第32話

「アぁァア〜ソレかァ」

「楠木殿、お手を」


 栴様は角の向こう側を向いたまま、握りしめた片手を楠木さんの方に差し出す。

「…へっ?」

「手を」

「え…なに?」

「手を出せ今すぐ」

「ひゃいっ」

 楠木さんはびゅんと両手を前に突き出した。

 栴様の手から、きらりと光る粒が楠木さんの掌中に手渡される。

「あ…栴殿!」

「楠木殿、今は」

 栴様は話しながら、すっと手を横に振り捌く。ほんの一瞬の閃光に耐えられずに顔を逸らした。

「お帰り願おう。逆踏みして自領へ戻りたまえ。」

「ふぁぁぁぁ゛あ〜…!ふぁ゛あああー!!」



「さっちゃん!」

「紗良紗っ!」

 楠木さんの腕の中に泣き荒ぶ赤ん坊をみて、思わず涙が込み上げた。

 が、次の瞬間には再び全身に悪寒が走る。

「ファだナァ?」

「楠木殿」

 栴様が黒い腕を払い除けながらやや語気を強める。

「栴殿、しかし比羅坂の取り決めでは」

「いい、私が許す。」

「ファモ、ツレテイけバいインダぁナァ?」

「楠木殿っ」

 栴様が声を荒げて、楠木さんはビクッと肩を跳ね上げる。同時に私の手を掴んだ。震えている。

 黒い手が栴様の手首を掴みかけ、栴様は瞬時にそれを掴み返した。バチンッと雷のような音を立てて黒い手が逃れようとする。さっちゃんの泣き声がビリビリと耳を突く。

 栴様は怒鳴った。

「早く行け!」

 考える暇も無かった。







 目を開けると、そこは森の中だった。

「あ…」


「あぁぁあー!ふぁぁあー…!ひっ…ひっく…ふぁぁあああーあ゛ああー!」

「さっちゃん」

 はっと我にかえり、楠木さんからさっちゃんを受け取る。

「さっちゃん」

 なんてことだろう。別れる時までつやつやふくふくとしていたさっちゃんが。今はガサガサと肌がごわついていて、それでいて泣き通して汗まみれなのか撫でるとどこもベッタリと手にまとわりつく。小さなお手手を握ると、心なしか萎れてしまったかのように小さく感じられた。

 涙で勝手に視界が潤む。耳元で、ありったけの真心を込めて囁いた。

「さっちゃん、会いたかったよぅ。」


「ふぁー…ふぁ?」

 灰緑の瞳がぼうっとこちらを見上げて、涙をぽろりとこぼした。

 ああ、なんて愛おしいんだろう。

 小さな握り拳がするりと解けて、私の髪の毛を引っ張る。それから衣を引っ張る。すり寄せた鼻を掴まれて。

「あはは、さっちゃん、いたいよぉ」

「ふぁ」

 愛おしくて、切なくて。寂しかった数日を埋めるように、大事に大事に抱きしめた。

「ふぁぁ」

「さっちゃん」

「ふぁ」

 さっちゃんは、私の髪の毛を掴んで吸い始める。

「あらあら、さっちゃん。まんまが欲しいね?だれか、持ってる?お願い!」

 すかさずリスが数匹飛び出して来たので、どれと選ぶ暇もなく掴んでさっちゃんの口元に持っていく。

 吸い終わったのを放って次の茎、放って次の茎と何度繰り返したか。もう数も数えられないくらいになった頃に、さっちゃんは満たされたと言わんばかりにコテっと腕の中で眠ってしまった。

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