第44話
「来たぞー高天原!」
「さっ…おーい、先に行かないのよー。」
さっちゃんは、光の橋を渡った辺りからすでに元気いっぱいに跳ね回っている。
「
楠木さんは反対に、ピリピリと緊張しているのがわかる。
さっちゃんも、今日はあっさりと戻ってきて楠木さんと私の間に収まって歩きだした。
高天原に上がるのは久しぶりだ。いや、一応我が家も高天原の中ではあるらしいんだけど。そういうんじゃなくて。
「幸って呼ばれると、なんかムズムズ。」
「今日だけの辛抱だよ。」
高天原において公の場では、生まれた時に親に貰った名前というのはあまり使わないものらしい。園遊始に参加するために、さっちゃんに楠木さんがつけた呼び名が『幸姫』だ。今日は私も幸姫と呼ぶようにとのことで、うっかり「さっちゃん」と呼ばないように気をつけなきゃいけない。うっかり呼んでもいいように「さ」から始まる名前にしてくれたんだけど。少しくらい、高天原の約束事にも慣れないとね。
「幸姫ぇ、えへへ。」
「雪溪さーま!ふふふ。」
何を隠そう、楠木さんは私にも呼び名を考えてくれた。雪の花が積もって辺り一面雪景色、ということで『雪溪』らしい。雪ひとひらから、なんだか立派になった。
そしてその時、はたと気がついたのだ。楠木さんというのも呼び名で、別にまた名があるんだろうということに。
ちょっと聞いてみたい気もしたのだけれど、あんまり人に教えるものじゃないということだから。
(興味本位で聞いたら悪いよね、うん。)
ということで、聞かないことにした。
まずは天帝へのご機嫌伺いのために、大きな岩の並ぶ庭に来た。
すると早速。
「お珍しい、いつぶりでしょうか。」
「ああ、どうも。」
楠木さんは何人かの男の人たちに呼び止められて、作り笑いを浮かべた。いつもにこにこして人当たりのいい楠木さんだけど、このひとたちが苦手なんだろうということは予測がついた。
「これは私の娘です。どうぞお見知り置きを。」
「ごきげんよう。」
さっちゃんも愛想よくお辞儀をした。まあなんてお利口なんでしょう!今日一日で一体何回褒められるのかしら、さっちゃんは!
(…え?)
男性たちはさっちゃんをちらりと見ると、ちょっと目線を交わして小さく笑った。
それから、私とさっちゃんの知らない誰かの話を始めてしまった。
(このひとたち、いつまで話し続けるのかしら。)
それからいくつか話題が変わって、今度は栴様の話になった。
けれど。
「あの男の秘術を天子が重宝に思われるのはもっともだ。でも、あの男は天子の側仕えなんてして何になる?あの男には何か目的があるに違いない。」
「そうだ、ただ高天原を乗っ取ろうというのであれば、あれがその気になれば天子を御するなど容易い。わざわざ取り入らなくたって、いくらでも言うことを聞かせる術を持っているにちがいない。」
(栴様がご主人様のそばにいることに、何か目的があるって?)
そんなことってある?
(好きだから、一緒にいたいだけだよね?)
