春のうた
第42話
「どちら様だったのか、教えてくれなかったんですけど。」
「…」
なーんかあの鳥ずっとうちのお屋敷の上をぐるぐる飛んでるなと思って見ていたら、私めがけて降りてきて、細長い帯布を渡された。
ああ神獣なんだなと理解して、神鷹さんも話せたしきっとこの大きな鳥も言葉が通じるだろうと思って「どちら様の御使いですか?」と尋ねた。するとその鳥はあからさまにムッとして、何も言わずに飛び去ってしまったのだった。
仕方なく渡された帯布を楠木さんに渡しにいったところ、楠木さんは帯布を見るなりギョッとして青白くなってしまった。
それから、苦しそうに嘆息して楠木さんは帯布を受け取り、するすると広げてみせてくれた。
「これは、
「園遊始?」
「春の最初の宴だよ。高天原中の天津神が天帝にご挨拶に伺うのが、だんだんと派手になってね…」
手渡されて、よくよくその帯布を眺める。春らしい色合いの花や小鳥が描かれた、華やかな一枚だった。
「形式上は天帝へのご機嫌伺いなんだけれど、その後に催される宴が一大行事なんだ。主上がご臨席なさるから、皆何かしら支度するのが習わしでね。貢ぎ物だったり…御子神がいる家は、御子神の一芸披露の場なんだけども」
楠木さんの話に被せるように、パタパタと軽やかな足音が近づいてきた。
となると、もう次の瞬間にはあの扉が。
バンッ!
「きゃはは!きゃー!やったぁ〜さらさが一番!」
雪崩れ込んできたのは、先頭にさっちゃん。それから狼、リス、貂、モモンガ。
みんな、さっちゃんの遊び仲間だ。
「さっちゃん!いきなり開けるとまた扉が壊れるよ。」
「ほら、壊れてないよ?」
「それはお父様が直してくださったからでしょ。」
「雪花のお国の意匠でかわいいよね、この文様。」
抱きつきながら屈託なく笑うさっちゃんに、今日も絆されてなかなか説教が締まらない。
「扉の向こうに誰かいるかもしれないから、これからは気をつけてね。」
「はあい、わかったわかった。」
さっちゃんは全然響いていなさそうな返事だけ返して、私の手の中にある帯布にもう話題を持っていく。
「それ、なあに?」
「園遊始のお知らせだって。」
「園遊始ってなあに?」
「春の宴会だって。」
「ふうん。宴会ってなあに?」
「お酒のんで楽しむんだよ、わーって。」
「崑崙でやってたみたいな?」
「えーまだ覚えてたの。あんな感じじゃない?私も知らないけど。」
「あんな脳天気な飲み会じゃないぃ…」
楠木さんは頭を抱えて「どうすればいいんだ」と呟いた。
さっちゃんは、悩ましげなその様子を眺める。
「じゃあ欠席?」
「そうもいかない…これ、
「あら、楠木さんお父様いたの!」
「ふふ、関わることも無いと思っていたからわざわざ言う必要も無いかなと、ね…」
楠木さんは顔を両手で覆って、ふーっと深くため息をこぼす。ふだんの楠木さんは、こんな風に苦々しい顔をすることがない。
「気にも留めていないと思っていたのに、どうして今ごろ。」
なので、これはきっと本当に困っている。
「断ると恐い御方なんですか?」
「園遊始を差し置く用事なんてそう無いからね、欠席するということは天帝への挨拶を蔑ろにするようなものだから、呼ばれてしまったら…。那岐神は、いちおう高天原の天帝でね。実際に高天原を統べているのは天子である統星尊なんだけれど、いちおうまだ天帝は那岐神でね。」
「あら、楠木さん天帝の御子だったなんて!」
「御子神なんかいっぱいいるよ。」
「ふうん?」
「はあ…統星尊の御代になれば、こんなこと悩まなくてよくなるんだけどなぁー。」
「ふがいない領主だぁ。」
「面目ない。」
「さっちゃん!」
「栴殿今から御代代わり進めてくんないかな〜もう」
楠木さん、頭を抱えながら突拍子もないことを言い出す始末。
「その天帝様が譲るって言わなきゃ、御代代わりなんて起きないでしょう?」
「そんなことはない、高天原を実際に牛耳っているのは栴殿だからね。栴殿がその気になれば、いかな那岐神とて敵わない。どうして栴殿はこんな中途半端なところで主上を留めているのかなぁ、もう。」
「好きねぇ、栴様。」
楠木さんは、さっちゃんが生まれてからのあれこれを経て栴様の印象ががらっと変わったらしい。
昔は得体の知れない、統星尊に取り入る邪鬼のようにおもっていたそうだ。たぶんあの相貌も相まって、そういう印象になっちゃったんだろう。
けれど実際に関わってみれば何度も助けられているし、しかしそれに対して見返りを求められることも無く。楠木さんはお勤めで高天原に時々行っているんだけど、栴様は秘術に優れていることはもちろん、何事もそつなくこなす器用さと、筋道の通った考え方とで、諸事滞りなく捌いてしまうそうな。そしてそれが、以前別の神様がこなした結果よりも数段改善された結果になるという。
今では帰ってくるたびに、今日も栴殿のお陰で仕事が順調に終わった、まさにああいう傑物こそ上に立つに相応しいと毎度毎度機嫌良さげに一杯やるのがお決まりになっている。
はぁーっと何度目かのため息の楠木さんを見つめて、さっちゃんが首を傾げた。
「ねえ、さらさも園遊始いける?」
「いけるというか、紗良紗をお披露目しろという意味だよ、これは…」
「じゃあ行きたいっ」
「ええ?!でも」
「高天原に行けば、その栴の宰相にも会えるでしょ?さらさも見てみたい。」
「さっちゃん、言い方!」
「雪花はうるさいなぁー。」
「ううーん…でもなぁ」
楠木さんは心配そうにさっちゃんに向き合う。
「園遊始は、御子神同士にとっては序列争いの場だよ。他の御子神と諍いになったら危ないし…中には紗良紗に心無いことをいう輩もいるだろう。お前は御子神ではあるけれど、後ろ盾が強い訳でもないし、お前が嫌な思いをするだろうことが目に見えているから。うーん、栴殿に相談してみようかな…」
「なぁんだ、そんなこと。さらさ大丈夫よ。他の子とけんかなんかしないよ。」
「でも、不安なのは御子神そのものより、その親というか」
俄かにさっちゃんが両手を組んで眼差しに懇願を込めた。
「さらさね、私を産んでくださったお母様にも一目お会いしてみたいの。ね、お願い。一回だけでいいから。」
さっちゃんの上目遣いに楠木さんは抗えるのかな。
「それは、いつかはとは確かに、思っているけど」
「じゃあいい機会じゃない?ね、いいでしょ?」
「でも…それは成人の辺りでもいいんじゃないかな?」
「成人?!そんなの、先すぎるよぉ…」
「…」
「さらさ、高天原行ってみたいぃ」
悲しそうに眉を下げたり、真剣な眼差しでまっすぐ見つめてみたり。さっちゃんも武器が増えた。
しかし、珍しく楠木さんは首を縦に振らない。
「…もうちょっと大きくなってからでも高天原は逃げないよ?紗良紗はとても優秀だから、周りにやっかまれないか心配なんだ。そのうちに、もっと別の機会が」
「そんなこと言って、本当はさらさが恥ずかしい子だから、だから連れてってくれないんだ!」
さっちゃんは瞳に涙を溜めて、ばっと立ち上がって部屋から飛び出していった。
「そんな…そんなわけあるか!」
楠木さんは、絶望を漂わせて頽れた。
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