第9話 生存競争
シドが崖の端にまで追い詰められ達すると、怪獣によって勢いそのままに飛ばさた。下は幸い、断崖絶壁というわけではない。岩石がむき出しの斜面が続いているだけだ。ただこの斜面はかなり急で、突起が多い。到底無事に下り切ることは不可能。
シドの足が斜面に着地した瞬間、足首が折れ曲がり、体が横転する。そして斜面を転がって、勢いが増していく。いくらナノマシンによって体が強化されていようと崖の上で体勢を保つのは不可能に近い。
岩に体を強く打ち付け体が跳ねる。後ろからはシドのことを追って怪獣が斜面を下って来ていた。怪獣はまるで自分のことを心配していないかのように、速度を上げ続ける。
一方でシドも血反吐を吐きながら、体から血液をまき散らしながらも意識を保って起き上がれる瞬間を待っていた。岩に強く体を打ち付ける。体が跳ねると同時に減速し、奇跡的に体勢が取れた。
体を正常な位置に戻したシドが下に広がる崖と都市を見る。このまま下ると地面に激突して肉塊に成り果てるだろう。生存の道は一つしかない。
体が重い。だが全身に巡る血液を感じれるほどに感覚が研ぎ澄まされている。体内に蓄積されたナノマシンが全稼働し、体の傷を修復し、身が熱くなるほどの出力で血液内を循環している。
シドが斜面を下る。靴が外れ、皮膚がむき出しになった素足を岸壁に擦りつけて速度を落としながら、手を斜面につけて体勢を整える。しかしそれでは後ろから近づいて来る怪獣に追いつかれる。
シドは体を起こし、速度を緩め無事に着地することを望むのではなく、逆に斜面を蹴って走り出した。このままいけば地面に直撃し肉塊となる。無謀だ。だがシドは走る速度を上げ続ける。そして同時に背後から迫りくる怪獣も速度を上げた。
図体が大きい分、速度を上げた怪獣はすぐにシドと肉薄する。口を開け、鼻を鳴らす。
そして怪獣が噛み付こうとさらに大きく口を開いたところでシドが振り向いた。
大きく開かれた咥内からは異臭がする。そして歯と歯の間には何かの肉が挟まっていた。この肉の破片とシドが同じ道を辿るかは分からない。ただ少なくとも、そうならないように最善の努力はする。
シドは噛みつきに対して、地面に背中を向けて落下しながらも体をねじり、体勢を崩してどうにか避け――ようとしたが無理があった。シドの左腕は怪獣の歯によって抉られ肉が引き裂かれる。
血しぶきが飛び散る。骨が折れる音が響く。しかしシドの顔に苦悶の表情は無い。
それどころか逆に、歯によってすり潰され抉られた左腕を支点として体を怪獣の顔面に近づけると、右腕を怪獣の眼球にぶち込んだ。そしてぶち込んだ右腕を怪獣の眼球内でこねくりまわす。
怪獣は暴れ、首を振るがシドを振りほどくことが出来ない。食われた左腕はすでに原型を留めないほどにすり潰されている。だがすでに神経は千切れ、痛みは感じない。今はだた突っ込んだ右腕で怪獣の脳を引っこ抜くことだけしかシドの頭にはない。
そして地面へと落下する直前、シドの左腕が悲鳴を上げる。肉が破裂し、皮膚が伸び、筋繊維が千切れる断裂音が響きわたる。シドの体は怪獣から引き離されそうになるものの、しかしシドは眼球にめり込ませた右腕で、どこかの骨を掴み体を固定した。
そして勢いよく引く抜く。限界を越えて身体を破裂させるほどの出力を出したナノマシン。それによって強化されたシドの腕力は怪獣の脳内で掴んでいた頭蓋骨やそれに類似したものを眼球から引き抜く。
骨と共に細長い器官や液体が吹き出し、怪獣はより一層に暴れる。しかしシドは手を止めず、何度も突き刺し、引き抜く。絶対に殺しきるという執念。そしてシドが再度、腕をぶち込もうとしたその次の瞬間。破裂音が響きわたる。地面に落下したのだ。
「はぁ……はぁ」
シドは怪獣を下敷きにして落下した。そしてそれがクッションとなり、強い衝撃こそあったものの辛うじて生きている。一方で怪獣は衝撃で腹が破裂し、内臓が飛び出して死んでいた。
