第37話

 できるだけ後ろの方で崑崙の門をくぐり。

 正使だという、えらく煌びやかな高天原の神様が西王母娘娘にご挨拶をする間、じっと息を潜めて。

 接待役だという、えらく豪奢な崑崙丘の神様が返礼する間、早く終われとひたすら願い。


 さっちゃんが寝起きでぐずったらと思うと気が気じゃなく、周りを見渡す余裕も無かった。

 そして今。宴席の後ろの端っこで、すっかり賑やかに盛り上がっている宴の様子を、呆然と眺めながら脱力した。

(なんつー煌びやかな眺め。)

 



 蝶が舞い、鳥が歌う。

 だだっ広い視界の端から端までの花、花、花。

 細かい紋様の入った大きなかめ

 から湧き出る水。いや、酒?酒っぽいんだよ、匂いが。

 琴の音、笛の音。どこから聴こえんの、これ?

 空飛ぶ亀。何あれ?は?

 鳳凰の輝く尾羽。最初置き物かと思ってた。

 

「へぁ?」

「あ、さっちゃん。よく眠れた?」

「うん。」

 さっちゃんはにこっと笑って、私の膝の上に座り直すと周りをキョロキョロと見渡した。

「こんろん?」

「よく分かったねぇ。寝てる間に連れて来られちゃったのよー。さすがのさっちゃんもびっくりだねぇ。」

「うん。さっちゃんびっくぃだねぇ。」

 さっちゃんはすっくと立ち上がって、足元の花にじっと見入った。

「はな。」

「紗良紗、見るだけだよ。摘まないようにね。」

「うん。」





 さっちゃんは、ちょっとずつ右に行ったり左に行ったり。いろんな花が咲いているのが面白いらしい。

「ねぇ楠木さん、なんか流れでもう崑崙きちゃってるけど、ご主人様にさっちゃん見せるんじゃなかったっけ?」

「え?見せるなんて言ったっけ?」

「え?だってさっちゃんがどんなか、ご主人様に見せてないのに、どうやってご主人様はさっちゃんのこと分かるんですか?」

「栴殿に伝えたから、よしなに処してくれたはずだよ。」

「くも。」

 さっちゃんが空を仰ぐのを見ながら、話が分からなくて首を傾げた。




「自分で見てないのに、ご主人様は何を喜んだことになってるんですか?」

「あはは。つまり、私たちが崑崙に来れるように話を仕上げてくれたんだよ。栴殿が進言すれば、主上は是とお応えになるさ。」

「なんだ、中身なんて伴わなくたってよかったんですね。」

「ここに居るのの大半なんてそんなものさ。体裁さえ整っていればいいんだ。冬の間中高天原は閑かでほとんど宴も無いからね、それなら正使にくっついてきて好きなだけ飲んで遊んで楽しみたいんじゃないかな、ここにいるお方々は。」

