第46話


「雪溪様、本当にありがとうございます。」

「見つかってよかったですね。」

 矢は五色の組み紐や羽飾りで彩られ、朱色に塗られてツヤツヤと光を反射する。

「きれーい!幸にも貸して!」

「う、うん。どうぞ。」

 さっちゃんは弓矢を見るのは初めてだ。

「これを、どうやって飛ばすの?」

「この、破邪の弓を使うんだよ。ここにこうして番えて、弦をひくんだ。」


 熾津火子くんが弓矢の説明をする間、さっちゃんは目をキラキラさせて弓を触っていた。そして。

「やってみせて!」

「その、僕はあんまり上手くないから…見ても面白くないよ。」

「みたい!飛ぶところ!」

(さっちゃん…)

 見るからに熾津火子くんは困っているが、さっちゃんはお構いなしでぐいぐい寄せていく。まだ七つだからとなんでも許して好きにさせてきたけれど、今まではそれでいいと思っていたけれど。ここにきて自分の育児に反省する。ちょっとこれは、自分の欲望に忠実すぎないか。家の外でも自分の要望が全部通ると思っていそうだ。

 これから先さっちゃんは楠木さんの領を出てくらしていくかもしれないんだから、遠慮と譲歩を学ばせなければ。周りのひととうまくやっていけるようにね。

「幸姫ぇ、相手が嫌がっているのに無理強いするの?」

「え?」

 確か、楠木さんは様付けで呼んでいたな。

「熾津火子様も困ってるよ。ここはおうちじゃないよ。なんでもわがまま言っていいいのかな?」


 さっちゃんは、はっとして熾津火子くんから離れた。そっと頭を撫でる。

「いい子ね。相手の気持ちも、考えなきゃね。」

「うん。」

「熾津火子様、ごめんなさいね。幸姫はあまりお外に出ないので、初めての方とお話しする機会があまりないんです。」

「いいえ!私が上手ければ…」

 熾津火子くんは、弓矢を見つめて少し考えていた。

「幸姫、見てて。やってみるから。」

「いいの?」

「もうすぐお披露目だもの、少しでも練習しなくちゃ。」

 そう言ってきりっと口を引き締める。

 (苦手なんだろうに)

 逃げ出さないで偉いなぁ、この子。


 熾津火子くんがぐ、ぐ、ぐと弦をひく。

 飾り立てられた弓の垂れ紐が小刻みに揺れている。小さな体には硬そうだ。

 それでも熾津火子くんは健気に力いっぱい弓を支えて、険しい顔つきで矢を放った。


 熾津火子くんは、力なく嘆息した。矢は、狙っていた方角から少し逸れてふにゃりと地面に落ちた。

「だめなんだ、ぜんぜん力が足りなくて…こんなんじゃ、お父様にまたがっかりされちゃう。」

 そんなことないですよと、熾津火子くんの苦労も知らないで簡単に言うのもどうかと思って黙ってしまう。お父様、厳しいのかな。いいとこのお子さんは重圧がすごそうだ。

「御父君は、努力を尊ばれる御方だったと記憶しています。熾津火子様が鍛錬されてきたことをこそ誇られることでしょう。」

(楠木さん、いいひと!)

 心の中で拍手した。熾津火子くんの小さな背中に、陰ながら「がんばれ、えらいぞ」と声を掛けた。

「でも、ぜんぜんうまくならないんです…私は焔の末子なのに、兄たちのようにできなくて」

 熾津火子くんは少し涙声になった。もう、許されるのなら抱きしめて頭わしゃわしゃ撫で繰り回したい。なんて健気な子なんだろう。さっちゃんが矢を拾ってくると、熾津火子くんは鼻をすすって矢を手にした。

「もう一度」

「あのね、ここが要だと思うの。」


 一同、さっちゃんの一言に首を傾げる。さっちゃんが指さしているのは、矢を番うための印と思われる白線より、手のひら一つ分ほど下の位置だった。

「え、ここ?」

「うん、ここに矢を番えて、一気にひくの。」

「ここ…?」

「ちょっと貸して。」


 さっちゃんに請われて熾津火子くんは素直に弓矢を手渡す。さっちゃんは少し指先で弓をなぞると、先ほど指さした位置に矢を持っていき、ゆっくりと一息突いてから、滑らかに弦をひいた。

 誰も一言も発さずにその姿に釘付けになっていた。弓矢は、震えることなくさっちゃんに添う。その瞬間を待ち望んでいるようだった。さっちゃんは真っすぐ前を睨み、弓と呼吸を合わせる。

 そして矢は放たれた。さっちゃんと弓は一緒になって、まっすぐに飛んでいく矢を見守っている。少しの間、息をするのも忘れていた。



 ふと視線が緩んで、さっちゃんがほわんと笑った。

「ほらねー、やっぱりここだよ。」

「幸姫…すごい!君はすごいよ!」

「えへへ、幸すごいでしょ~」

「うんっうん!」

 子どもたちははしゃぎながら矢を拾いに走りだした。

 外なので自重するが、まったく熾津火子くんと同感だ。これが家の中だったら大はしゃぎしておだてまくっていただろう。楠木さんの方を見ると、楠木さんも目が点になっていた。

「あの子に弓矢なんて、もたせたこと無かったよね?」

「今日、これが初めてですよね。」

「弓も扱えるの、あの子は?」

「同感です。」

 楠木さんは、小さく溜め息をつく。

「他の父のところへ生まれていれば、あの才を活かすこともできただろうに。」

 こどもたちは走りながらきゃいきゃい騒いでいる。意外なことに熾津火子くんは、走るのはさっちゃんと同じくらい速かった。




「あのね、お披露目の時にね、幸が熾にい様の上衣の中で弓引いてあげることにした!」

「は?!なん?!」

「あのう…幸姫が、やってくれると、私も心強いのですが」

 帰ってくるなりさっちゃんはとんでもないことを言い出した。楠木さんは口が回りきらずに咽こんでしまった。熾津火子くんがちょっと期待をみせたことで、さっちゃんはいよいよその気になってしまった。



 結局、必死に止めようとする楠木さんの話は聞き流し、さっちゃんは熾津火子くんのお披露目に本当に潜り込んだ。そのお披露目の内容というのが、ただ矢を遠くに飛ばすだけかと思っていたらそれどころではなく、馬に乗って的となる大木めがけて矢を放つというのだ。それを熾津火子くんのような幼い子にやらせるのもどうなのだと力いっぱい突っ込んだものの何かが変わるわけでもなく、さっちゃんはそれを聞いて更にウキウキしてさっさと熾津火子くんの馬に乗ってしまった。

 楠木さんによるとこれは園遊始の恒例の出し物なのだけれど、的にあてた子神はそう居ないというので、とにかく落馬だけはしないようにと念を押して見送った。あろうことか、黒馬の背は私の肩より高い!

 どうぞ怪我のないようにと祈りつつ早くことが済むのをただ見守っていた。それしかできないからだ。騒ぎ立ててしまえば企てが露呈して、熾津火子くんもさっちゃんも大目玉をくらうだろう。こうなったらもう、ただただ無事に戻って来てくれと祈った。


 そして、楠木さんも私もふたたび目を丸くすることになった。

 熾津火子くんは颯爽と馬を飛ばし、放たれた矢は大木の頂を見事に射抜いた。大木が大きく揺れて四方に飛び散った花びらが宴席に舞い込むと拍手喝采となり、大木の先に刺さった朱色の矢は堂々と風に垂れ紐を靡かせた。

 拍手は、黒馬が柱の陰に隠れた後も暫く鳴りやまなかった。


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