完全に死んでいる。ただシドも怪獣と戦った犠牲として左腕が動かなくなった。スプラッターにでもかけられた後のように酷い有様だ。しかしこの程度の負傷は一日もすれば回復する。排泄や尿によって排出されるのとは違い、回復にはナノマシンが使われるため体の中に蓄積したナノマシンは少なくなる。だが左腕がそれで回復するのならば安いものだ。
左腕の他にも全身の打撲。切り傷などの負傷を負った。もう動くことが出来ないほどの犠牲を払った。犠牲を払って得られたものが怪獣の死、それだけだ。仲間の元に戻れたわけでも、現状を打破する機会を得たわけでもない。
これだけの犠牲を払って成果は無し。
「まだだ……俺は戻る」
ここがどこか分からない。どこに行けばいいか分からない。絶望的な状況に置かれている。しかしそれが諦める理由にはなり得ない。シドは確固たる信念を持ち、体を引きずりながらも、また歩み出した。
◆
地下拠点は重苦しい空気に包まれていた。理由は明白。昨日からシドが帰ってきていないためだ。昨日の早朝に地下鉄内の安全を確保するため、シドが探索に出向いた。
いつもならば夜頃には帰って来る。しかし今回はいつまで経ってもシドが帰ってこない。夜を過ぎ、次の日になって昼を越しても、そして夜になってもシドの姿が未だ見えず。
焦燥感、不安、絶望。様々な感情が入り乱れ部屋には緊張感が漂っていた。思わず吐き気を催してしまうような空間だ。しかしそれほどにシドがいない今の状況は絶望的だということ。
幸いなのはこの場に子供がいないぐらいなこと。すでに子供たちが寝静まった深夜だから、だからこそ不安を隠さなくてもいい。誰も何も発さず、シドがいなくなったから起こるであろう自体に胸を詰まらせる。
シドがいなくなれば脱出するルートの模索が難しくなり、ここから逃げ出すことができずにただいらずらに食料を消費、そして追い詰められ手詰まりになる。またシドだけが唯一、怪獣と渡り合えた。だからこそ探索できた場所や任せられる仕事があった。
次からはシド以外の誰かが、犠牲を承知の上にその役割をこなさなければならない。全く、地獄のような状況。将来への展望は見込めない。だがただ一つだけ希望が残っている。
「……」
誰かが扉をノックする。トンプソンはすぐに扉の方へ近づいて扉を開けた。するとそこには埃で汚れたバングが立っていた。そしてバングの表情を見た大人たちは表情を曇らせる。
「シドはいなかった」
代わりに地下鉄を進んだところで、まるで爆発でも起きたかのように抉れた場所があった。バングはそう伝える。バングは今日、朝からシドがいなくなった地下鉄の探索に出ていた。
もしかしたらバングがシドを見つけてくれるかもしれない、手がかりを見つけてくれるかもしれない。そんな希望があったが、一瞬にして打ち砕かれた。視界が急速に狭まるように、微かに残っていた光が落下していく。
重い空気に割って入るかのようにトンプソンが口を開く。
「まだ食料はあります。これからのことは明日にしましょう。こちらでももう一度作戦を練り直してきます」
常に冷静沈着なトンプソンでさえ、動揺している。いつもならばすぐに話し合い、解決策を見つけているはずだ。しかし一旦、話を先送りにした。これには皆が動揺しておりまともに会話ができない状況であるのと同時に、トンプソンも考える時間が欲しかったためだ。
トンプソンの言葉を聞いた者達が部屋から出て自室へと戻る。当然、背中は暗い。これからのことについて思い悩んでいるのだ。そしてトンプソンは帰って来たばかりバングに耳打ちをする。
「現場の詳細と、これからの方向性について決めましょう。私達にもうシドさんはいません」
「ああ」
そうして、バングとトンプソンだけが別室でこれからのことについて話し合った。
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