栴様が何か企んでいて、それでご主人様と一緒にいるなんて。そんなふうには考えられない。
「そうせずに天子に取り入るには、何か企んでいるに違いない。」
楠木さんは、ただ曖昧に笑っていた。いくら栴様のことを心の内で認めていても、多勢に無勢ということだろう。
やがて話し終えてまた歩き出すと、小さくため息をこぼした。
「楠木さん、気疲れするわねぇ。」
「ううん…お偉いとこの御子神だったから、ちょっとね。」
「御子神って、ご主人様の産んだ御子ってこと?それじゃ、この子のお兄さんたちじゃない。」
「そういうこと。」
「ご主人様、あんな大きいのも産んでるんだ…え、ご主人様って何歳?」
「あのねぇ、主上だってとっくのとうに万を超えていらっしゃるよ。」
「よろず…?」
「百の百倍。田の稲穂の稲粒くらいいっぱい。天津神も万を超えたらあんまり数えないから、もうどのくらいか分からないけれど。」
「うそぉ、私と同じくらいかと思ってたんですけど!」
「ぶふっ…それはいくらなんでも」
「じゃあ楠木さんはもっと年上ってこと?!うっそぉ!」
楠木さんは笑った拍子に、少し顔色が明るくなった。
「栴様ってどうして悪く捉われがちなんでしょうね?」
「自分の権力が脅かされると思っているんじゃないかな。…幸姫、もう帰ろうか?」
「なんで?」
心配そうに尋ねた楠木さんに、さっちゃんはきょとんとして答えた。
「だって…意地悪されて嫌な気分になっただろう。ここにいるとずっと続くよ。」
楠木さんは珍しくはっきり言い切る。だが、さっちゃんはあまり気にしていなかったらしい。
「それって、同じ御子神だから幸のこと意識したってことでしょ?幸はこーんな子どもなのに、あのひとたちは意識して無視したんだ。幸ってすごいな!」
「あ、そう…」
楠木さんはガクッとなって苦笑いした。
(さっちゃん、びっくりしただろうに。偉いなぁ、もう。)
髪型が崩れないように、そっと撫でる。すると、さっちゃんはにっこりと笑った。
「あのねぇ楠木さん、この子はちゃんと分かってるんですよ。ここで帰ったらお父様の評判に傷がつくって。」
「う…お前はそんな風に…?なんて出来た娘なんだ。」
「だってさ、幸は今日たのしみなこといっぱいあるんだよ。だって高天原はとってもきれいだって聞いてたし、お花がいっぱいなんでしょ。あと栴の宰相の白モジャを触ってみたい!」
「栴殿の…触っちゃ駄目。」
「えぇ~。」
たしかに栴様の毛皮って、どんな手触りなんだろう。
(でもなぁ)
それはやっぱり、ご主人様の特権だろう。
ざわついていたのがすっと静かになって、前の方で誰かが挨拶している。天帝へのご挨拶なんてどんな仰々しいのだろうかと思っていたけれど、意外とあっさり終わった。楠木さんに正直にそう溢すと、にっこりと笑ってこう教えてくれた。
「皆、このあとのことで頭がいっぱいなのさ。天帝への挨拶なんてもはや形ばかりだからね。」
見渡せば、誰も彼も落ち着かない様子でそれぞれ忙しそうだ。そんな空気の中、我が家は何もお披露目しないので気楽なものだ。さあ行こうと楠木さんに促され、足取り軽くついていった。
「わぁーこのお花きれーい。」
「このお花は、たくさん花びらがあるぅ。」
最後に見た冬の高天原と違って、広間も廊下も華やかに飾り付けられている。さっちゃんと一緒に様々な花を楽しみながら、隅っこのほうで宴会が始まるのを待っている。
「あ」
他の花に紛れて、富貴草を見つけた。でも、今日も多分喋らないんだろう。富貴草と黙って見つめ合って、久しぶり、と囁きながら微笑んだ。するとさっちゃんも隣にやってきて、富貴草に目を留めると歓声をあげた。
「わぁーきれい!幸、このお花すき!」
(ふふふ、聞いてるぞー。)
喋らないけれど、やっぱり富貴草は誇らしげに胸を張った。
「お土産に欲しいなぁ~。もらえるかなぁ?」
「幸姫、ここの花はどれも天子様のものだよ。」
「一輪だけ、このお花だけでいいの。」
「見るだけにしようよ、天子様の御庭のお花だよ。」
「一輪だけ~。」
ひごろ『言い続ければなんでも叶う』ことを学んでいるさっちゃんなので、言い出すとなかなか退かない。しかも絶妙に『まぁなんとかなるかな…』と思うような線をついてくる。
(ううーん…あとでご主人様か栴様にお願いしてみる?でもなぁ、今日会えるのかなぁ。)
楠木さんがちょっと唸ったのを見て、たぶん楠木さんも同じこと考えてそうだなと思った。
「だ、だめだよっあぶないよ!」
花の向こう側からの不意の声に、ぱっと視線を上げる。そこに居たのは、半泣きの男の子だった。
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