第45話
「なにが?」
さっちゃんはケロリと聞き返す。男の子は恐々と花壇を避けながらさっちゃんに寄ってきて、袖を引っ張って花壇から引きはがそうとする。
「この花だよ!これは瘴気の花なんだって。黄泉路に咲いてる花だから、触ったり摘んだりすると
信じがたくて今度は私が聞き返した。
「え?どの花のこと?」
「これです、この薄い花びらの。」
と言ってその子が指さしたのは、あろうことか富貴草なのだった。
「これが、瘴気の花?」
さっちゃんはきょとんとして私の方を見上げる。やっぱりそんな話は信じられなくて、ただ困り顔を作って首を傾げてみせた。富貴草だって良い気はしないだろう。
「こんなきれいなのに?」
「そうやって黄泉に誘うんだって…だから触っちゃ危ないってば!」
「えー?ほんとかなぁ。」
袖をグイグイ引っ張られ、不満そうなさっちゃん。止めろと言われた上で目の前で触ろうとするものだから男の子もずいぶん慌てて、更に押し合い引き合いになる。
楠木さんはそれまで黙って後ろから見守っていたのを、さっちゃんの肩をポンと撫でて宥めた。
「幸姫、心配してくれているんだから、ひとまず止まりなさい。」
それから、その男の子の方へ向き直った。
「ご機嫌よう、
「は、はい、
「私は八代目の楠木といいます。あるいは岩楠のほうならご存知かもしれません。御父君から見れば弟にあたります。」
「岩楠様の御名前は存じております!では、こちらの姫君は、その」
楠木さんの名を聞いてパッと手を離すと、熾津火子くんは目を丸くしてさっちゃんを見た。楠木さんはにこにこと穏やかに応える。
「はい、私の娘の幸です。幸姫、ご挨拶しなさい。あなたの兄神にあたる御方だよ。」
びっくりして熾津火子くんをまじまじと見る。さっちゃんとそう大して歳の違わなそうな幼さだけれど、身なりは立派だ。特に髪飾りや腕輪なんかは、子どもには重そうなくらいに重厚感のあるものを身につけている。
見るからに格上の家柄の子だ。
(ご主人様のお子様にも、ほんとに色々あるんだな。)
さっちゃんが首を傾げて見上げるので、背中を撫でて頷く。
「こんにちは!」
「さっちゃん!ご機嫌ようって言って」
「えー?ごきげんよー。」
さっちゃんとしては親しみを込めた挨拶だったんだろうけれど、楠木さんの話し方から考えても礼節を守って接するべき相手なんだろう。しかも、つい『さっちゃん』って言っちゃった。失礼な奴らだなと思われたかしら。
けれど熾津火子くんは、そんな私たちを見て嫌味なく笑った。
「ご機嫌麗しゅう、幸姫、御妻君様。」
「ご機嫌よう、雪溪と申します。」
それらしく出来ているのか全く自信が無いが、今日初めて話しかけられたのでできる限りの所作で丁寧に応えた。さっちゃんと一緒に学んだ礼儀作法が、なんとか見られるものになっていればいいんだけれど。
「火之迦具津智の子の熾津火子と申します。どうぞお見知り置きください。」
熾津火子くんは遠慮がちに微笑んで一礼した。
(なんて感じの良い子なの…!)
さっきまで無視され続けてきたので、熾津火子くんの柔らかい笑顔が眩しい。
「ねえ、なんで泣いてたの?」
さっちゃんはまるで遠慮がない。甘やかしすぎただろうか、今更だけど。案の定、熾津火子くんはまた顔色を暗くして俯いてしまう。
「
そう言いながら、元いたあたりを振り返った。
「え、弓矢の練習するようなとこに私たち居たの?」
「雪溪様、憚りながらこの辺りは数十年前から
「楠木さん?」
「し、知らなかった…」
矢が飛んでくるような場所で呑気に花を眺めていたなんて。楠木さんに視線で問い詰めると、楠木さんもちょっと血の気の引いた様子で笑顔を引き攣らせた。
「そうだったのですね。長いこと園遊始にいらっしゃらなかった楠木様がご存知ないのも仕方がありません、寧ろこちらこそ、もう毎年のことだからと周知もしなくなっていたのです。お詫びします。」
「とんでもない、私が付き合いが悪いせいだから」
「この花壇が端の印で、この辺りは端のほうなので矢は本来飛んでこないはずなのです。私が下手しただけで…重ね重ね、お詫びします。」
申し訳なさそうに頭を下げる熾津火子くんに、楠木さんは慌ててさらに頭を下げる。
「とんでもあーる、とんでもあーる〜。」
「幸姫?!」
詫びあうふたりを横目に、さっちゃんは辺りをふらふらとし始める。
「飛んでっちゃった矢、探してるんでしょ?幸も一緒に探してあげてるの。」
「た、確かに…確かにそれが先決だ。」
キョロキョロと早速探し始める楠木さんたちに、熾津火子くんは慌てて手を振って制止した。
「でもご迷惑をおかけするわけには、幸姫のお支度もあるでしょう?」
「幸姫はお披露目するものは無いので、
「えぇっ?!」
にこにこあっさりと話す楠木さんに、熾津火子くんは悲鳴に近い声をあげた。
「お披露目しない…とは?!」
内心「あれ?」とは思ったものの、まずはその、破邪の矢というのを探し出さないと熾津火子くんが困るのである。
みんな少し離れているのを確かめてから、そっと富貴草に尋ねた。
「ねぇ、矢の場所わかる?」
富貴草は、ツーンとそっぽを向いてしまった。
「お願い、あの子困ってるから。」
「どうして私が焔の子神を助けなきゃいけないの?古神にヘコヘコしちゃって。穢なんか溜まってないわよ!」
「確かに、酷い言い様だったよね。」
「焔なんか大失態こいて恥かいてとっとと引っ込めばいいのよ!栴さえいれば何にも問題無いもの、邪魔が減る良い機会よ!私知ーらーな〜い。」
富貴草はかなりご立腹だ。見れば、少し先の花壇でもゆらゆらと花影が揺れて頷いている。目の前で悪口を重ねられてしまったのだから、良い気なんてするわけがない。
(だけど)
あの話は、熾津火子くん自身がそう考えているんじゃなく、周りからそう言われて育ったから信じているだけのように思われた。それは素直な子どもならごく自然なことで、生まれた場所によるものだから、子ども本人のせいじゃない。
「ねぇ、あの子はただ知らないだけなんだと思う。それにね、そんな風に酷い態度をとられたにも関わらず、よ?富貴草が矢の場所を教えてあげたら、とっても心が広くて立派だよねぇ。そうしたら私、次にご主人様に会えた時には必ずそのことをお話するわ。そうしたらご主人様はとっても喜んで、あなた達はもっとお気に入りになって、周りまわって栴様のこともっと好きになっちゃうかも!」
富貴草はひょこひょこと左右に揺れる。
「楽観的な子ねぇ。」
「うひひ。ご主人様に報告するのが楽しみだなぁ。」
「あーあ、そんな風になったらいいけど。仕方ないわねぇ、雪ん子に免じて教えてあげる。」
「わーありがとう!」
「今回だけよ!」
富貴草はふわふわと風に揺れるフリをして一方向を示す。他の富貴草も同じように揺れて方角を示すので、それらが集まるところへ向かった。
「あったー!ありましたよ〜」
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