第48話


「楠木様、お久しぶりでございます!あら!あらあら!御妻君様?そちらの娘御様は御子神の?あらあら!熾、ちゃんとご挨拶したの?」

 パタパタと駆け寄ってきたその女性は、来るなりにこにこと朗らかに喋り始めた。入れ替わりで火之迦さんは「俺は戻る。」とだけ言い残してさっさと来た方へ戻っていった。



「瑞葉姫、お元気そうで何よりです。」

「楠木様、もう!こんな隅っこでまでそんな仰り様はおやめ下さいまし。こちらだって恐縮いたしますのよ。」

「はは、そう?変わらないね、君は。」

 楠木さんは気のおけない様子で笑った。

「私の妻の雪溪と、娘の幸姫です。こちらは瑞葉姫、火之迦の御妻君だよ。」

 つい目を丸くしてしまった。あのいかつい火乃迦さんの。さっちゃんが「ほわぁ」と呟いたのを慌てて背中を正させる。瑞葉姫はニコニコとさっちゃんにも微笑みかけてくれた。

「雪溪様に幸姫様、お目にかかれて光栄ですわ、火之迦具津智の妻の瑞葉でございます。」

 さっちゃんと一緒に、できるだけ丁寧に礼をとる。ちょっと慣れてきた気がする。瑞葉姫も同じように返してくれた。

「園遊始に連れてくるのは初めてなんだ。気にかけてやってくれるとありがたい。」

「お会いできてうれしいです。何でもお聞きになってね。」

「ありがとう存じます。」

「幸姫。瑞葉姫も主上の御子神だから、幸姫にとっては姉にあたる御方だよ。よく学ばせていただきなさい。」

「楠木様ったら!」

 瑞葉姫は軽く楠木さんの肩を袖で叩いた。

「ねえ、熾津火子様。素晴らしいお方だね?」

 楠木さんは、先程までより少し親しげに熾津火子くんに微笑みかけた。熾津火子くんはにっこりとして頷く。

「はい。」

「あらぁ!それより熾!素晴らしかったわ!お父様はそれはも~う驚いて喜んで、半泣きになっちゃって周りを放って飛び出していってしまわれたのよ。私だってすぐに熾のところへ行きたかったのにあのひとったら…え?なに?」

 瑞葉姫はきゃらきゃらと笑いながら流れるように話し続け、そして固まった。







「私は、思慮が足らなかったと思います。母上もがっかりさせてしまって、ごめんなさい。」

「熾津火子、いいのよ。これまで、よく頑張ってきたわ。」

 しょんぼりと謝る熾津火子くんの肩を撫でながら、瑞葉姫は優しく声を掛ける。

「あのね、破邪の馬は昔からそうなのよ。うまく出来る御子神なんてそうそう居なかったのよ。みんな恥をかくのが嫌だから次の御子神が生まれたら譲りたがってね、前にも話したと思うけれど、私もすっごく嫌だった!お酒くさいる神たちがあれが駄目だのこれがなってないだの、ただ肴にされるだけのためにずっと鍛錬しなきゃいけなかったんだもの。」

「あらまぁ、瑞葉様もお努めになったんですか!」

 てっきり男の子だけなのかと思ったら、女の子でも関係ないらしい。ということはさっちゃんに後任が回ってくるというのも、本当にありえなくはない話だと内心どきどきしだす。

「そうなの!昔はもっと下品だったわ!野次とか飛んでくるんだもの、ほんっとに今から考えるとありえない。」

 瑞葉姫は熾津火子くんを撫でながらプンプン怒ってみせる。熾津火子くんはちょっと気分が上向いてきたようで、撫でられつつ上目遣いで瑞葉姫に応えた。

「それで父上に稽古をつけてもらったのが、父上と母上の馴れ初めなのでしょう。」

「熾ったら、よく覚えているのね。そうよー、そうなの、そうなんだけどねっ!でもお稽古なんかなくたってお父様とお近づきになる機会はあったと思う!」

 瑞葉姫はちょっと頬を赤らめて、ぷりぷりしたりにやにやしたり。

 熾津火子くんがおっとりしているのは、この御母君の影響なんだろう。火乃迦さんだけじゃ、こんな朗らかに笑う子には育つまい。


「今でもなんで残っているんだか、年の初めの恒例みたいになっちゃってるから、やめられないでここまできちゃったのよね。」

「へえー。」

「熾は寧ろ、馬を馳せるのはとっても上手だと思うのよ。馬から転げ落ちて弓どころじゃない御子だとか、まっすぐ馳せられなくてどっかいっちゃう御子だっていたもの。」

「神様でもうまくいかないものなんですねぇ。」

「雪渓様、天津神をかってくださっているようで光栄ですわ?私も何年もやらされたけれど、結局最後まで馬から落ちずに馬場を走り切るので精いっぱいだったわ。矢はへにょへにょ何処かへいっちゃってねぇ。」

