第10話 座標は不明

 すでに朽ち果てた施設の中でシドが壁に背を預けて座り込んでいた。左腕には布を巻きつけて出血を抑えている。崖を下る時に体勢を整えるため力を入れた足の裏や手のひら皮膚が残っておらず、赤い肉が見えている。

 息が止まるほどの激痛。手のひらに布を巻き付かせようにも左腕がほぼ動かないので、難しい。激痛のため歯が震え、布を口で噛んで腕の代わりにするのも困難だ。出血多量で目の前は暗くなり始めているし、体は冷たくなっているような気がする。だがそれでも動き続けなければならない。

 幸い、ナノマシンのおかげで常人ならば致命傷であるこの負傷が、ただの重症程度に落ち着いている。シドには時間が残されていない。ゆっくりと休んでいる時間は無い。


 まずはここがどこで、どの方向に向かえば良いのか、それを正しく知る必要がある。そう思ってシドはこの施設の中に入って来た。ショッピングモールのような多様な店が内包された建物だ。

 怪獣によって半壊し、ほぼ原形を留めていないものの現在地を示す記号、写真ぐらいは落ちている可能性がある。シドは壁に背を預けたままゆっくりと立ち上がり、そして壁に立てかけて置いてあった戦鎚を握り締める。

 怪獣の頭部に突き刺したままどこかに行ってしまっていた戦鎚だが、シドが落下してから少しして崖の上から降って来た。恐らく、どこかの壁面に引っかかっていたのだろう。ちょうど武器が無かったシドにとってはありがたいものだ。

 しかし戦鎚があったところで状況が大きく変わるかと問われれば返答は厳しいものになる。ナノマシンを回復に使っているため、現在のシドは身体強化の出力が弱まっている状態。それでいて負傷もあり動きにくくもなっている。

 怪獣に出くわしてしまったらまず勝てない。だからまずは出会わないことを第一に行動する必要がある。幸い、今のところはこの施設に怪獣がいるような気配がない。当然、警戒はするものの探索が不可能ではないことに感謝しながら、シドが施設内を歩き回る。

 建物中へと入り、破け布同然になった服を拾い上げ何かしらの情報が刻まれていないかと確認する。しかし奇抜な服ではあるものの、これといって有効な手掛かりは見つからない。

 シドはさらに探索を進める。飲食店、服屋、雑貨屋、様々なところを見て回り、数々の商品を見る。そして一つ、気が付いたことがある。


(やっぱり……この文字読めないな)


 シドが知っている文字ではない。恐らく知らないのはただ単にシドが無知だから。怪獣によって情報が分断される前にはこのような言語が使われている地域もあったのだろう。

 しかし少なくともシドには分からない。読むことも当然に出来ない。これにより手に入って来る情報がかなり制限されることになった。ただ一つ分かるのは、シドが使っていた言語とはまた違う言語が話されている地域ということ。つまり、シドが元いた場所とこことはかなり離れているということになる。

 

「……クソ」


 小さく吐き捨てる。

 もしこの予測が正しいのならばシドが元いた場所に帰れる可能性は限りなく低くなる。今はもう予測と異なっていることを祈ることしかできない。だがこうなってくると途端に焦燥感が噴き出してくる。まだここがどこであるのかすら分かっていないのだ。

 どれだけ遠かろうと場所さえ分かっていれば進む方角が分かる。

 戻れないという不安感、早く帰らなければという焦燥感。過呼吸になってしまうほどの動揺がシドを襲う。しかしシドは一度息を吐いて心を整える。怪獣と何十回と殺し合ってきた、時には危機的状況に瀕した時もあった。だがどうにかして生き延びてきた。


(今だ、今だけでいい)


 心の中で唱える。次のことを考えて行動するのは大事だ。しかし何よりも今が大切なのだ。立ち止まることは時間の無駄、悩むのは余計だ。シドはただやるべきことをやって、すべてが終わった時に初めて未来のことを考えればいい。

 ただやるべきことを。それだけを考えて……。


「……ッチ」


 通路の左右にある店から三体の怪獣が現れる。犬のような四足歩行の生物型怪獣だ。怪獣にしては例外的なほどに小さい。だがシドの身長と同等か、少し小さいかという程度には巨大な体躯をしている。毛皮があり分厚く柔軟な皮膚。内臓までは遠いだろう。それいて三体が共に出て来たということは連携をするタイプ。

 あの程度の大きさならば戦鎚で殺しきれる。だが先ほどの戦闘で猪のような生物型怪獣を一発で殺せなかったことや、怪獣が三体いること、負傷は深く体調は万全では無いことを踏まえると厳しい戦いを強いられる可能性がある。