「へぇー、そんなもんなんだ。じゃあお父様って言えなくてもよかったんじゃない。」

「少しくらい、仕込もうと思ったんだ。用立ててもらった体裁だけれども。」

「ふうん、楠木さん真面目ねぇ。」

 たいへんな煌びやかさだけれども。タダ酒で盛り上がってるなら、村のおっちゃんたちとそう大差ない。

「中身が伴わないって、みっともないじゃないか。」

「なるほど。」


「ほう。」

 さっちゃんの声が少し先から聞こえる。さっちゃんは、ほとんど動かない鳳凰とじっと見つめ合っていた。

 足元で、色とりどりの花がそよそよと揺れる。






「風、花を帯びれば鳳が舞い、竹に向かえば龍が啼く。」





 楠木さんと同時に上半身を乗り出して、食い入るようにさっちゃんを見た。

 朗々と詠うさっちゃんを見つめながら、鳳凰の目が丸々と見開かれる。鳳凰もびっくりか。

 さっちゃんは楽しそうに鳳凰の足元の花を指さす。

「花明らかなり珠鳳の浦。」

 鳳凰が両翼を広げた。

 それはそれは優美な仕草だった。

 さっちゃんはぴょこぴょこ跳ねるように歩み寄る。とってもご機嫌な時の動きだ。

「柳青々として朝になびく、錦花玉水の郷。」

「草暗くして原緑なり、花明らかにしてみち紅なり。」

 何を見て詠っているのかと思えば、鳳凰の羽の色だった。赤、青、黄、緑。

 それからさっちゃんは、喉元の辺りの白いふわふわを覗き込んでキャハハ、と嬉しそうに笑った。

「雪花月光に舞い、山に白扇掛かる」



 鳳凰は二、三度左右に往復してさっちゃんに向かって羽を揺らす。踊っているようにすら見えた。

 そしてすうっと飛んでいってしまった。





「ほうぅう〜。」

「さっちゃん、鳳さん行っちゃったね。」

「いっちゃったねぇ。」

 さっちゃんと一緒になって、鳳凰の飛んでいった方へ手を振った。


「あ」

 楠木さんが、山の上を見て明るい声をあげる。

「雪花、紗良紗、退出できそうだ。…ん?」

「ほんと?さっちゃん、行きましょっか。」

「うん。」

「あ、ちょっと待って」

 楠木さんは、今度は困った風に言う。

「いきましょっか。」

「紗良紗、待っていなさい、あそこに、うーん…どうなんだ?」

「いきましょっか。」

「ふふ。さっちゃん、もうこの眺めもお別れよ?そんなに急がなくてもいいじゃない。ねえ楠木さん、どうしたの?」

 楠木さんは、悩ましげに山を指差した。

「うーん…あそこ、西王母娘娘の御座所なんだ。栴殿が退出すれば、私たちも出られることになっているんだけれど」


 見れば、山の上の方に小さな白い獣の後ろ姿が見える。


「出てきたからいいかなと思ったんだけれど…どうだろう」

 栴様は、振り返って山の方を向いている。

「あー、まだお話し中でしょうかねぇ。」



 しばしじっと栴様を見ていると。

「あ、一歩下がった。」

「雪花、よく見えるね…下がった?信じがたいな、娘娘に呼ばれてるんじゃ、ないのかな?でも、娘娘の方向いてるし…」

「いきましょっか。」

 さっちゃんはちょっと不満そうに楠木さんを見上げた。


 もうしばらく、じっと様子を見る。

「あ、また。」

「あ…」

「栴様、あれ帰ろうとしてますよねぇ。もういいんじゃないですか?」

「えぇ…?娘娘に呼び止められているなら、戻るはずだよ。もう少し様子を見てから」

「いきましょっかー。」


 栴様は、今度は二歩ほどすりすりと下がった。

「また下がった。栴様ぜったい帰るつもりですよ、あれ。」

「…」

 楠木さんは絶句して、ただ山の上を呆然と眺めている。

「いきましょっか!いきましょっか!」

「あわわっさっちゃん、ごめんねぇちょっと待って」

 普段はこんなふうにキィキィ声なんて出さないのに。さっちゃんを宥めながら、山の上を見上げる。


「あ、また!ねぇ楠木さん、栴様どんどん下がってるじゃない、いいんじゃないかしら?もうお暇しましょうよ、さっちゃんが騒いだらかえって悪いし」

 さっちゃんの甲高い声が気に障ったのか、ちらほらとこちらを流し見る視線を感じる。

「いきましょっか!!」

「わ、分かった!分かったから静かに…っうん、もう行こう!忘れ物はないかい?」

「無いです!」

「ないでしゅ!いきましょっか!」

「わかった、分かったから静かに…っ」


 楠木さんはさっちゃんを抱き上げると、そそくさと宴席を後にした。最後にもう一度山の上を確かめると、栴様が深く一礼して、遂に踵を返してスタスタと歩きだしたのが見えた。

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