。私、どうせ帰ってもやることないんで」


 それに──と心の中でつぶやいた。


(あのビラは私がまいたんだものだからね)


 そして美優はビラを見た英介の顔を思い浮かべるのだった。

 初めこそ顔を赤らめていた英介だったが、すぐに表情から色をなくしていったのだった。

(そりゃそうよね。この日は社長──つまり将来の義父と婚約者がやって来る日だものね。

 2人に『ワタシは部長のサカガミエイスケに遊ばれた!』なんてビラを見られるわけにはいかないわよね)

 美優は食べ終わったお弁当を丁寧にランチクロスに包む。

 自然と表情は険しくなるのだった。

(これはほんの先制パンチだからね。これくらいで終わりだと思わないでよ、英介。まだまだこれからだからね)

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