第38話

「あ、見えた!さっちゃん、あれだよ。」

 懐かしい景色が見えてきた。指さすと、さっちゃんは同じ方向へ目を凝らす。

 稲穂を刈り取った後の穏やかな景色。喜ばしいことに、前よりも田が広くなっていた。







 崑崙の門の前で、楠木さんは門番らしい仙人ぽいお爺さんに何やら話しかけた。それから村の名前と父母の名前を聞かれ、答えたら門を出ることが許された。

 促されるまま車に乗ると、山の斜面を真っ直ぐに駆け降りはじめ。昔駆け抜けたと同じっぽい草原をあっという間に通り過ぎ。瞬く間に我が家の前まで辿り着いたのだった。

 楠木さんいわく、客の帰りの足として用意される車で寄り道をして帰るのは寧ろ推奨されるらしい。西王母娘娘の大陸の素晴らしさをとくとご覧あれ、ということなのだそうだ。

 しかしいざさっちゃんを抱いて車を降りると、楠木さんはどこか明後日の方向を見て、「後で迎えに来るからゆっくりしていて」と言ってどこかへ行ってしまった。

 しばらく暇つぶしして、頃合いを見て迎えにくるつもりなのかしら。




「帰ったよー。誰かいる?」

 家の中を覗くと、誰もいない。

「あれ?田んぼかなぁ…でももうこんなに涼しくなってきたのに。」

 朝晩が冷え込むようになってきたら、田畑はほとんどお休みだ。冬の間はできるだけ締め切って、兄弟だれとでもくっついて暖をとりながら家の中でできることをする。だから、急な帰郷ではあったけれどみんな家にいるだろうと思っていたのだが。


「だいだい。」

 さっちゃんは、軒先の橙の若木を見つけて指差した。縁起が良い木なので好んで植えられる木だ。

「橙の木なんて、どこからもらってきたんだろう?いやーちょっと見ない間になんだかいいおうちっぽくなっちゃって。」

「あっ!!」

「「わっ」」

「うそ、もしかしてお姉?!帰ってきたぁ!!」

 後ろから懐かしい声がした。すぐ下の妹だ。


イアン!みんな居ないから驚いたよ。何かあったの?」

「何かも何も!お姉もおったまげるよ〜っていうか何その格好?!長者さんとこのお嫁さんたちより立派じゃない!あれ?その子は?」

 鶯が覗き込むと、さっちゃんは私の襟元をぎゅっと握りしめた。

 ところで森のお屋敷を発つ時に楠木さんから、『紗良紗という名は誰にも教えないで』と言われていたのだけれど、それは私の家族にも当てはまるのだろうか。

 うーん、と考えてひとまずさっちゃんを見た。

「さっちゃん、これ私の妹の鶯よ。大丈夫、怖くないよ。鶯、さっちゃんって呼んで。」

「ごめんね、びっくりしたかな。鶯だよ〜、サッチャンっていうのね、かわいいね!」

「…いあん?」

「そうそう!お姉、賢い子だねぇ!」

「でしょ?ふふふ。」

「もしかしてこの子が、あの時の神様の子?わあ、もうこんなに大きいんだ!」

「あ!おねえー!!おかえりー!!」


 小さいのがわらわらと帰ってきて、一気に賑やかになった。さっちゃんはまだ慣れないのか襟元を握ったまま、何やら大きな袋をそれぞれに抱えた弟妹たちに囲まれてちょっとびっくりしている。

「みんな〜。この子はね、お姉のご主人様のお子さんよ。そういえば他に子供って見たことなかったかしらね、さっちゃんは。大丈夫、ちょっとうるさいけどみんないい子たちよ。」

