第47話
「幸姫、本当に君はすごいよ!あんなてっぺんの、ど真ん中だ!」
「えへへ~幸すごいでしょ!」
「すごい!君ほど優れた御子神はいないよ!」
遠くで盛り上がる宴席のざわめきを聞きながら黒馬の下がった方へ急ぎ、やっと追いついた。黒馬の上で、子どもたちはまだ興奮醒めやらぬ様子ではしゃいでいた。
「幸姫にお礼をしなきゃ。」
「おれいー?」
さっちゃんは嬉しそうに熾津火子くんがゴソゴソと懐を探るのを見る。熾津火子くんは綺麗な巾着を取り出した。
「あった!これ、美味しいんだよ。」
そう言いながら中身をさっちゃんに見せると、ひとつポイと自分の口に入れてみせて、安全だと示してみせた。さっちゃんはいつも家でそうしているように、ごく自然に口をあーんと開ける。熾津火子くんはちょっとびっくりしたみたいだけれど、笑って巾着の中を探る。
「あらぁー微笑ましい…」
「お待ちを!」
呑気に眺めていた私を置いて、楠木さんはずんずんと黒馬に詰めてパッとさっちゃんを抱き抱えた。熾津火子くんも慌てて馬から降り、まずは楠木さんにお礼を言った。どこまでも折目正しい子だ。
さっちゃんは口をパクパクさせながら手足をばたつかせる。
「食べるぅ」
「熾津火子様、お気持ちだけありがたく頂戴します。」
「はいっ…でもこれ本当に美味しくて…だめですか?」
「我らは、ただ森の中で静かに暮らしていく所存です。どこに肩入れするつもりもありません。」
熾津火子くんはいきなりハッとして首を振った。
「毒も共食も入ってません!」
「それでも、一度受け取れば他を断れなくなります。この子の立場を慮ってくださるのなら、どうぞもうお収めください。」
熾津火子くんは喚くさっちゃんを悲しげに見遣り、巾着を懐へ戻した。
「美味しいやつっ」
さっちゃんは悲し気な声を出して楠木さんが折れるように仕向けるけれど、楠木さんは譲らないだろうことが伝わってきた。
熾津火子くんは口がへの字に曲がってしまったさっちゃんの顔を覗き込みながら、優しい声音で話しかける。
「幸姫、このお礼はあとで必ずするよ。きっと幸姫が喜んでくれるようにできると思うんだ、待っていてくれる?」
「…何を?」
「そうだなぁ、何にしようかなぁ。」
「じゃあ幸が喜ばなかったらやり直しだよ。」
「あはは!よしきた。」
子どもたちは無邪気に笑いあった。
その時だった。背後から、低く、震える声が落とされた。
「何の、礼だと?」
「父上」
熾津火子くんは一気に真っ青になって姿勢を正す。黒馬すらピンと真っ直ぐになった。
恐ろしいその迫力に、どっと冷や汗が噴き出る。楠木さんもちょっと慌てた様子で子どもたちの前に立った。
「
「楠木じゃないか!それは…お前の御子神か。」
火乃迦と呼ばれたその男性は、楠木さんとさっちゃんを交互に見て、苦い顔をする。
「楠木、これはうちの問題だ。どいてくれ。」
楠木さんが熾津火子くんを気遣うように振り返ると、熾津火子くんは自分から一歩前に進み出た。火乃迦さんは威圧的に上から見下ろす。
「熾、どういうことだ。」
熾津火子くんは、正直に事の次第を明かした。
「ごめんなさい…」
真っすぐに立っているけれど、語尾が少し震えている。それは当たり前だろう、目の前の父親の憤怒の形相に、こんな幼気な子どもが耐えられるものではない。
「お前というやつは…恥ずかしいと思わなかったのか!」
「ごめんなさい…」
「妙だと思ったら!案の定だ!へたくそが、なぜ己を大きく見せようとした!」
熾津火子くんの声は、もう聞き取れないくらいに小さくなっていく。
「卑怯者が!」
「末子の矜持はないのか!」
「お前ひとりの不誠実で、一族のすべてに疑義がかかる!お前は焔の名に泥をぬったんだぞ、わかっているのか!」
熾津火子くんの瞳から、ポロリと涙が零れる。
「ちょ…っと、言いすぎなんじゃないですか。」
もう、恐怖心がポーンと飛び去っていた。