 だが相手の方が足が速く逃げることは出来ない。こうして向かい合ってしまったのならばあとは戦うのみ。

 痛む体を動かし、戦鎚を握る手に力を籠める

 そしてシドから動こうとしたその瞬間、シドの背後から足音が聞こえた。悪寒、危機、そんなことを感じながらシドが振り向くと隠れていたもう一体の犬型怪獣が口を開いて飛び掛かって来ていた。


(―――こいつらッ)


 道を塞いだ三体は注意を引くため、背後で奇襲仕掛けてきたのが本命。狩りが洗練されている、経験と生まれつき備わっている本能か。いずれにしてもシドが危機的状況に晒されていることには変わりない。

 筋繊維が千切れ、血が噴き出しながらもシドは戦鎚を振り回し、背後にいた怪獣の顔面を吹き飛ばす。火薬の爆発と共に怪獣の体は吹き飛ばされ、眼球が宙を舞った。だがまだ生きている。

 しかし、追撃を仕掛けている暇は無い。

 シドが振り向いて正面を見た時、すでに三体の怪獣が目前にまで迫っていた。一体が飛び掛かり、もう二体が両端から姿勢を低くしてシドの足を狙っている。三体の内、一体しか狙うことができない。

 どこから仕留めるか、両端の二体を狙ったのならば片方を殺し損ね、飛び掛かってくるもう一体の攻撃を受ける。だからいって両端の二体を放置し、飛び掛かってくるもう一体に対処するのも隙が大きすぎる。

 時間としては1秒にも満たない逡巡。 

 シドは最適解を導き出す。

 戦鎚を振りかぶることなく、地面に叩きつけ戦鎚を柱として体を持ち上げる。そして戦鎚を地面に叩きつけた衝撃で爆発が起き、周囲を黒煙が包み込む。それにより両端から来た怪獣たちはシドを捕らえることができず、また噛みつくことができなかった。

 一方でシドは黒煙から手を伸ばし、飛び掛かって来る怪獣の眼球に腕を突っ込む。

 そして戦鎚から手を離すと、眼球に入れた腕を支点にして飛び掛かって来た怪獣の背に抱き着く。左手を怪獣の眼球に入れたまま、体を固定させると先ほど手を離し、重力に従って倒れ行く戦鎚をもう一度握り締めると、両端から来た怪獣の一体に向けて戦鎚を振り下ろす。

 怪獣にまたがったままということもあり威力は出なかったが、一時的に行動不能にする程度の負傷を与えることができた。と、同時に残ったもう一体の怪獣がシドに襲い掛かる。

 だが、シドは跨っている怪獣の頭部を眼球に刺した左腕を器用に使い、動かし残った怪獣がシドに噛みつこうとするのを防ぐ。怪獣の歯はレイの代わりに毛皮と厚い皮膚を有した仲間に突き刺さり、噛まれた方の怪獣が頭を振って悲鳴を上げる。

 その際にシドは怪獣から飛び降り、今度は戦鎚を両手で握り締める。

 だがそれと同時に最初、シドの背後から奇襲を仕掛けてきた怪獣が回復し起き上がろうとしていた。頭をふり、頭部から血や肉を流し、落としながらもシドをその赤い眼球で見る。

 そして強靭な脚力でシドとの距離を一瞬で詰めると噛みつく――――寸前でシドは先ほど仲間の頭部に噛みついた個体に向けて戦鎚の杭の部分を怪獣の顎に突き刺す。そして強引に、力任せに怪獣を振り回し噛み付こうとする個体に向けてピンボールのように衝突させる。

 その過程の中で振り回された怪獣には杭が深々と突き刺さり、仲間に当たると同時に顎から破壊され頭部の下半分がそのまま千切れ飛んだ。一方で仲間をぶつけられた個体はそれで負傷ことしなかったものの、僅かに怯んだ。

 後退し、視線が下がり、意識が削がれる。そして意識が完全に戻った時、怪獣の視界には戦鎚を両手で持ち振り上げるシドの姿があった。怪獣は避けようといたものの、戦鎚が振り下ろされる速度の方が遥かに早く。

 全力で降り降ろされた戦鎚が怪獣の頭部に衝突すると共に火薬が爆発し、肉がはじけ飛び、頭蓋骨にひびが入り、脳が潰される。

 

 僅か15秒にも満たない攻防。

 だが勝負はついた。まだ二体ほど息はしているものの片方は死にかけ、片方は眼球を失い且つ脳が少し抉れて、まともに立つことすらできていない。


「……ったく」


 無駄に火薬を使用し、ナノマシンの消費を速めてしまった。シドはその点に反省しつつ、残る二体に向けて戦鎚を振り下ろした。

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エーオンアポリア 豆坂田 @mamesakata

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