「サッチャン!」

「サッチャーン!かわいい!」

「サッチャン抱っこしたい!」

 さらに距離を詰められて、さっちゃんの手がぎゅっと固くなった。

「サッチャンこっちおいで!ねえお姉、ちょっといいでしょ?」

「さっちゃん、このお兄ちゃんが抱っこしたいって。行ってみる?」

 さっちゃんはぎゅーっと襟元に顔を押し付けて、両腕を首に巻きつけるようにしてしがみついてきた。

「そるふぁいい。」

「サッチャンこっち来てよ〜。」

「やー!!ちじゃう!そるふぁない!」


 こっぴどく振られた弟をみて、みんなちょっと目を丸くして笑い出した。

「サッチャンは甘えたなんだぁ。」

「こりゃあお姉も帰ってこれないわ。」

「甘えんぼさんだ、長者さんとこのといい勝負。」

「そるふぁ」

 ケタケタ笑う弟妹たちと裏腹に、さっちゃんは口を曲げて見るからにご機嫌ナナメになってしまった。

「ちょっとあんたたち、もう少し静かに喋って。さっちゃんがびっくりしてる。」

「ひでぇなお姉!」

「ねえ、お姉の雷に比べたら可愛いもんよ。」

「私がいつ雷落としたって?!」

「お姉だって声大きいよ!あはははは」

「でもこんな弱っちい声じゃ無かったよ昔は。」

「お上品ぶっちゃってさあー長者さんのお妾ババアみてえだ」

「これ、口が悪い。」

 あんまり調子にのった一言を放った弟にベシッと一発下す。

「あのねえ、さっちゃんはご主人様から預かってる大事なお子さんなの。丁寧に話すのは当然でしょ。」

 一番下の小玲シャオリンが抱えていた袋の中から何かを握りしめてさっちゃんに差し出した。

「シャッチャ、あげーる。」



 しばらく警戒し続けるかもと思ったけれど、さっちゃんはすんなりと手を出した。その小さなお手手に、小玲の小さなお手手が手渡したのは艶々とした栗の実だった。

 さっちゃんはじっとそれを見る。

「くり。」



「サッチャン栗知ってんの?すごいね。」

「うん、びっくりした」

「てーかいくつなの、サッチャンは?玲玲リンリンと同じくらい?」

「リンリン、みっちゅ。」

「ね、こんど四つになるのよね。」

 小玲は一番下の妹だ。玲玲は愛称。まだ小さいからね。最後に会った時はやっと一言二言喋り始めたくらいだった。そういえば、背丈もちょっと大きくなっているし。このくらいの歳の子は、あっという間に大きくなる。

 と、頭では分かっているのだが。

(あー…)


 どうにも小玲の成長がゆっくりに感じてしまうのは、私の方に問題があるんだろう。

 私の頭の中が、すっかりさっちゃんを基準にして考えることに慣れてしまったのだ。


「さっちゃんはね、今度の冬で二つになる…のかな?多分、うん。」

 弟妹たちは一斉に目を丸くした。

「えぇぇー?!まだ一つ?!」

「うっそだぁ、こんなん一つなはずねーや!」

「ほんとよ。失礼なこと言わないの。」

「うっそだ、うっそだぁ!こんな一つがいたらおかしいや!まるでバケモンだぶっ!!」

 久しぶりに全力で拳固ゲンコをくらわせた。けっこう痛いなぁ。


 鶯がさっちゃんをマジマジと覗き込む。

「サッチャン、神様の子だからかぁ。」

「鶯、私も今そう思ってたところよ。やっぱり、育つのがすっごく速いよね。」

「そうなんじゃない?分かんないけどさぁ、神様だもんね。」

「いあん、わかんない。」

「ふふっそうそう!サッチャン、きっとすんごい偉い神様になっちゃうね!」

 とにかく適当なことしか言っていないのだけれど、鶯のあっけらかんとした言い様にむしろ笑えてきた。

 人の子と比べてああだこうだと思い悩む必要があっただろうか。いいじゃないか、その子それぞれなんだから。

「まぁーねぇー、さっちゃんはとびっきり賢いしこんなに可愛いし、なんたって愛らしさ半端ないからね!先が楽しみよね!」


「そるふぁ、たのしみなの?」

 さっちゃんが不思議そうに尋ねてくる。

「そうだよ!さっちゃんが大きくなるのが楽しみ!」

 高い高いすると、さっちゃんはいつものようにキャッキャと笑った。みんな、それを見てまた笑った。


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