第8話 焦燥と恐怖

 シドが崖の上で、破壊された街を見下ろしている。一言も発さず、瞼を痙攣させながら立ちすくんでいるだけだ。生物型怪獣が空を飛び、地を這っている。機械型の怪獣が搭載された機関銃を乱射している。そんな地獄のような光景を前にシドが出来ることは無い。

 ここがどこであるのかすら分かっていないのだ。元いた場所に帰る手段すら分かっていない。そして分かっていたとしても、この街並みを越えて帰るのは不可能に近い。

 目の前の光景が告げるように、シドは絶望的な状況に置かれていた。

 だが、とシドが両手に握り締めた戦鎚を動かす。何もかもが突然、それでいて理解不明。しかし乗り越えなければならない。拠点には多くの仲間がいる。シドは自身の価値を十分に把握している。少なくとも、外へと繋がる通路を発見するまでは生きて、そして帰って仲間を助けなければならない。

 シドが振り向く。すると見えてきたのはどこまでも続く灰色の荒野と、一体の生物型怪獣だ。猪のような、しかし正規の進化を遂げたとは思えないほどにありえない見た目をしている。進化の過程の中で、明らかに人為的な手が加えれたような巨大且つ獰猛な見た目だ。思わず身震いしてしまいそうになるほどに、恐怖を感じさせる生物型の怪獣がシドの背後にいた。

 そしてシドが振り返ると共に、その生物型怪獣と目が合った。


「…………」


 驚きはない。背後に怪獣がいることぐらいシドならば見なくても気がつける。あるとしたら怪獣の見た目が昨日、地下鉄内で討伐した怪獣と酷似していたことについてだけだ。

 焦りはない。目の前の怪獣に戦鎚を叩きつければ良いだけだ。

 両手で持った戦鎚を片手だけに持ち替え杭の部分で地面を抉りながら動かす。砂塵が舞い散り、シドの足元を隠す。

 両者がゆっくりと向き合い、最初に動いたのは生物型怪獣だった。怪獣はシドを視認したと同時に突進を開始する。砂塵を巻き上げながら口を広げ、大地を震わせながら高速で近づく。

 一方でシドは焦らない。一歩も動かず、高速で接近する怪獣を見るだけだ。

 目の前の怪獣がシドの元にまで来るのにそう時間は要さない。恐らく5秒もあればシドをその巨体で吹き飛ばすことが出来る。だがシドの体感では、その5秒という時間はあまりにも長すぎた。限界まで引き延ばされた集中が目の前の光景をすべて鈍化させているからだ。

 

 怪獣が一歩、近づく。その度に脂肪が揺れ、砂塵が巻き上がる。開いた口から白い息が吹き出し、黄色く濁った歯からは涎が巻き散らかされている。そんな光景がとてもゆっくりと流れる。まるで走馬灯だ。だがシドに死ぬ気はない。当然に討伐し、当然に生きて帰る。


「……ふぅ」


 戦鎚を握り締める手に力を入れる。

 首を振るたびに飛び散るよだれ。荒い呼吸音。まばたき。普通に生きていれば分からないような小さな変化が、今はとてもよく見える、聞こえる。怪獣が一歩、近づく度に地面が揺れて、体が跳ねる。

 あまりにも巨大な死神が、目の前から高速で迫ってきている。

 戦鎚が地面を抉りながら僅かに揺れる。浮き上がり、爆破の準備が整う。


 怪獣がすでに目前にまで迫っている。高速で動く巨体によって空気が破裂する音が聞こえる。

 シドの身体を回るナノマシンが出力を最大まで上昇させる。

 怪獣の顔が至近距離にまで迫った。自然と息がつまる。脂汗が一気に滲みだす感覚を覚え、悪寒を覚える。瞳孔が極限にまで開き、味覚が消えた。


「―――――!」


 それまで静けさに包まれていた空気が破裂した。目前にまで迫った怪獣がシドに体をぶつけるよりも早く、戦鎚を顔面にぶち込んだためだ。引き起こされた爆発により目前で爆発が起き、熱波がシドの顔を焼く。しかしナノマシンによって強化された身体は少しの火傷ならば一瞬で回復する。

 この程度は問題が無い。

 シドは通常より早く、重く、力を込めて戦鎚を打ち込んだ。それにより爆発は強化され一撃で敵を破壊しうる破壊力を手に入れた。

 だが。

 怪獣は死なず。


「――ッくッッ」


 怪獣は煙を切って姿を現した。シドは早急に次の攻撃を繰り出そうと戦鎚を振り回す。しかし怪獣がシドの肉体を吹き飛ばす方が先だった。

 岩石の如き巨体がシドの肉体へとめり込む。衝撃でシドは潰れ、内臓が圧迫される。

 そして衝撃によってシドが勢いよく背後へと飛ばされた。投げ出された体は岩で突起がある地面と擦れあいながら転がる。飛び出た岩の先端が防護服を裂いて、服を破いて、皮膚を切って、肉をえぐった。それでも尚、勢いは止まらずシドは崖の上を転がり続ける。その中で何度も体を切り裂き、腕や足、胴体に至るまで。額にも深く傷が残った。

 勢いが収まるとシドがにぶい動きで膝から立ち上がる。自問自答を繰り返しながら。


(こいつ……)


 普段、シドが戦っている怪獣よりも遥かに強い。シドにも勝てない怪獣はいくらでもいる。単純に巨体であったり、防御装甲によってシドでも貫けぬ防御力を保有している個体だ。

 しかし今、相対している怪獣は大きな個体というわけでもなく、特殊な防御装甲があるわけでもない。今までならば戦鎚を叩きこめば殺すまではいかなくとも十分に弱らせられていたはず。


「硬ぇな」


 傷一つ負っていない。強いてあげるとするのならば爆発によって皮膚が少し焦げ、衝撃によって皮膚がめくれているぐらいなもの。そんなものは致命傷では無く、状況を打破する鍵にはなり得ない。

 シドが頭を上げた時にはすでに怪獣が走り出していた。一瞬にしてシドの目前にまで迫り巨体をぶつける。


「――――ックッソがあああ!」


 戦鎚の杭部分を怪獣に突き刺すが止まらず、シドはから手を離し両手で怪獣を抑える。勢いによってシドの体は崖の縁へと押し出されていく。足場は悪く、踏み留まれる場所が無い。加えて細かい砂が地面を覆っているためよく滑る。

 ナノマシンの出力を上げようが怪獣の勢いは止まらない。ずるずると一瞬で、シドは崖の縁へと案内される。


「こい――――っ!!」


 シドは立ち止まることができず、怪獣と共に崖から落下した。

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