 瑞葉姫はいたずらっぽく首を傾げてみせる。楠木さんまで吹き出した。

「楠木さんもやったんですか?」

「私?私はやっていないよ。」

「なあんだ。笑うから、上手にできたのかと思った。」

 楠木さんは「とんでもない」と首を振る。

「私にはとても無理だよ。破邪の馬はね、昔あった鬼祓いの一件がもとになった行事なんだ。久しぶりに見ると、やはり感慨深いね。」

「鬼祓いってなに?」

 さっちゃんが尋ねる。

「悪さをしにきた鬼を、高天原の外へ追い払うんだよ。昔は今のように地盤が整えられていなかったから、鬼門から鬼がよくやってきていたんだ。」

「鬼は悪さをするの?なんで?」

「なんで…なんでだろうね。」

「鬼門ってなに?」

「鬼門がどういう仕組みになっているのか、お父様もよく分からない。ただ、栴殿が整地してくれたおかげで今は鬼門は綴じてあるんだそうだよ。」

「また栴様の話だね。」

「ふふ、そうだね。」

「幸、今日なでなで出来る?」

「う、うーん、どうだろうな~…」

 瑞葉姫たちの手前、楠木さんはちょっと恥ずかしそうに笑ってごまかす。


「幸姫、なでるって、栴の宰相殿を?楠木様は…栴の宰相殿下が恐ろしくはないのですか?」

 熾津火子くんが心配そうに尋ねる。

「うーん…熾津火子様もいろいろ聞くだろうけれど。どのような御方だと思いますか?」

 楠木さんに問い返されて、熾津火子くんは言いにくそうにさっちゃんをちらりと見る。

「私はあまり栴の宰相殿と同席することがないのでお人柄は詳しくは存じませんが…高天原は、栴の宰相殿が来られて大層変わったと父から聞きました。事実、焔は武官の一族ですが私を含め未だ鬼と対峙したことのない者も少なくないです。父は、栴の宰相殿はそれをも見越して高天原を庇護しているのでは、と…」

「なるほど。」

「あまり宴席の真ん中では口にできないことですが…主上が周りの声を聞き入れず、宰相殿にはなんでもお許しになるのは、その御心がすでに宰相殿に掌握され操られているからではないかとお心を痛めておられる御方々もおられます。」

「貴い血筋の御子神たちでしょうか?」

 熾津火子くんは気まずそうながら頷く。

「昔とは性質まで変わってしまわれたとか…でも主上が道を誤られるようなことがあればお諫めするのも御子神の務めだから、いざという時には皆で力を合わせましょうと仰ってくださいます。兄様方姉様方は皆さま主上を心よりお慕いしているので、宰相殿の専横には憤っておられるのです。幸姫も、あまり安易に近寄っては危ないかもしれないから…」

 熾津火子くんは心配そうにさっちゃんを諭そうとした。


 が、そこは日頃楠木さんの話を聞いているさっちゃんである。まったく悪びれることなく、子どもらしい無邪気さで知った風な顔をする。

「ぼんくらなる神ほどよく喚くよね。」

「「!?!?」」

 熾津火子くんは肩を跳ね上げて慄いた。瑞葉姫もさすがに驚いたらしく目を丸くしている。ごめんなさい、我が家の教育こんなで。

「はははっははは!何言っているのかな幸姫は!」

「いやあっっはっは!!幸姫はまだこんなに小さいので言葉を間違えて使うことも多くて!困っちゃいますよねぇーえへへへへへ!」

「あのね、僻みっていうんだよ、そういうの。しょうもない連中は、熾にい様も放っておけば?」

 ついに楠木さんがさっちゃんの口を塞いで抱きかかえる。お酒が入って気持ちよくなっちゃった楠木さんが、よく愚痴っている内容そのものである。うん、さっちゃんよく聞いてるよね。

 口をポカンと開けて固まっていた瑞葉姫が、くっくっと笑いをこらえるようにして俯いている。

 楠木さんはぎこちなく口角を上げて瑞葉姫に向き直った。

「そ、そろそろ私たちは帰ろうかな~…じゃ!」


 優雅に会釈する瑞葉姫と熾津火子くんと別れると、ほとんど駆け足で石畳を帰り始めた。

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