「何方か存じあげないが」
当然、火乃迦さんの怒りの形相はこちらに向くわけで。
「控えてもらおう。うちの者としてこいつに自覚を持たせねばならないのだ。」
「でも言い過ぎです!」
「出過ぎた真似だ、他所の者が口を挟むな!」
「だってこの子は直前までずっと頑張って、期待に応えようとしてたんですよ!あなた親なら直前まで放っておかないで、一緒にいてやったらよかったんじゃないですか?あんなの、こんな小さい子ひとりにしてやらせることじゃないでしょう!それを、ことが終わってからやってきて気分に任せて怒鳴り散らして、子どもが怯えているのが分からないの?少なくともこの子が普段どれだけ鍛錬を続けてきて、どれだけの重圧を感じていたのか考えてから喋ったらどうなんですか!?」
(あ、もー…やらかし、ましたわ)
言い切ったと同時に、もう二度と高天原の宴会には来れないだろうと悟った。
(か、帰ろっか。帰れるかな?このままここで一突きに)
視線を落とすと、火乃迦さんが佩いている刀剣が目をひいた。いや流石に、楠木さんとは兄弟だというし、それは無い…か?
絶望していたその時に、楠木さんの落ち着いた声が聞こえた。
「火乃迦、お宅の息子さんはうちの娘のお願いに応じてくれたんだ。もともと御子息はそんなつもりなかったんだよ。そうだね?」
楠木さんは熾津火子くんの顔を覗き込んだ。熾津火子くんは、もごもごと口ごもる。
「幸が、御馬に乗せてって言いました。」
さっちゃんはまっすぐに火乃迦さんを見上げる。火乃迦さんがグッと口を結んだ。さすがに、他所の幼子に頭ごなしに怒鳴りはしないらしい。
「それで、弓も幸がやるって言いました。」
「それは、言われたからといって受け入れる方が悪い。」
「また失敗したらどうしようって、熾にい様は言いました。見放されたらどうしようって。」
火乃迦さんの怒気がふと途切れて、何かを想うように視線を揺らす。
「だから、次がまたあるんだから、それまでのあいだにいっぱい練習すればいいよって、幸が言いました。」
はあ、と誰かが嘆息した。
火乃迦さんだけじゃなく、楠木さんもだった。
「…楠木尊の娘御よ、其の方の考えは分かった。ただし、うちにはうちの掟がある。」
火乃迦さんは、再び熾津火子くんに向き直った。
「焔は武官の一族だ。武を行使するには、信がなければならない。信を得るには、自律せねばならない。常日頃からの裏表ない誠実さこそ、焔が尊ぶものだ。他所の御子神の業績を我がことのように誤認させ評価を上げるのは、焔の長として看過できない。このことは包み隠さず主上にお伝えする。」
「はい。」
火乃迦さんは、毅然とした態度で熾津火子くんを見下ろす。
「以後、焔は破邪の馬を辞退する。弓を返しなさい。」
熾津火子くんは力なく頷くと、しょんぼりと肩を落として弓を返した。
「火乃迦、辞退なんて。悪かった、私から主上にはお詫びにあがるよ。だからまた来年も引き受ければいい、武家の焔がどこより適任なんだから」
楠木さんは火之迦さんを宥めるように声をかけるのだけれど、火之迦さんはまっすぐに楠木さんに相対して返す。
「もともと武家がやる決まりなんてない。熾がこの先も鍛錬し上達したなら、その時にまた申し出ればいい。それに」
火之迦さんはさっちゃんを見下ろす。さっちゃん、睨み返すのやめて。
「よほど適した後任がいるのだ。末の御子神であればなお申し分ない。私から主上に奏上しよう。」
「「え?」」
楠木さんと同時に、間抜けな声がでた。
「俺は持ち場に戻らなければならない、後のことは…我が妻が来た。あれに任せる。」
「あなた〜。熾〜。どこにいるのー?」
「ここだ。」
火之迦さんが振り返った視線の先に、優しそうな女性の影がこちらへ向かってきていた。
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