第31話
「っ!」
「あっ雪花」
浮いた感覚のほんの瞬きの後には、楠木さんのお屋敷に着いていた。
走ってさっちゃんのお部屋まで向かうと。
「さっちゃん?!」
お部屋はしんと静まり返って、ただドングリがあちこちに転がっていた。
「紗良紗はここじゃない、行くよ!」
「えぇ!?ここじゃないの?!」
手を取られて走り出す。
木陰の御殿を背にして、白い光の橋を渡る。
「楠木さん、さっちゃんはどこに?」
「比羅坂に…まだ居てくれれば」
「じゃあ最初から比羅坂に行けばいいんじゃないの?!なんで楠木さんのとこ挟んだの?!」
「比羅坂に逆踏み!?そんなことしたら問答無用で消される!!」
「消される?」
着いた先の白い石畳を、ありったけの力で駆け抜ける。
「比羅坂ってことは、じゃあさっちゃんは神鷹さんに?」
「そう、神鷹が…いや、神鷹じゃない、紗良紗は栴殿のところに」
「絶対あやしてくれないじゃないですかぁ!!なんで?」
「紗良紗が比羅坂を
「比羅坂を、くだる?」
あんな真っ平らな御殿の、どこに下り坂があるのだろうと首を傾げる。
「比羅坂を降るっていうのは、黄泉に向かうってことだ。神鷹が見つけてくれなかったら、今ごろはどうなっていたか」
「黄泉って…あっ冥府のこと!えっ?!さっちゃん冥府にいるの?!」
「私は、なんの役にも立たなかった…あの子は泣き続けて、次第に抱き上げられなくなって…」
楠木さんはさらに思い詰めた眼差しになっていく。
「紗良紗を絶望させたまま逝かせたくない、だから」
「まだ死ぬかどうか決まってないでしょ!ほら、しっかり!急ぎますよ!!」
自分を奮い立たせるためにも、楠木さんの手をぎゅっと強く握る。楠木さんの手は、少し震えながらも、しっかりと握り返してきた。
比羅坂の御殿の廊下を、脇目も振らずに駆け抜ける。
「こっち」
富貴草は喋らない。
だけれど風になびくフリをして、進むべき方向を教えてくれる。
「こっちね」
幾つ目かの角を曲がろうとしたところで、何かに正面からぶつかった。
「いだっ!!」
弾き返された衝撃で後ろに吹っ飛んだ。
「あ、い、たた…」
「雪花!無事かい」
「なによぉっもう〜…あれ?」
ひどい勢いで尻もちをついたものの、幸いどこも怪我はしなかったらしい。いったい何にぶつかったのかと視線をあげると。
何もない。
(えぇー?…あ!)
何も無いところで吹っ飛んだのだけど、その先に見慣れた後ろ姿があった。
「栴様!」
「栴様!せんさまぁぁー!」
「待て来るな」
栴様がいるということは、この角の向こうにさっちゃんもいるのだ!跳び上がって走り出した。
「待てませっんぶっ!!いったぁ!!」
今度は額を全力でぶつけた。すごく痛い。転んで石にでも頭を打ってしまったくらいに。でも今度は幸い仰け反るくらいで済んだので、幸か不幸か見えてしまった。
「ナンダァ?」
全身が粟立つ。
(なに、あれ)
大きな、真っ黒い腕。荒々しく、禍々しい、異形の手。
一目見ただけで、それは災いをもたらす厄の化身、鬼だと、そう直感した。
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