第43話

楠木さんは、年々さっちゃんに甘くなってきている。


 最近元気が有り余っているさっちゃんがお屋敷の建具や壁や柱をちょっとがんがん傷つけちゃったりしても、怒るとか嘆くとか、全然しない。

 ゆっくり晩酌しているところへ大笑いしながら大小引き連れて乱入してきても、にこにこ招き寄せるくらいだし。

 あと、なんだろう。とにかく怒らない。うるさくしても、走り回っても、なんーにも言わないで、笑って見てるのだ。

 その楠木さんが、さっちゃんのあんな姿を見て何も思わないはずがない。




「楠木さん、ほら、落ち着いて。」

「私は…取り返しのつかない過ちを」

 真っ青な顔をして、楠木さんの方が泣き出しそうになってしまった。

「さっちゃんが心配だから、仕方なかったんでしょう?」

「うん…でも」

「ほら、泣かないで。実際、そのお誘いを断るのは難しいんじゃないんですか?」

「うぅ…でも私だけで済ませられなくはないと思って…私だってやりたくはないけど」

「どうするの?」

「…何かしら不都合だからという理由をつけるんだ、まともに喋れないからとか、静かに座っていられないからとか。今まではそれで栴殿に融通してもらって、不参加で通してきたんだよ。」

「あぁーまあ赤ん坊だとねぇ。でもそれじゃあ七つの子にはそろそろ厳しい言い訳なんじゃないですか?」

「厳しくはないよ、高天原だと人の子のように同じ速さで育つわけじゃないから。」

「でも実際さっちゃんはもう赤ん坊じゃないし、だいぶしっかりした子だと思いますよ。」

「うん、そうだね…」

 楠木さんは気まずそうに視線を逸らした。


 今回行かせないなら毎年このやり取りをしなければいけないと思うのだが、楠木さんはそれでもうんとは言わないで大丈夫なんだろうか。もう、今にも倒れそうなほどに顔が青いんだけれども。


「どうしても難しいなら、代わりの気晴らしにどこか遊びに連れて行ってあげるとかどうですか?」

「そ、そうだね!紗良紗!紗良紗、おいで」

 返事はない。

「紗良紗?聞こえているんだろう?こちらへおいで」

 しーん、と静寂だけが帰ってくる。


「紗良紗、せっかくだから楽しいところにしようよ。栴殿に会ってみたいなら、園遊始が済んだ後に頼んでみよう。」


「主上もご臨席なさるけれど、たぶん話せないしお顔も見えないと思うよ?また別の機会に、ゆっくりご挨拶に行こう?」


「紗良紗…?」


 しーん。



 ついに楠木さんは背中を丸くしてプルプルし始める。仕方がない、と部屋の外を見回すけれど、さっちゃんはどうも近くに見当たらない。

「楠木さん、さっちゃんどこいったかしら?」

「領から出てはいないよ…私の話も聞こえていると思うけれど…返事もしてくれない…」

「さっちゃぁーん、お返事しなさぁーい!」

「やだー!」


 すぐ返ってきた返事に、楠木さんの悲壮感がいよいよ極まる。

「あなたどこにいるの?出ておいで。」

「じゃあ園遊始、連れてってくれる?」

「うーん、だってお父様はちゃんと理由があって反対なのよ。代わりに、なにかおねだりしたら?」



 返事の代わりに、どこからともなく啜り泣きが聞こえ始めた。




「っ…紗良紗、泣くのはおよし。」

 しくしく。

 すん、すん。


「紗良紗は自慢の娘だよ、どこへ連れていったってお父様は鼻が高いよ。」

「でも連れてってくれないじゃん。」

「…」

 再びしくしく。

 すん、すんすん。


 あっという間に、楠木さんは居た堪れなさの限界に達したのだった。

「分かった…行こう、ただし」

 楠木さんの一言でピョンと飛び降りてきたさっちゃんは、しかし再び身構える。

「ただし?」

「園遊始の間、必ずお父様のそばにいること。絶対に離れてはいけないよ、いいね?」

「わかったー!」

 さっちゃんはニッコニコで元気に答えた。




「わーい、宴会!」

「さっちゃん、全然涙が出てませんねぇ。」

「さらさもお酒飲むー」

「お酒はまだだーめ。成人のお祝いが終わってからっていつも言ってるでしょ。」

「じゃあ他の子と追いかけっこする!さらさより足速い子いるかな?」

「お父様から離れないお約束でしょうに。」

「えー?」


 さっちゃんはすっかりご機嫌で、くるくる回りながら森のお友達と一緒にまた外へ遊びにいった。


「守る気あるのかしら、あの子?」

「今回ばかりは絶対に守ってもらうよ、危ないんだから。」

「まぁーねぇ、まずはお父様が毅然とした態度で娘と向き合わないとねぇ。言いつけなんて守らなくてもいいと思ってる節、ありますもんねぇ。」

「うっ…雪花も、紗良紗が走り回ったりしないように見てておくれよ?どこかへ連れ込まれちゃったりでもしたら」

「あ、私も同行するんですか?」

「君は紗良紗の世話役だろうっ」

「あ、そっか。」

 宴会なんて崑崙ぶりだから、うっかり自分のお役目を忘れていた。これも世話役のお務めのうちだ。

「頼むよ…」

「お互い様です。」

「あ、うん。そうだね。」

 楠木さんはちょっと冷静になったのか、吹き出してやや表情が明るくなった。

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